雨が降りやまない道の先で

 雄英体育祭が閉幕してから数日。名前達普通科の一年生は、特にこれといって変わり映えの無い日常を送っていた(ヒーロー科の友人は、登校の際に声を掛けられたりしたらしい)。授業はいつも通りハイレベルだし、ランチラッシュの作る料理はおいしいし、雨は朝から降り続いているし。しいて普段通りでない点をあげるなら、それはクラスメイトの心操のことだろう――心操人使は先日の体育祭で、普通科の中で唯一本選に出場した生徒だった。

 心操人使は名前と同じくC組の生徒だ。そして、名前と同じくヒーロー科の受験に失敗し、諦めきれず普通科に入学したヒーロー志望でもある。特別仲が良いわけではなかったが、名前は一方的にシンパシーを感じていた。
 そんな彼は、先日の体育祭で普通科で唯一本選に出場した。サポート科の女子生徒も居た為、他学科で唯一とはいかなかったが、それでもかなりの快挙だ。雄英体育祭の中継は毎年見ていたが、ヒーロー科以外が予選を勝ち抜く光景は、あまり見た覚えがない。もっとも、心操は結局、本選一回戦目で負けてしまった。それでもあの時会場に溢れた彼を賞賛する声は、当事者でない名前の胸にも深く刻まれた。
 一躍有名人となった心操は、この日一日人に囲まれていた。クラスメイトは勿論の事、隣のD組やE組からも心操を見に来る生徒が絶えなかった。中には“個性”の関係もあってかヒソヒソ話をする輩も居たが、本人は慣れているのかどこ吹く風だ。
 カチリ、とシャーペンを鳴らす。さて。
 名前は板書を書き写していたノートを閉じると、何の気なしに教室の前方を眺めた。心操の席の周辺には、まだ数人のクラスメイトがたむろしていた。体育祭の興奮冷めやらぬといったところだろうか。名前は暫くそんな彼らを眺めていたが、やがて鞄を手に立ち上がり、心操の元へと向かった。まだ「おめでとう」も何も、言っていないわけだし。「心操くん」
 心操はそう呼び掛けた名前を見上げた。どことなく、彼の顔には安堵が滲んでいる。気がする。
「一緒に帰ろー?」
「名字さんまた傘忘れたの?」


 未だ振り続けている雨の中、二人で靴を濡らしながら、通学路を歩く。心操は自前の傘を差して、名前はその心操から借りた折り畳み傘を差してだ。互いの友達に電車通学が多いので、こうして二人きりになるのはさほど不思議なことではない。
 名前は傘を忘れるたび、心操に傘を借りていた。その度に「名字さんこそ折り畳み置いときなよ」と言われるのだが、家に帰った頃には忘れているので仕方がない。彼自身は念の為にと鞄に入れているらしいが、このブルーの折り畳み傘を心操が使っている光景は未だ見たことがなく、近頃では名前専用になっていると言っても過言ではなかった。
 名字さんが声を掛けてくれて良かったよ、と心操が小さく言った。
「あは、何それ。心操くん人気者だったじゃん。よっ、普通科の星!」
「よせよ」
 心底煩わしそうに心操が言った。「面白がってるだけだろ、あいつら」
「二、三日すれば飽きるよ」
「その割りには楽しそうだったけどなあ」
「傘返してもらっていいか?」
 名前は笑いながら、自分の右側を歩く心操から遠ざけるように傘を左手に持ち替えた。
「まあでも凄かったよ体育祭。ヒーロー科の人達と渡り合ってたわけだしさ」
 名前がそう口にすると、心操がちらりと名前を見た。
「……別に」
 あまり嬉しそうではない心操を不思議に思いながらも、「観客のプロも凄いって褒めてたよ」と続けた。

 暫くの間、心操は黙っていた。「……別に」
「ちょっと褒められたからって、何になるってわけでもないし」
 眉を微かに寄せながら、心操は言葉を続ける。名前の方を見ぬままに。「転科もできなかったし、指名だって来なかった。結局それまでって事だろ。どうせ俺なん――」


 言葉にするより先に体が動いていた、などと言えば聞こえは良いが、実際はただの暴力だ。
 名前は掴んでいた心操の襟ぐりを放し、心操は涙目で「何すんだよ!」と名前を睨み付けた。名前渾身の頭突きを喰らった彼の額は、今や可哀想なほど真っ赤になっている。
 一体どう説明すれば良いのか解らないが、ただただ彼の態度に腹が立ったのだ。別にいくら名前もヒーロー志望だからといって、自慢されているようで嫌だったとか、そういう理由ではない。ただ、何かしらしないではいられなかった。
 ――今の一瞬で名前に刺さらないよう傘をどけてくれたところだとか、何度でも傘を貸してくれるところだとか、そういうところが彼の良い所だという事も、一体どう説明したら良いのか。自分でも整理が追い付かないまま、名前は声に出した。「心操くんはさ、ずるいよ!」
「なっ……んだよ“個性”の話か!? どうせおまえだって敵っぽいと思ってるんだろ!」
「違う!」名前が言った。
「ていうか“個性”の話なら私なんかツノ――」名前は自身の頭を指差した。「――生えてるだけだよ!? 心操くんは解ってないよ!」
「心操くんはそうやって自分で敵向きって言うけど私だってそりゃそう思うよ! でも、それでもヒーローになろうとしてる心操くんがかっこいいんじゃん! 解る!? 試合の後の歓声聞いてたでしょ、みんな凄いって言ってたじゃんか! それをグチグチグチグチ……心操くん自分がどれだけ凄い奴かって解ってないでしょ! 怒るよ!」


 呆気に取られて名前を見ていた心操は、やがてハッとなった。それから「もう怒ってるだろ……」と呟くように口にする。
「怒ってないよ! あとおめでとう!」
「今言うのかよ……」心操が言った。「ありがとう……」
「どういたしまして!」
 心操は苦笑いを浮かべていた。「ていうか名字さんが傘借りにくるのって、もしかしてさ……」
 おかしいと思ってたんだよ、と、心操は小さくぼやいた。名前は聊か恥ずかしかったし、もう傘を貸してはもらえないかもしれないなと小さく思ったが、心操の方が名前よりもずっと顔が赤かったし、次に雨が降った時は折り畳み傘こそ貸してはくれなかったが一緒に帰ってくれたので、どちらも些細な問題だ。

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