「おじさーん、居るー?」
 そう呼びかけながら交番に足を踏み入れた名前だったが、目当ての人物は生憎と留守のようだった。名前の存在に気付いたらしいニャース達が、数匹名前の足元に寄ってくる。名前は人知れず溜息をこぼすと、しゃがみこんでニャース達の相手を始めた。

 ウラウラの花園を抜けた先に、ひっそりと交番が佇んでいる。奥には記憶から拭い去られたゴーストタウンがあるだけで、観光客も滅多に訪れないような場所だったが、それでも名前は足繁く通っていた。別に名前がよく落し物をするからだとか、非行少女だからよく補導されるからだとか、そういう後ろめたい理由では決してない。
「まったく、どこで油売ってるんだろうねー」困ったおじさんだにゃー等とぼやきながらニャースの顎を撫でてやっている名前だったが、不意に差した影に気付かないわけにはいかなかった。振り返ってみれば、思った通り、ややくたびれた風体の男が入り口に立っている。
「人の居ない交番に勝手に入り込むなんて、案外悪い子だなねえちゃん」
「……あは、帰ってくるの早かったですね!」
 名前がそう言って誤魔化し笑いをすると、ポー交番の主――クチナシは、ひょいと眉を上げてみせた。


 二人揃って交番の外に出る。「おじさんね、別に暇なわけじゃないんだよ。そこらを回ったりとかさ」
「……聞いてたんですか!」
 そりゃあね、と肩を竦めてみせるクチナシに、名前は何故だか無性に恥ずかしくなった。クチナシが留守だと判断したからこそ、ああしてニャースに話し掛けていたというのに。穴があったら入りたい、名前がそう思っているのを知ってか知らずか、クチナシは「で、いつもと一緒でいいんだよね?」とごく普通に話し掛けてくる。
 名前が慌てて頷くと、クチナシは「そ」と、聞いているのかいないのか解らないような口振りで返事をした。
「クチナシさん、私、今日こそやってやりますからね……!」
「そうかい」
「そして、あの約束を果たしてもらうんです!」
「はいはい」
 クチナシはそう返事をしつつ、手をふりふりとおざなりに動かした。名前は道の反対側へ走り、モンスターボールを取り出す。もっとも、ボールを手にしたのはクチナシも同じだ。「それじゃ、いくよ。ウラウラの大試練ってやつをよ」


 名前がウラウラの花園の先にある寂れた交番に通っているのには訳があった。アローラの風習である島巡り、それをこなす為だ。――クチナシは、ウラウラ島のしまキングだ。
 島巡りでは四つの島を巡る傍ら、七つの試練と、それを乗り越えた先にある大試練をクリアしなければならない。クチナシはウラウラ島のしまキングであり、彼の与える大試練を乗り越えないと、一人前にはなれないのだ。
 もちろん、他の島の試練に先に挑んでも良いのだが、名前はそうしなかった。折角ウラウラ島で生まれ育ったのだから、一番最初にウラウラの大試練をこなしたいじゃないか。しかし、例え警官として仕事をしているように見えずとも、ポケモントレーナーとしての実力は確かなようで、名前は今まで十数回クチナシにバトルを仕掛け、そして負けていた。
「ペルシアン、みだれひっかき」
「っ……避けて、ヤンチャム!」
 ペルシアンの猛攻。名前のヤンチャムは名前の指示を的確に聞き入れ、瞬時に後退した。そのおかげで、ペルシアンのみだれひっかきは二度ほど胴体を掠めただけに終わったが、ダメージの蓄積していたヤンチャムにとってはひとたまりも無かったらしい。がっくりと、膝を着いたヤンチャム。

 ヤンチャムをボールに戻していると、クチナシが「これでお互い様だな」と静かに言った。顔を上げれば、彼は微かに笑っている。
 確かに、お互い一匹ずつポケモンを倒していた。その上、名前の手元には残り二匹のポケモンが残っているし、クチナシには場に残っているペルシアンだけだ。彼はいつも、名前を相手にする時はニャースと、そしてペルシアンを使う。数の上で優位なのは名前だし、クチナシには後が無い。しかし、実際に追い詰められているのはクチナシではなく名前の方だ。
 名前は今まで、一度も彼のペルシアンを倒したことが無かった。


 振りかぶって投げたモンスターボール、中から出てくるのはグレーの毛並みをしたニャースだ。「いくよ、ニャース!」
「ねこだまし!」
「お前さん毎回それだな」
 別に、クチナシがからかったわけではないことは名前にも解っていた。しかし名前は独りでに恥ずかしくなってしまう。進歩が無いと、そう言われているような気がして。相手が他ならぬクチナシだから尚更だ。
 走り寄った名前のニャースがぱちんと両手を合わせると、クチナシのペルシアンは一瞬びくりと身を震わせた。煩わしげに細められる彼女のその目に最初はびくびくしていたものの、近頃は全く気にならなくなっていた。気にならなくなっていたというか、気にしてはいられないのだ。「ニャース、そのままみだれひっかき!」
「かわしな。あくのはどう」
 一瞬、ペルシアンの体が黒い膜に覆われる――次の瞬間、その膜はペルシアンを中心に広がり、ニャースを吹き飛ばした。
 離されてしまっただけでなく、どうやらニャースは今の一撃で怯んでしまったらしい。名前のニャースは何とか起き上がったものの、攻撃に移る気配は無かった。
「ペルシアン、もういっちょあくのはどうだ」
「っ……ニャース、いやなおと!」
 再び迫り来るあくのはどうを前に、ニャースは甲高い鳴き声を上げた。勿論、あくのはどうを打ち消すことも、ペルシアンにダメージを負わせることもできなかったが、少なくとも自身の急所から逸らすことはできたようだった。
 ――名前がクチナシに勝つには、この「いやなおと」をどう二回当て、且つ強力な攻撃を入れられるかが肝だった。
 以前、一度だけ二回いやなおとを決められたことがあった。その時はニャースのみだれひっかきが二回掠めるだけで終わってしまったのだが、あれがもし五回当たっていたら、もしくは急所に入っていれば、勝負は変わっていたかもしれない。もしかすると今頃名前はアクZを持っていたかもしれないし、ひょっとすると別の島に渡っていたかもしれない。
 ペルシアンの攻撃は強力だが、あくのはどうが外れることだってある筈だ。「ニャース、もう一回――」
「――ペルシアン、ちょうはつだ」


 一瞬、クチナシが何を言ったのか解らなかった。挑発。クチナシの声を聞いたペルシアンはすっと背筋を伸ばした。それから、くんっと軽く顎を上げる。
 ――馬鹿に、されている。
 名前でさえそう感じたのだから、同じポケモンであるニャースが見たらたまったものではないだろう。思った通り、ニャースは毛を逆立てて怒り始めた。
「ニャ、ニャース、落ち着いて! いやなおとだってば!」
「ちょうはつってのは」クチナシが言った。「ポケモンの技の一つでよ。相手のポケモンに、攻撃技しか使えないようにするんだよ」
「攻撃技、しか……」
 名前はクチナシの言葉を反芻した。相手のポケモンに――つまり、名前のニャースに――攻撃技しか使えないようにする。そうなると、ニャースはこれからみだれひっかきとねこだまし、かみつくしか使えなくなるわけで――。

「……おじさんの、いじわる!」
 名前がそう叫ぶと、クチナシは面白そうに笑った。結局、名前はこの日もクチナシに勝つことができなかった。

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