「え、お三方とも……ですか?」
 名前がそう尋ね返すと、須磨は「そうなのよ」と頷いた。「あたし達、今回は皆一緒の任務なの」
 どうやら、まきをと雛鶴は既に屋敷を立った後らしい。お見送りすらできなかったなんて――名前が動揺していることに気付いているのかいないのか、須磨は「天元様をよろしくね」とだけ言い残して駆けていってしまった。慌てて、いってらっしゃいませと声を投げ掛け、頭を下げる。

 甘露寺蜜璃が宇髄を訪れたその日のことを、名前は何となくまきを達に言い出せないでいた。宇髄の言った「俺だけを崇めていればいいんだよ」という言葉がどういう意味なのか知りたかったし、彼女達ならその答えを持っている筈なのに、どういうわけか言い出すことができなかったのだ。
 今から俺が、お前の神だ。
 名前が宇髄と出会った日、宇髄は名前にそう言った。以来、名前は彼のことを崇めて――毎朝欠かさず拝んでいるというわけではないが――いるし、彼と奥方達が永劫共にあれるよう願っている。それは絶対的な事実であり、当然宇髄だって解っている筈だ。
 宇髄は聡い男だ。名前のような小間使いの小娘が一人、何を考えているかなんて、考えずとも解るだろうに。

 俺だけを崇めてれば良いんだよという宇髄の言葉には、どこか拗ねたような響きがあった気がしただなんて。
「……そうだ、お洗濯しなくちゃ」
 名前はぽつりと呟き、一人踵を返した。


 丁寧に洗い終えた後――汚れよりもむしろ、気を使わなければならないのは匂いの方だった。忍である宇髄達は痕跡を残すことを良しとしない。鬼殺の痕跡は隠が消してくれるとしても、その鬼に勘繰られないようにする為には、着物一つにも細心の注意が必要なのだ――名前はふうと一息をついた。後はこれを乾かすだけだ。
「……旦那様も、今日立たれてしまうかしら」
 もしそうであるならば、彼が目覚めるより先に準備をしておかなければ。
 基本的に、名前は宇髄達が休んでいる時は声を掛けないようにしている。職業柄、彼らは他人の気配に敏感なので、名前が一声掛けようものならたちまちに覚醒してしまうからだ。例え束の間でも、心身ともに休んで欲しいというのが名前の気持ちだった。もっとも、極力小さくした足音でも、彼らは目を覚ましているのかもしれないが。
 旦那様が午後になってもまだ部屋から出てこられないようだったら、一度お声掛けをしよう。
 そんなことを考えていると、ふと思い出したことがあった。名前は宇髄のことを旦那様と呼んでいたが、あまりに他人行儀ではないかと以前まきをに言われたのだ。宇髄様、と呼ぶ時もあるにはあるのだが、使用人として主人を名で呼ぶのは気が引ける。
「――……天元、様」
「呼んだか?」
「ひゃああああ!?」
 奥方達の真似をし、小さく呟いた名前だったが、すぐ後ろから男の――宇髄の返事があり、心底驚いてしまった。それこそ飛び上がるほどに。抱えていた洗濯物は皆落としてしまったと思ったのだが、振り返った先の宇髄が全て手にしていた(「干せばいいのか?」と尋ねてくる宇髄に、名前は慌てて首を横に振った)。
「だ、だ、だ、旦那様、お、お休みになられていたんじゃ……」
「まあな」
 宇髄は寝巻きのままだった。洗濯物を手渡され、ありがとうございますと礼を言ったのも束の間、「ありがとうございます天元様、だろ」とニヤッと笑われ、名前はほとほと困ってしまった。
「すみません旦那様、ご勘弁を……」
「なんだよ、別に呼び名ぐらいどうだっていいんだぜ」
 名前がもう一度すみませんと頭を下げると、宇髄は微かに苦笑を零したようだった。

 未だ軒先に留まる宇髄に対し、名前はお食事にされますかと尋ねたが、急いではいないからそれが終わってから用意してくれと宇髄は言った。仕方なく、名前は作業を再開したのだが、全ての衣類を――といっても僅かしか無いが――干し終えた時、果たして宇髄は未だそこに居た。
 どうやら鎹鴉からの伝令も無く、暫く屋敷に留まることにしたのだろう。
「……あの、旦那様?」
「あん?」
 忙しなく動いているのを見られていたと思うと、少しばかり恥ずかしい心地がした。「あ、いえ……何でも……」
「何だよ地味なやつだな! 言いたいことがあるならこの場で言え!」
「す、すみませ――」
 何故自分を雇ってくれたのかと尋ねれば、宇髄は微かに眉を顰めた。


 宇髄にとっては些細なことなのかもしれなかった。名前の家で世話になったことがあるから、独りきりになった名前を哀れんでくれただけ。しかし名前一人の手では手に余るこの家は、自然と名前は生家のことを思い出すことがなかった。それが良い事なのか悪い事なのかは解らないが、少なくとも、名前は宇髄に感謝の念を抱いていた。
 まきをは、宇髄が名前を気に入ったのではと言ったが、その言葉を心から受け止めることは名前にはできなかった。
「……名前がもう一度“天元様”って呼べたなら教えてやるよ」
「えっ……!」
 にんまりと笑う雇い主の顔に、名前はじわじわと頬が紅潮していくのを感じた。羞恥ではなく、焦りからだ。名前が狼狽しているのを見てだろう、宇髄はおかしそうに笑っていた。


 宇髄はお前の髪がド派手だから気に入ったのだと言ったが、名前にはそれが嘘のように思えてならなかった。もっと何か、違う理由があるのではないかと。しかしながら、以前よりも自分の髪に愛着が湧いたのは確かだった。

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