01

 グズマという名は、グズマニアという花の名から取ったらしい。断言することができないのは、グズマがそれを知ったのが人伝であり、名付け親である母親から直接聞いたわけではないからだ。グズマが物心ついた頃には、既に彼女は家に居なかった。
 最初、グズマニアの花を植物図鑑で見た時、グズマは少し――いや、かなりがっかりした。あまり格好の良い花ではなかったし、花と言うには華やかさが足りなかった。咲き方だって不恰好だったし、色の付いた葉がただ折り重なっているだけのように見えた。母親が植物を好いていたのかもしれないが、どうせならもっと見栄えのする花から取ってくれればよかったのにと、そう思った。
 しかしながら、その図鑑に書かれていた花言葉だけは、グズマもほんの少しだけ気に入っていた。貴方は完璧。それが、グズマニアの花言葉だ。

 きっと自分の母親は、この花言葉を気に入って、グズマという名を付けたのだろう。幼いグズマはそう考えたし、あながち間違いではない筈だ。でなければ、こんなパッとしない花の名を、実の息子に付けるだろうか。母親は、グズマに完璧であって欲しいと考えたに違いなかった。
 ――自分がそう思い込みたかっただけなのだとグズマが気が付いたのは、もっとずっと後になってからだった。



 窓から差し込んでくる朝の日差しに、グズマははっと目を覚ました。ツツケラだろう、鳥ポケモンのさえずりが辺りに響いている。パジャマを脱ぎ、服に着替え、それからボールをポケットに滑り込ませる。グズマは手早く支度を済ませると、急いで部屋を出た。
 居間には既に義母と、そして珍しくも父の姿があった。暇さえあればゴルフに行く彼は、今日のような休日なら、既に家を後にしていてもおかしくなかった。グズマには、あまり休日に父親と出掛けた記憶がない。もっともグズマだって、延々とゴルフクラブを振る父親を見ているのはごめんだったが。
 新聞越しに父の表情を伺い見ることは出来なかったが、結局、グズマはそれ以上興味が持てなかった。もしかすると彼は自分の才能の無さを見詰め直す気になったのかもしれないし、ひょっとすると今日だからこそ家に居るのかもしれない。
 義母はグズマの顔を見ると「おはようグズマくん」と柔らかな笑顔を浮かべた。彼女が笑うと、目尻に二本の線ができる。グズマはおざなりに返事をすると、ポケマメに齧り付いていたイワンコを跨ぎ(イワンコは抗議の声を上げた)、ダイニングテーブルの上の丸パンを一つ二つ引っ掴むと、いってきますと言って家を飛び出した。投げ掛けられた「名前ちゃんに迷惑を掛けるんじゃないぞ」という声には、グズマは返事をしなかった。

 ものの数分もしない内に、グズマは目的地に辿り着いた。小さな定食屋だ。店の表にはCLOSEDの看板が下がっていたが、グズマは残っていたパンを口に押し込むと、躊躇いもなく呼び鈴を鳴らした。少しの間の後、「はあい」という声がし、がちゃりと扉が開く。グズマの前に立っているのは名前の母親だ。
「まあ。アローラ、グズマくん」
「アローラ、おばさん」
 彼女は「上がってちょうだい」とグズマに声を掛けた後、「ごめんなさいね、名前ったらまだ寝てるのよ」と困ったように言った。名前が朝に弱いのは今に始まった話ではなく、彼女も半ば諦めているのだろう。
「多分、もう少ししたら起きてくると思うんだけど……」名前の母親は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。「悪いんだけど、もう少し待っていてくれる? そうだ、エネココア淹れてあげようか」
 俺が起こしてきますよとグズマが口にすると、彼女はもう一度「ごめんなさいね」と言って、少しだけ眉を下げた。

 グズマは慣れた足取りで店の二階へと向かった。階段を上ってすぐ左手にあるドアが、名前の部屋の入り口だ。
 本来であれば、ノックの一つでもするものなのだろうが、グズマはそうしなかった――いくらドアを叩いたところで無駄に終わることが解っているからだ。
「名前ー!」と、一応名前の名を呼びつつ、間髪入れずドアを開け部屋に入る。
 彼女の母親が言った通り、名前はまだ寝ているようだった。窓際のベッドの上、そこに出来ているブランケットの小山が微動だにしないあたり、グズマの呼び声もまったく聞こえていないらしい。グズマは、ふんと鼻を鳴らした。もっとも、いつも彼女に纏わり付いているアブリー達だけは、グズマの来訪を敏感に感じ取っていたらしく、恨めしそうに羽を羽ばたかせた。

