君が為、惜しからざりし命さへ

 ふ、と、名字の口の端から吐息がもれた。それは徐々に連なってゆき、小さな笑い声へと変わっていく。「ふ、そんな、ふふ」
「ふ、そ、そんな事気になさって、ふふ、ふ、は、柱がそんな、き、嫌われてるとかそんな事、ふふ、何それ、あーもうやだ、お腹いたい……」
 小さく笑う名字。くすくす、くすくすと。


 同門の出というよしみもあるが、義勇は思いの外、この名字名前という少女の事を可愛がっていた。例えば同じ任務についた時は、怪我した彼女を家まで連れ帰るくらいの事はしてやるし、剣の修行をつけてやった事だってある。彼女が新人の頃、鎹鴉に特に世話は必要ないと、そう教えてやったのも義勇だった筈だ。歳も近いし、それなりに気心も知れていると言えるだろうが、ここまで笑われる道理は無い。
 冨岡さんの事を聞かせて欲しい――名前がそう言ったから、義勇だって重い口を開いたのだ。先日、那田蜘蛛山で柱の一人とちょっとした言い合いになり、そんなだから嫌われるのだと言われたと。だというのにこの仕打ち。自然と義勇の手に力が篭ったが、名前はそんな義勇に気付いてすらいないのか、小さく笑い続けるだけだった。
 義勇は、あまり友人が多い方ではない。
 鬼狩りとして行動をするのは夜間が主だ。人とはあまり関わらないし、鬼の噂を集めたり、襲われた際の事情を聞きに行く事こそあれ、本能的に鬼狩りという存在を理解しているのか深く関わろうとしてくる人間は滅多に居ない。元々、義勇は社交的な性質とは言い難かったし、自分が歯に衣着せぬ物言いをしてしまう自覚はあった。一番よく口を利くのは鎹鴉だろうが、義勇があまりに素っ気無い態度を取るからだろう、近頃では鴉までもが必要最低限の事しか話さなくなってしまった。それでも、嫌われているというのは言い過ぎだ。
 別に、義勇だって否定して欲しいわけではなかった。それでも、「ああそうなんですか、ひどい事を言いますね」だとか、「冨岡さんは嫌われてなんかないですよ」だとか、そういう適当な相槌を寄越してくれればそれで良かったのに。
 くすくすと、小さく笑い続ける名前。柱だって人からどう受け止められてるか気にしたって良いだろう、と、余程そう言ってやりたかったが、義勇は口にする代わりに再度手に力を込めた。ぎちり。そう音が聞こえてきそうなほどに握る力を強めたが、名前はやはりその事について何も言わなかった。既に痛みすら感じていないのかもしれない。

 元から剣の才があったのだろう、丙まで上り詰めた名前。その名前は今、鱗滝仕込の呼吸を駆使し、地べたに横たわっている。吹き飛ばされた腹はもはや跡形も無く、正直なところ、こうして生きていることが不思議なくらいだった。口の端から漏れていた血のあぶくが、彼女の白い頬に線を引いていく。
「……ね、冨岡さんのお名前って、凄い名前ですよね」
 段々と生気が失せていく。そんな中、名前がぽつりと言った。「義勇、義勇……」
「剣士として大事なその二つを持った冨岡さんは、これからももっと、もっと、もっと、鬼共を沢山屠っていくんでしょうね」
「名字、もう喋るな」
 虚空を見詰める名前の目が、僅かに笑みを象る。「……ふふ」
「やっぱり、冨岡さんてお優しい人ですよね。こうして、ばかなお喋りにも付き合ってくれるんだもの」
 ね、冨岡さん。名前が小さく言った。「もしかして私のこと、お友達だって、そう思ってくれてたりしますか?」


 義勇は何も言わなかった。答える代わりに、名前の手を握る手に力を込める。名前はそれを肯定と受け取ったのだろう、「うれしいなあ」と一人呟いた。
「でもですねえ冨岡さん、実は私、冨岡さんとお友達になりたいだなんて、一度も思った事ないんですよ」
 唐突な物言いに、義勇は一瞬今の状況も忘れ、「は?」と言い返しそうになってしまった。「私ね、もっと冨岡さんと、こうやってお喋りしたかった」
「一緒にカフェーに行ってアイスクリン食べたりとか、活動写真を見に行ったりだとか、もっと、もっと……」
「……名前」義勇が小さくそう口にすると、名前が僅かに義勇を見返した気がした。「もう喋るな、名前」

「……やっぱり、冨岡さんて優しいひと」
 また友達が減っちゃいますね、と、そう言って、名前は笑った。

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