brotherhood

 しくじった、と、そう思った。何故気が付かなかったのだろう、彼が十二鬼月だという事に。確かに、彼は髪で片目を覆うようにしていたから、十二鬼月を表す数字が見えなかったことは確かだ。しかし、少年の姿をしている彼の鬼は、こんなにも強い圧を放っているじゃないか。「いいよ、見逃してあげる」
「……はい?」


 彼は――累と名乗った彼は、間の抜けた名前の返事に対し、ついっと眉を上げた。慌てて口を塞ごうとしたものの、両腕とも切り落とされていた事を失念していた。名前はそれほど多く人を食べていないし、回復にはまだ時間が掛かるだろう。
「言ったよね、此処を明け渡せば見逃してあげるって。ま、お前は抵抗したけど……」
 ――那田蜘蛛山。この小さな山を、名前は根城としていた。鬱蒼と生い茂る木立は、陽の光を大敵とする名前達鬼にとって好ましいものだったし、何より那田蜘蛛という名前が洒落ていた。名前の血鬼術は、蜘蛛糸のような細い糸を操る能力だ。血鬼術こそ蜘蛛所縁というわけないものの、他の鬼も居なかったこともあり、名前はすぐにこの山を気に入った。そういえば、累の血鬼術も、糸を操るもののようだ。
 だから彼も、この山を縄張りにしたいと、そう思ったのだろうか。

 共食いは趣味じゃないんだよと、累は言った。
「この山を僕に譲って、お前はどこか余所へ行く。それがお前の役割だよ」
「や、役割……」
 累は小さく「そう」と言った。「僕は、自分の役割を理解してない奴は生きてる必要が無いと思ってる」


 暗に、死ねば良いのだと言われながらも、名前はなかなか頷くことが出来ずに居た。
 街道に面しておらず、人間があまり訪れないこの山で名前が数十年暮らしてきたのは、何も山の名が洒落ていたからという理由だけではなかった。
 痺れを切らしたのか、累は「別に僕は、お前を木に括り付けて、そのまま陽で焼いてやっても良いんだよ」と苛々した調子で言った。
「その、此処は……」
「何?」
 家族と暮らしていた場所なので、と名前が呟くと、累は微かに眉根を寄せた。

 それを名前が思い出したのは、本当に偶然だった。
 那田蜘蛛山で暮らし始めてから幾月かが経った日のことだった。山でいっとう大きな楠の木陰から朝焼けを眺めていた名前は、不意に、以前にも同じ場所に来たことがあったのだ。確か、末の妹の宮参りだった。小さな名前は歩き疲れたと駄々をこね、父親の背に揺られながら山を登った。少し拓けたこの場所は、遠くまで見渡すことができた。父の声も、母の顔も、弟妹達の笑い声さえも思い出せないのに、彼方の山の天辺に積もった雪の事だけ脳裏に浮かぶのは、ひどく薄気味悪かった。おかげでその日、名前は危うく焼け焦げて死ぬところだった。
 名前が不便を感じながら――あの山が鬼が出る、などと人間達に悟られることのないよう、名前は細心の注意を払って生きてきた。例えば月に三度人間が訪れるとするならば、喰べるのは一人だけにした。敢えて谷へ落とし、鬼の仕業と悟られぬようもげた足だけを食べたりもした。同じ場所で捕食を続ければ、鬼狩りが来るのは道理というものだ。名前のような弱い鬼では鬼殺の剣士達に敵わないだろうし、人間が全く訪れなくなっても困る――この山で生きてきたのは、偏にこの場所から離れ難かったからだ。人間だった頃の自分を、ほんの僅かに思い出してしまったからだ。
 この鬼が殺され、鬼殺隊の意識が逸れるまで、幾年掛かるだろうか。
「……その、こ、こんな事をお願いするのも失礼だと思うのですが、できたら時々、此処に来てもいいですかー……なんて。あっ、勿論縄張りは荒らしませんし、鬼狩りに尾けられるような真似もしませんから」
 愛想笑いを浮かべる名前を見下ろしながら、累は暫く口を噤んでいた。何だろう、名前の何かが、彼の琴線に触れてしまったのだろうか。しかしながら殺しに来る様子もないし、殺気も感じない。名前が立ち上がっても、累は何も言わなかった。腕も生え揃ったし、逃げるだけなら可能だろうか。
 無理だろうなあと思いながら、「あのう」と小さく声を掛ける。返事は無いものと思っていたのだが、名前の予想に反し、累は静かに言った。「お前、此処で家族と暮らしていたの」
「え? ああはい、鬼になる前ですけど……」

 ――鬼は、基本的に“鬼になった時”の姿をしている。この鬼は、きっと子供の時に無惨様に出会ったのだろう。そうして、子供のままに鬼になったのだろう。
 家族って、そんなに良いもの?
 侮蔑するでもなく、興味を引かれているようでもなく、ただただそう問い掛ける累に、名前は曖昧に笑い返すことしか出来なかった。
「……僕のは、役割を果たさなかった」
「えっ?」
 ぽつりと零れ落ちた累の呟きに、名前は思わず問い返したが、累は答えなかった。


 再び黙りこくった累に、名前が声を掛けてしまったのは、きっと、血の迷いだとか、十二鬼月を前にあらぬことを口走ってしまった、ただそれだけなのだろう。――脳裏に過ぎる泣き喚く幼い人間に、彼が重なってしまっただなんて。
「それじゃあ、家族になりましょうよ」
 名前はそう言って愛想笑いを浮かべたが、累は何言ってんだこいつという目をするだけだった。しかしながら、名前の頚はまだ繋がっている。腕も脚もだ。
「私、本当を言うと、結構この山気に入ってて……でも貴方と家族になればその問題も解決です。いいものですよ、家族って。家族だけの絆、って、素敵じゃないですか」
「絆……」
 本来であれば、こんな小さな山に二人も鬼が棲むだなんて、あまり好ましい事ではなかった。しかしながら、この小さな鬼は十二鬼月なのだし、ひょっとすると、鬼狩りだって追い返してくれるかもしれないじゃないか。少なくともこのまま那田蜘蛛山を離れ、次の縄張りが見付かるまで放浪するより、名前の生存率はずっと高い筈だった。
 そんな名前の思惑を、解っているのかいないのか。しかし累は、「じゃあ、お前が僕の姉さんになるって事?」と僅かに首を傾げてみせた。正直なところ、彼が名前の提案を呑むとは思っていなかったので、名前はかなり驚いていた。累は、本気で名前と“家族”になるつもりらしい。
「あ、あぁまあ、そうなりますかね」
「……いいね」
 下弦の鬼は、そう呟いてから小さく笑った。初めて見せたその微笑みは歳相応のようで、それでいてどこか懐かしさを感じさせた。しかしながら、打算に塗れた申し出をしたことを、名前はすぐに後悔することになる。
「お前が僕の姉さんになるってことは、お前はこれから僕を命懸けで守ってくれるってことだよね」
「えっ……」思い掛けない累の言葉に、一瞬名前は言葉に詰まった。「と……」
「下の弟妹を守るのが姉の役割だろ」
 名前がそうですねと相槌を打つと、累は眉を顰め、「姉が弟に、丁寧に話すのは変じゃないか?」と呟いた。
「ご、ごめん……」
「……ふふ」
 慌てて謝った名前に、累は小さく笑い声をもらした。それから名前の手をそっと握る。小さな手。「お前の言う通り、家族って良いものなのかもしれない」
「これからはお前がずっと一緒に居てくれるんだよね。ね、姉さん」

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