 ずんずんと名前の寝ているベッドに近付いたグズマは、彼女の頭上に居るアブリーの何匹かをしっしと手で追い払うと、そのままブランケットを剥ぎ取った。当然、中からは丸まった名前が出てくる。驚いたことにまだ寝ているらしく、グズマはほとほと呆れ果てた。しかしながら、こうして大きなデンヂムシのようになった名前を見たのは、これが初めてというわけではない。
 どうやら肌寒さを感じてはいるようで、名前はむにゃむにゃと寝言を漏らしている。恐らくグズマに対し、何か文句を言っているのだろう。もちろんグズマには少しも効果がない。
「オラッ、起きろよ名前!」
 グズマが大声で名前を呼んでも、その肩を揺すぶっても、名前は目を覚ます様子がなかった。こんなにずぶといデンヂムシは、アローラ中を探してもまたと居ないだろう。「名前、良い加減起きろよ!」
「今日はゼンリョク祭りだろうが!」
 起きねえんなら、おれとおばさんだけで行っちまうぞ――ゼンリョク祭りという言葉が聞こえたのだろうか、名前はゆるゆると目を開けた。それからゆっくりとグズマを見る。
「……あ、グズマ……?」名前はそれからふわあと大きな欠伸をした。「……アローラ」
「何が、アローラだ!」
 グズマが怒鳴り声を出しても、名前はふにゃふにゃと笑っているだけだった。


 連れ立って歩きながら、グズマはぶつぶつと文句を言った。もっとも、荷物は大方名前の母親のナッシーが運んでくれているので、グズマ達は紙コップの束を持つだけで良かった。
「名前はよ、もうちょっと早く起きられねえのかよ」
「今日は、ちゃんと起きれたよ」
「俺様が起こしてやったからだろうが! バカ!」
 先を歩く名前の母親がくすくすと笑っているのが解り、グズマはばつの悪い思いをした。少しだけ声を小さくする。「大体よ、俺らもうすぐ島巡りに行くんだぞ。お前、そんな調子で大丈夫かよ?」
「別に、島巡りそんなに行きたいわけじゃないし……」
「バカ!」
 手が塞がっていたので、グズマは足で蹴ろうとしたのだが、名前にはお見通しだったようだ。ひょいと避けられてしまう。代わりに、少し遅れて彼女の後を付いてきているアブリー達が抗議するように鳴き声を上げたが、グズマは思い切り舌を出した。
 名前の周りには、普段から数匹のアブリーが纏わり付いている。しかも、驚いたことに野生のアブリーだ。よほど懐かれているのか、それともよほどアブリーに好かれる性質なのか。グズマと名前は長い付き合いだが、グズマはアブリーを連れていない名前を見たことがなかった。最初こそ物珍しかったし、ポケモンが勝手に寄ってくるなんてと羨ましくも思ったが、彼らは乱暴なグズマを嫌っているのかグズマには懐かなかったので、段々とグズマもアブリー達を鬱陶しく思うようになった。しかしいくら追い払っても名前の周りを飛び回っているため、近頃では諦めている。
「11歳になったら、俺らみんな島巡りに行くんだよ。当たり前だろ?」
「ふーん……グズマも行くの?」
「当然だろうが」
 仰々しく背を逸らしてみせたグズマをじっと眺めていた名前だったが、やがて、「じゃ、私も行こうかな」と小さく言った。
 ――じゃあって何だよ、じゃあって。
 名前はグズマと同じ、アローラで生まれ育った生粋のアローラっ子だ。しかしながら、マイペースな性格からだろうか、たまに妙な事を言い出すことがあった。島巡りに乗り気じゃないのもその一つだろう。少なくとも、グズマと同年代――グズマが名前以外の子供と遊ぶことなど、殆ど無かったが――の子供は、皆島巡りに行きたがっていた筈だ。

 グズマにとって、島巡りは当然こなすべきものだった。島巡りチャンピオンになり、キャプテンになり、そしてゆくゆくはカプに選ばれしまキングになる。それが、アローラで生活する上で、最も理想的な――目指すべき姿である筈だ。
 名前の言い方だと、まるでグズマが島巡りに行かなければ行かないと、そう言っているようなものではないだろうか。こいつ、やっぱりどっかずれてるよな。そんな事を思っていたグズマだったが、名前の母親の「二人とも、もうすぐリリィタウンにつくわよ」という言葉を前に、思考を一時中断した。

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