硝煙とシャンプーと、それから風鈴

※記憶有り転生現パロ

 勤め始めてから気付いたのだが、前世の記憶を持って生きている人間は、どうやら自分だけではなかったらしい。
 例えば、ふとした時――街中や、駅の構内なんかで、妙に見知った顔を見つけることがある。しかしながら、見覚えだけは妙にあるものの、どこの誰なのかさっぱり思い出せないのだ。小学校か、それより以前の知り合いだっただろうかと頭を悩ませる。そしてそういう場合、大抵相手も同じ心境に陥るらしく、神妙な面持ちで尾形を見詰め返すのだ。それから少しして、どちらともなく「ひょっとして――」と口にする。尾形はそんな調子で前世の知り合いと呑みに行った事が何度かあったし、互いの息災を祝って杯を交わすのが常だった。100年前と同じように。
 聞いたところによると、どうやら今尾形が勤めている会社の系列会社に、不死身の杉元と称されている営業マンが居るらしい。もっとも不死身というのは文字通りの意味ではなく、俗に言う社畜をマイルドに表現した言葉らしいが。
 社会人として数年が経つ頃には、他部署の課長に敬語で接せられたり、見ず知らずの輩から憎々しげな眼差しを向けられることに、すっかり慣れてしまった。

 明治の記憶を持っているか、それとも持っていないかの線引きはよく解らない。記憶を持った人間と再会を果たすのと同じように、どれだけ見知った顔であっても素通りされることも多々あった。
 例えば、尾形の母は以前と同じ顔かたちをした女だったが、記憶に残る母の姿よりも数倍力強かった。おそらく、昭和という時代がそうさせたのだろうと尾形は睨んでいる。彼女は夫だった男から相応の慰謝料をふんだくり離婚を成立させ、そのおかげで尾形は母子家庭でありながらも、子供時代からあまり苦労を感じず過ごしてきた。
 いつだったか、街で擦れ違った谷垣一等卒に話しかけたことがあった。しかしどうやら谷垣は前世の記憶を持っていないらしく、尾形を見ても返事をするどころか訝しげに見返すだけで、尾形は内心でかなりショックを受けた。ちなみに、現在は占いを専業とした同居人と仲睦まじく暮らしているらしい。率直に言って撃ち殺してやりたいと思った。


 この世に存在する人間の全てが100年前の人間そのままなのかどうか、尾形には判断する術が無かったが、少なくとも尾形の親族関係は以前とそっくりそのまま同じだった。母親や祖父母、そして父親も。しかし、中には尾形の知らない顔も居る――名前はその内の一人だった。
「でね、くまくんは魚やさんで魚をかってきてね」
「おいおい、くまくんはパパなんだろう? 買い物はママが行くんじゃないのか?」
「おかいものはパパがしてくるんだもん」
 浮かび上がる花沢家の力関係に、尾形は内心でほくそ笑んだ。

 花沢名前は、正真正銘尾形百之助の姪だ。100年前には存在し得なかった彼女だが、なかなかどうして名前は尾形に懐いている。この日も、おじちゃんの家で留守番だと知らされた際、彼女は渋るどころか喜んでパパとママにいってらっしゃいをしたそうだ。
 尾形が二度目の転職をした際、新たな住居と定めたアパートのそのすぐ近くに、花沢勇作とその家族は暮らしていた。親元を離れて暮らしたくなったのですと口にした勇作は、寸分の照れもなく「また兄様の弟となれて嬉しいです」と笑った。どうやら彼は、死んでも自分が誰に殺されたのかに気が付かなかったらしい。引っ越そう、そう思いながら、尾形は「その呼び方はよしてくれ」と言うより他に仕方なかった。
 しかし結局、尾形は引越すことなくずるずるとそこに居続けている。転職したばかりで忙しかったこともあるし、そこまでの必要性を感じなかったこともある。
 この日、尾形は数週間ぶりの完全オフだったのだが、弟からの要請でその休みを潰さざるを得なくなった。勇作はこの日出張が入っており、彼の妻――尾形からしてみれば義妹にあたるわけだが――は休みを取ることが出来ず、日曜日なことも重なってだろう、名前を託児所へ預けることも叶わなかったのだ。そして、近所に住んでいる尾形にお鉢が回ってきた。勇作の妻は尾形に対ししきりに頭を下げた。しかし夫の腹違いの兄に愛娘を預けるというのは、一体どういう心境なのだろうか。
 ――もっとも、別段尾形は気にしていなかった。休みを潰されたことこそ不愉快だったが、姪の面倒を見るくらいなら造作も無いことだった。名前はあまり手が掛からなかったし、子供は元々好きでも嫌いでもない。自分を捨てた男の孫とはいえ、一人きりの姪っ子だと思えば多少の愛着は沸くものだ。尾形は尾形なりに名前を可愛がっていたし、彼女のままごとに付き合うくらいは許容範囲だった。
「……ふふ」
「何だ? 何笑ってる」
「ううん、だっておじちゃんってやさしいんだもん。パパ、名前がおままごとしよって言ってもしてくれないし」
「そうなのか? ひどいパパだな」
「うん。ねえ、おじちゃんは本当にパパのおにいちゃんなの?」
「そうだよ」
 憎たらしいことに、100年以上も前からそうだよ。
「いいなあ、名前もおにいちゃんがほしかったなあ。百之助おじちゃんがおにいちゃんだったらよかったのに」
「そりゃあ難しいな」
 尾形が名前の頭を撫でてやると、指の先に絹糸のような黒髪がさらりと触れた。やわらかな髪。平成の世で新たに生きることに嬉しさを感じるかと問われれば言葉に詰まるが、何が良いかと聞かれた時は、尾形はきっとすぐに答えられるだろう。
「……なあ」尾形が静かにそう口にすると、名前はきょとんと尾形を見上げた。「おじちゃんと、良い事しようか、名前」


「いいこと?」
「――冷蔵庫に入ってるもの、なーんだ」
 そう言ってにっこりと笑ってみせれば、名前は尾形の言いたいことが解ったのだろう、きらきらと目を輝かせた。それから一目散に冷蔵庫へと走っていく。それから少しすると、「プリン! プリン!」とはしゃぐ名前の声が尾形の耳にも届いた。尾形は喉の奥でくっくと笑いながら、スプーンを用意してやるべくゆっくりと立ち上がった。

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