小夜啼鳥の呼び声

「あーッ!」悲鳴にも似た女の叫び声が、屋敷中に響き渡った。

 しかしながら、不死川は僅かに顔を歪めるだけだ。「うるせェ」
 大声を上げたのは、名字名前。いつの間にか不死川の屋敷に出入りするようになっていた、新人隊員だ。不死川の強さに惚れ込んだらしく、「弟子になる」など何だの勝手に抜かしていたが(そして、その都度不死川は追い返していた)、彼女が居ると家の中が勝手に片付くので好きにさせていた。節度を弁えてはいるのか、必要以上に踏み込んでこないことも、不死川が名前を放っておく理由の一つだ。今だって、彼女は洗濯した衣類を片付けているところだったらしい。
 乾いたばかりの羽織が畳にぶちまけられ、不死川は今度こそ眉根を寄せた。それ俺の服だろうが。
 そんな不死川の様子に気付いているのかいないのか、鬼気迫る様子で不死川の元まで来た名前は、「また!」と大声を上げた。
「そんな怪我をして!」名前が言った。

 ――名前が鬼殺帰りの不死川を見て悲鳴を上げるのは、既に日常茶飯事だった。何せ、本当に毎回の事なのだ。だから不死川は自身の屋敷で絹を裂く様な悲鳴を聞いても驚かないし、よもや鬼が出たのかと緊張が走ることもない。
 最初、不死川は彼女が血の出るような怪我や、もしくは男の身体に慣れていないのだろうと思っていた。しかし、そうではないらしい事はすぐに知れた。
「もう! どうして不死川さんは、そんなに怪我するんですかね! 柱のくせに! 柱のくせに!」
「だからうるさいんだよ名前、つべこべ言ってる暇があんなら手ぇ貸しなァ」
「言われずとも!」
 ぎゃあぎゃあ喚いていた割りに、名前の動きは早かった。失礼しますと一言断りを入れ、不死川の正面に座り込む。そして適切に手当てがされていると知るや否や、てきぱきと包帯を不死川に右腕に巻き始めた。
「何なんですかね、どうしてこんな所に、そんな向きで怪我するんですかね」
「さあなァ」
 ぐっと、包帯の先を縛る名前。彼女が仏頂面をしているのは、不死川の腕の傷が明らかに刀傷だったからだろう。鬼は基本的に自身の血鬼術、さもなければ自身の爪や腕を使うので、刀を持ち出す鬼は多くない。しかし、わざわざ怪我を負った経緯を説明してやる気にはならなかった。
 軽く腕を動かす。可動域に問題は無い。
「お医者様には見せました? お腹の方は?」
「そこまで深い傷じゃあねぇんでなァ」
「またそんな事言って……!」
 不死川の腹には、先の鬼殺で受けたばかりの、大きな裂傷があった。もっとも、範囲は広いものの、寸でのところで身を引いたからだろう、内部には到達していない。この程度の傷で医者にかかっていては、不死川は四六時中病院に居なければならなくなるだろう。悪鬼滅殺は不死川の信条だ。不死川が多少負傷しようと、それで鬼が殺せるのならば安いものではないか。そして、そんな不死川の考えを解っているからだろう、名前もあまり強くは言わない。ただ、本人の前でぐちぐちと愚痴るだけだ。

 名字名前という人間の事を、不死川はある程度は気に入っていた。不死川が気まぐれに稽古をつけてやったり、任務に赴いている時以外、彼女は不死川の屋敷の床を磨いたり、皿を洗ったり、布団を干したりしている。体の良い雑用だ。手放しに「柱の皆さんは皆さんお強いですけど、やっぱり一番お強いのは不死川さんですよねえ」等と言われるのも、さほど悪い気分ではない。
 しかしながら、彼女は聊か口うるさいきらいがあった。
 心配しているのだと、名前は言う。

「ていうか、そんだけお強いんですから、怪我の一つ二つ作らずに帰ってこられないもんですかね」
 消毒液やら何やらを片付けながら、尚も名前はぼやいている。おそらく当て付けのつもりなのだろう。もっとも、不死川にはあまり効果が無いのだが。
「昔っから言うだろうが、肉切らせて骨を断てってなァ」
「馬っ鹿じゃないんですかね!」
 それで死んだら世話無いんですよ!と、名前は勢いに任せて薬箱の蓋を閉めた。
 元来そういう気質なのだろうが、近頃の名前には不死川に対する遠慮というものが欠けている。もちろん不死川が我関せずの態度を取り続けていることも一因なのだろうが、同じ流派の仲間にも、同期にも、ましてや鬼殺隊の誰でも、不死川に対しこれほど無礼な口を利く者は居ない。
「あ、でも不死川さんて背中には傷無いですよね」
「そりゃお前……」
「はい? 何です?」
 背中を斬られるという事がどういう意味を持つのか――どうやら彼女にはピンと来ないらしい。黙り込んだ不死川を見てだろう、「ま、良いんですけど」と名前が言った。
「もうちょっと気を付けてくださいよ、馬鹿の一つ覚えみたいに怪我してくるんじゃなくって」
 そう言って立ち上がり掛けた名前の右手を、不死川はぐっと掴んだ。

 突然手を掴まれた名前は、慌ててもう片方の手を床に着いた。「ちょっと、危ないじゃないですか……!」
「さっきから聞いてりゃ、随分と好き勝手ほざきやがるなぁ、名前」
 不死川がそう口にすると、名前の顔が少しだけ曇った。「お、怒っちゃいました……?」
「いやァ……」
 確かに、馬鹿呼ばわりされてカチンと来はしたが、腹を立てるほどの事ではない。名前の心配もまったくの的外れというわけでもなし、それだけで不死川が怒る理由にはならなかった。
 掴んでいただけだった手を改めて握り締めると、名前の顔に不安が広がったのが解った。不死川が怒っていると思っているのだろう、明らかに怖気付いている彼女を前に、くっと喉を鳴らす。そのまま腕を引くと、名前は慌てたように「ちょっ……」と声を漏らした。
「名前よゥ……」
「な、何ですか」
 震える名前の声に、ますます不死川の嗜虐心が煽られる。もっとも、まるで今から口付けでも交わすのかのような近さだが、生憎とそのつもりは無い。「お前はも少しきちっと言うべきだなァ」
「だから何――ちょ、ちょっと!」
 腹を斜めに走る古傷に、名前の手を触れさせる。名前は最早、抵抗をやめていた。不死川の引き攣った肌に、名前の切り傷一つ無い指先が、ゆっくりゆっくりと伝っていく。
「不死川様がこれ以上男前になるのが嫌なんです――ってな」
「な、なにを……」
「それによ」
 ――今や、名前の顔は耳の先まで赤くなっている。「こいつが好きなんだろォ?」

 不死川がそう言って笑ってみせると、これ以上赤くなる事は無いだろうと思っていた名前の顔が更に真っ赤に染まった。

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