04

 ぐにっ、と、何か柔らかいものを踏んだ感触は確かにあったのだ。
 毛を逆立てて怒り狂うヤングースに、グズマはなす術もなかった。アゴジムシをゲットしたことに喜ぶ余り、足元がおろそかになっていたのだ。グズマは、地べたで寝ていたヤングースを、思い切り踏み付けてしまっていた。慌てて飛び退いたが手遅れだった。
 まさか、あれだけ探して見付からなかったポケモンが、こんなに近くに居るとは思わないじゃないか。
 ――グズマはヤングースというポケモンのことは勿論知っていたが、そのヤングースが昼行性であることや、常に空腹で自身の縄張りを歩き回っていること、日が暮れる頃には体力が尽きてどこでも眠り込んでしまうことなどは少しも知らなかった。
「オ、オイ、悪かったって」グズマが言った。「わざとじゃねーんだよ」

 ポケモンにだって言葉は通じる、そんな事を思っていたわけではなかったが、そう口にするより仕方がなかった。当然、ヤングースの怒りが収まることはないし、むしろグズマが声を掛けたことで火に油を注いでしまったらしい。背中を膨らませ、思い切り威嚇してくるヤングース。「グズマ」と、名前が恐る恐る声を掛ける。グズマへの心配が半分、ヤングースへの恐怖心が半分といったところだろうか。グズマは「解ってる」と名前に頷いてみせた。
「大体よ、お前だって悪いんだぜ、そんな所で寝ちまってるんだからよ――いってェ!」
 ヤングースがグズマの脛に噛み付いた。あまりの痛みに足をばたつかせるが、ヤングースは離れない。それどころかいっそう強く噛み付く始末だ。コソクムシが突進し、ヤングースは漸くグズマから距離を取ったが、攻撃されたと思ったのだろう、先ほどよりも激しく鳴き始めた。グズマが冷静だったなら、ヤングースの鳴き方の違いに気付いたかもしれないが、生憎とそんな余裕はなかった。
 見下ろした先、自分の足から流れ出る赤に、猛烈な怒りが込み上げる。
「てめえ!」
 今すぐにでも踏み付けてやりたかったが、体を張って押え付けてくる名前のせいで上手く行かなかった。「離せよ!」そう言って、乱暴に名前を振り解く。
 コソクムシはというと、グズマに付くべきか名前の味方をするべきかで迷っているようだった。ヤングースの方に目を向けつつも、時折グズマ達の様子を伺っている。
「ね、ねえ、もう戻ろうよ」名前が言った。
「オレ様に逃げろっていうのかよ!?」
 グズマが言い返すと、名前はびくりと体を震わせ、「そういうわけじゃないけど……」とすまなそうにぼそぼそ呟いた。グズマはますます血が上ったのを感じたが、そこまでだった。どこからともなく数匹のヤングースが飛び出してきたからだ――ヤングースはグズマを威嚇していたのではなく、仲間を呼んでいたのだ。


 グズマがぎょっとしている間に、一匹、また一匹と、ヤングースが増えていく。しかもどの固体もグズマ達に向けて牙を剥き、低く唸っている。「くそっ、何だよお前ら!」
「コソクムシ!」
 グズマの呼び声に答え、コソクムシは身を震わせた。「むしのていこう!」
 コソクムシが毒液を吐き出した。むしのていこうはヤングースの一匹に上手く命中したが、他のヤングースを抑えることはできなかった。数匹のヤングースがコソクムシに飛び掛る。コソクムシは攻撃をかわそうと動き回っていたが、一匹ではなく、群れを相手にするには些か分が悪かった。
 何度もたいあたりされる内に、コソクムシの中で何かが切れたのだろう。情けない鳴き声を上げたコソクムシは戦うのをやめ、グズマの元へ駆け寄ろうとしていた。ボールに戻るつもりなのだ。「バッ、バカ、戦えよ!」

 にげごし――コソクムシの特性だ。体力が少なくなると、戦うことを放棄しボールへ戻る。臆病なポケモンといわれる所以だろう。しかし、この時のグズマは、その特性の事を知らなかった。もっとも仮に知っていたとしても、戻らないよう指示したかもしれないが。
 あっと思った時は遅かった。逃げようとするコソクムシのその背に、ヤングースが頭突きを食らわせたのだ。おいうちだった。
「――……コソクムシ!」


 ひんしのコソクムシの入ったボールを手に、グズマは愕然とした。コソクムシが逃げ帰ったことではなく、コソクムシにそうさせてしまった自分が情けなかったのだ。いま戦えるのは、捕まえたばかりでしかも体力の減ったアゴジムシだけ。いつも名前の周りを五月蝿く飛び回っているアブリーは、いつの間にか姿を消していた。怒り狂うヤングースを前に、グズマはなす術が無かった。ぐっと、手を引かれる。「グズマ、にげよう」

 名前だった。グズマが名前を認識した瞬間、名前は一目散に駆け出した。グズマの手を引いて。
 名前に引かれるまま、グズマは走った。こんな小さな名前のどこに、これほどに力があったというのだろう。息が上がり、走るのが苦しくなっても、名前はグズマの手を離さなかった。
 元々グズマの方が走るのは速かった為、途中からグズマが名前を引っ張った。それでも――どれだけ走っても、ヤングースは執念深く追ってきていた。

 本来なら、リリィタウンの方へ逃げるべきだったのだろう。いくらヤングースだって、大人や、トレーナー相手には強く出られない筈だ。しかしながら、走ることに精一杯で、グズマも名前もそこまで気が回らなかった。
「あっ――」
 一瞬だった。足が縺れた名前が転び、グズマは止まることを余儀なくされた。立ち上がろうとする名前の膝は血だらけで、走り疲れていることもあって上手く立ち上がれない。「ご、ごめん、グズマ……」
「――クソッ!」
 グズマはアゴジムシのボールを手に、ヤングースに向き直った。この場を凌ぐ算段など、あるわけがなかった。ただ、何とかしなければという思いだけがグズマの中にあったのだ。その時だった。突如として、稲妻が空を走った。

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