嘘をつく子供

 ふふ、と、落ち着いた声音で、タイリクオオカミは笑った。左右で色の違う双眼が、ゆるやかな弧を描いていく。「いい顔頂きました」


 にっこりと微笑むタイリクオオカミに、漸く名前は理解した。
「オオカミちゃ……」
「冗談だよ、冗談」タイリクオオカミは笑いながら身を起こした。「まさか私が、本当に名前を食べちゃうわけがないだろ」
 依然として圧し掛かられたままだったが、先程まで感じていた恐怖心は嘘のように消え失せていった。

 名前はいつも良い反応を返してくれるなあと、そう笑っているタイリクオオカミ。そんな彼女にこうして絡まれるようになったのは、一体いつの頃だったか。
 フレンズ化した名前は、暫くの間一人きりで生活していた。その内他のフレンズ達のように何かやりたい事が見付かるだろうと、そんな風に思っていたのだ。しかしながら自分がしたい事が解らず、また元々がシカだった為、単独で生活する事に慣れることが出来ずにいた。結局、偶然泊まったロッジに居着いてしまい、そのままずるずると今に至っている。今の名前はアリツカゲラの手伝いをしながら、日々の生活を送っていた(もっとも、繁盛しているとは言い難いので、特に手が足りないこともないのだが)。
 名前が初めてロッジアリツカに泊まった時には、既に彼女、タイリクオオカミは、ロッジに滞在していた。作家業を営んでいる彼女は、色んなフレンズが訪れるロッジは取材に丁度良いのだと、そう言っていたのを覚えている。
 タイリクオオカミと出会ったばかりの頃は、別段今のように絡まれるようなことはなかった。お互いに無関心だったし、オオカミとシカという関係性も手伝ってか、どちらもあまり積極的に関わろうとしなかったからだ。それがいつの頃からか、頻繁に彼女に声を掛けられるようになった。
 いい顔頂きました――それが彼女、タイリクオオカミの口癖だ。


「……名前?」
 不思議そうに口にするタイリクオオカミに、漸く名前は自分の様子が違っていることに気が付いた。目から零れ落ちる液体の感触が煩わしくて、ぐいぐいと両手で頬を擦る。「まさか泣いてるのか?」
 ナイテルがどういう意味なのかいまいち解らなかったが、すっと顔を近付けてきたタイリクオオカミに、名前は反射的に身を強張らせた。名前の頬を、涙ではない別の熱いものが、下から上へとゆっくりと伝っていく。それが彼女自身の舌だと気付いた時、思わず口から「ヒッ」という声が漏れた。
「……そんなに怖い?」
 再度身を起こしたタイリクオオカミは、少しだけ痛そうな顔でそう言った。「言ったろ、名前を食べたりなんかしないよ」
「私も名前も、どちらも同じフレンズじゃないか。君の怖がる顔が見たくて、ちょっと冗談を言っただけだよ」
「そ、そんなの……」
「うん?」
「そんなの、わ、解んないよお」
 ひんひんと泣き始めた名前に、タイリクオオカミはますます困ったような顔をした。

「オ、オオカミちゃん、すっごく怖い顔で言うんだもん……もし本当に食べられちゃったらと思うと……」名前はぶるっと身を震わせた。「そ、それに、オオカミちゃんなら私の事、ぺろっと一口で食べちゃえるでしょう? それって、す、すっごく怖いんだよう……」
「……一口では無理だよ」
 タイリクオオカミは名前を安心させるつもりでそう言ったのだろうが、「それって一口じゃなかったら食べれるって事でしょう!?」と、名前はますますパニックに陥った。
 次から次へと溢れてくる涙を、名前の顔からすべり落とそうとするように、タイリクオオカミの細い指が一つ一つ掬い取っていく。
「……ねえ、名前」
「な、なあに」
 名前はすんすんと鼻を鳴らした。「私はね、名前が驚いたり、怖がったりする顔を見たいとは思っているけど、泣いてるところは見たくないんだ」
「名前は私が怖い?」
「……うん」
 怖がらせちゃって悪いねと、タイリクオオカミは静かに言った。悪いと思っているのなら、怖い話をするのをやめてくれたらいいのに――名前はそう思ったものの、彼女の顔を見て口を噤んでしまった。「私はね、名前の事が好きだよ」

 だから絶対に、名前を食べちゃったりはしないよ。これは本当――念を押し、微笑んでみせるタイリクオオカミ。
「す、好き……って……」
「その通りの意味だよ。私はもっと名前と仲良くなりたいし、名前の色んな顔が見たいって思ってる。君はいつも良い反応をしてくれるから作品の参考になる、っていうのもあるけれど……好きだよ、名前。ね、名前はどう? 私のこと、嫌い?」


 ――名前が首を横に振ったのは、ここで頷いてしまえば、彼女がきっと、悲しそうな顔をするだろうと、そう思ったからだ。
「……ううん。オオカミちゃんのことは怖いよ。怖いけど……好きだよ。だって私達フレンズなんだもん。おともだち。そうでしょう?」
「……ふふ」タイリクオオカミは笑った。「そうだね」
 それからタイリクオオカミは立ち上がり、尻餅をついたままの名前に手を差し出した。おずおずとその手を取ると、瞬く間に立たされる。いつしか涙は止まっていた。「行こ、名前。お腹が空いたろ? ジャパリまんでも食べにさ」
 手を引かれたまま、二人で階下へと向かう。タイリクオオカミの背を見詰めながら、私のこと食べない?と小さく呟くと、彼女はどうやら笑ったようだった。
「食べないよ。まだ気にしてるの?」
「だって……オオカミちゃんの言うこと、もう何が本当で嘘なのか、全然わかんないんだもん……」
 タイリクオオカミがちらりと後ろを振り返った。青空にできた切れ目のように、彼女の目がすっと細められる。私は嘘なんてついたことないよ、そう言って、タイリクオオカミは静かに笑った。

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