みかのはら

 目を覚ましたクチナシは、今までの出来事が全て夢だったことにすぐに気が付いた。何故なら、クチナシと彼女は“そういう仲”ではないのだから。
「……最悪だ」
 思わず零れ出た呟きに、ニャースが不思議そうに尾を揺らした。


 何故、会いたくないと思った相手に限って出会ってしまうのか。クチナシは自身の不運を呪わないではいられなかった。確かにクチナシはポータウンに住んでいて、彼女はそのポータウンに出入りしているが、同じ街で生活しているからといって出会う可能性が高くなるわけではない。
 この日一日、クチナシは彼女に会わないよう出来る限り注意を払ったつもりだった。朝方アパートを出る時は人通りが無い事を見計らったし、溜まっていたデスクワークを片付けることに専念した。大試練を受ける者が居るからと連絡を受け、ポニ島に出向く時も、マリエまで行かず、交番を出てすぐにリザードンに跨った。そのおかげか、こうして業務が終わるまで彼女には出会わなかったし、むしろあと数日は、この生活を続けるつもりだったのに。
 クチナシに絡んでいたスカル団の二人を言葉巧みに追い払った名前は、クチナシを不思議そうに見上げていた。
「何でこうなっちまうんだろうな……」
「? 何、どしたの、クチナシさん」
「……何でもない」
 ――まさか、お前さんと如何わしい事をする夢を見ただなんて、言えるわけがない。


 先を歩く名前は、どうやら用心棒を買って出てくれているつもりらしかった。曰く、自分と歩いていれば他のスカル団連中に絡まれないからと。もっともその名前自身も、白い髑髏を模したバンダナを付け、口元を黒い布で隠している。
「でさあ――」
 他愛のない話を続ける名前は、今隣を歩いている男が、自分をどんな目で見ているのかなんて少しも気付いてはいないのだろう。クチナシの頭の中では、今も今朝の情景がこびりついて離れないというのに。
 夢の中の彼女はバンダナを巻いておらず、その形の良い唇からは掠れた声が己の名を呼んだ。彼女の薄い腹はクチナシのあまり大きくない手でも簡単に掴むことができ、クチナシの手の指の腹が触れる度、彼女はくすぐったそうに身を捩った。彼女の肢体どころか、クチナシは彼女の顔すら見たことがないというのに――なんと浅ましいことだろう。

 ふと名前を目が合い、クチナシは素知らぬ風を装う。
「ねえちゃん、割と新入りだったろ。何であいつら寄ってこないわけ」
「あーそれ? んなの決まってんじゃん、したっぱの中であたしが一番強いからだし」
「そうなの?」
「そうだよ」
 クチナシさんひどくない?などと口では言いつつも、名前はさして気にした様子はなく、自分がいかにしたっぱ達から一目置かれているかを語ってみせた。グズマがバトルツリーに通っていることにも驚いたが、あの熟達したトレーナーしか居ないような場所にバトルの相棒として連れて行かれるのなら、なるほど名前のバトルの腕は確かなのだろう。

 クチナシとしては普段通りの振る舞いをしているつもりだったのに、女の勘というやつだろうか、名前は目敏く感付いたらしかった。
「どしたのクチナシさん、何か今日変じゃん?」
「そうかい? ……ところでよ、おじさん、別にスカル団の子達くらい平気だからよ。ねえちゃんはほんと気にしなくて大丈夫だから」
「……? けどあいつら、クチナシさん見るとすぐバトル吹っ掛けてんじゃん。勝てる見込みもないのにさ。それにクチナシさんだって疲れてるっしょ? サツとしまキングやってると。いちいち相手すんのもしんどいじゃん」
 自身を見上げる名前の声が“クチナシさん”と紡ぐ度、クチナシはひどく居た堪れない気分になった。普段以上に口数が少なくなっているクチナシを見てだろう、名前はますます不思議そうな顔になる。
「何、マジに疲れちゃってる系? 肩でも揉んであげよっか?」
「やめて」
「ガチトーンこわ」
 チョー疲れてんじゃんウケる、などとけらけらと笑っている名前はひどく歳相応に見えて、クチナシはますます自己嫌悪に陥った。
 普通なら、彼女のような未成年に情欲を抱く筈が無いのだ。しかし実際にクチナシが気に掛けているのは彼女であり、文字通り夢にまで見てしまったのは名前だった。
「……前から気になってたんだけどよ、名前のねえちゃんは何でオレの事名前で呼ぶんだ」
「は?」
「いやよ、お前さん達スカル団は、オレのこと大体おっさんとかおじさんとかって呼ぶだろ。グズマのあんちゃんだって、オレのことはしまキングのおっさんって呼んでくるぜ」
「あーね、グズマさんはそんな感じするわ」
「だろ。――だからよ、お前さんがそう呼んでくるのが違和感っつーか何つーか……」

 本当のところ、彼女や他のスカル団が自分のことを何と呼ぼうが構わなかった。しかしクチナシは気付いてしまったのだ。彼女が“クチナシさん”と呼ぶ度に、自分の中で何か得体の知れない感情が育ってゆくことに。
「ふーん……? けど、クチナシさんはあたしの恩人だし。そんな気軽に呼べないっしょ」
「恩人ねえ……」
 ――名前が言っているのは、彼女がスカル団に入ったばかりの頃の事だろう。あの時、名前はどういうわけか怒り狂ったカプ・ブルルに追い掛けられていて、寸でのところでクチナシが仲裁に入り事なきを得た。カプの祟りなどというものは島民による迷信だろうと思っていたため、クチナシにとってはかなりショックな出来事だった。
 何れにせよ、あれ以来名前はクチナシを見ると、他のしたっぱとは違う意味で寄ってくるようになったのだ。そしてクチナシはそんな名前をいつからか違う目で見るようになってしまっていた。

「ははーん」
 名前が何事かに感付いたらしく、クチナシはどきりとしたのだが、「クチナシさん、あたしに名前で呼ばれて照れてるんだ」とにやにやしだしたので内心ほっとした。当たらずとも遠からずというところではあるが、少なくとも今の彼女はクチナシの歪な思いに気付いていないらしい。
「……違うよ」
「ウソウソ、照れなくていいって」
「だから照れてないって」
「ほんとにー?」
 にやにやし出した名前は、自分などよりよっぽどあくタイプが似合うだろう。
「――うっそクチナシさんマジに顔赤いじゃん! オクタンじゃん!」
「勘弁してよ……」


 結局、間借りしているアパートに着くまで、クチナシは名前にからかわれ続けた。彼女からすると、自分に名前で呼ばれているだけで気恥ずかしいクチナシという構図が面白かっただけなのだろうが、口でからかってくるだけならいざ知らず、肘で脇腹を押されたりするのは本当に勘弁して欲しかった。
「――ま、そんな気にするんだったらやめようかな、クチナシさんって呼ぶの」
「そうしてくれ」
 よく考えたらあたしらと仲良くしてるのもアレだしね、と口にする名前は、こんな田舎で腐らせておくには勿体無い人間だろう。
「それじゃあね、おまわりさん」


 一瞬、遠い昔の記憶が蘇った。同僚に見せられたそれは、非行少女と警官というシチュエーションだった。実際に国際警察として働いている自分達が見るには馬鹿馬鹿しくて、それでいて妙に盛り上がったことを覚えている。

 名前の顔と、昔見たAVの女優の顔がぴたりと重なる。
「……いや、やっぱりクチナシで」
「はァ!?」

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