帰り道

 思わず口ずさんでしまった鼻歌に、障子はきちんと気が付いたらしかった。耳聡いというか何というか。「随分とご機嫌だな」と複製腕に呟かせる彼に、「ひさしぶりに障子くんと一緒に帰れるからね!」と笑顔を返す。障子は何も言わなかったが、その雰囲気から聊か呆れているらしいことは感じ取れた。
「あっ、障子くんコンビニ寄ろうコンビニ」
「名字は元気だな」

 彼氏と帰りに買い食いするのが憧れだったのと名前が言うと、障子は「そうか」と相槌こそ打ってくれたものの、今度こそ本当に愛想を尽かしたようだった。名前の食い意地に呆れたのか、それとも些細すぎる事を憧れと称した事に呆れたのか――だって、仕方ないじゃないか。中学はお小遣いを持ってきてはいけなかったのだし。
 障子はコンビニに付き合ってくれはしたものの、アイスを買い込んだ名前と違い何も買わなかった。小さくカットされたそれを落とさないよう気を付けて食べ歩く名前の横で、いつもと同じく黙って歩いている。
 名前の歩幅に合わせ、ゆっくり歩いてくれている障子のその向こう側を、数台の乗用車が通り抜けていく。
「……あ」
「どうした?」
 零れ落ちた呟きを、障子が律儀に聞き返す。「障子くんにもおすそわけー」
 一瞬目を細めた障子を見上げながら、ああ駄目だったかと、内心で呟いた。


 名前と障子は一ヶ月ほど前から恋人同士という間柄だった。名前が告白をし、障子がそれを承諾した。もっとも、特に何をするというわけでもなく、友達の延長のようなものだ。キスもしないしデートもしない。もしかすると手を繋いだ事すら無いかもしれない。それでも時折こうして一緒に下校したり、対話アプリでやりとりしたり、日曜に彼の家に入り浸ったりするだけで、名前は思いのほか幸せだった。
 そりゃ、もっと恋人っぽい事をしたいと、そう思わないわけでもないが。
 ――名前は障子の素顔を見たことがなかった。

 障子目蔵は、普段から顔の下半分を覆うようなマスクを付けていた。おかげで、名前は彼の本当の顔を今まで一度も見た事が無い。出会ったばかりの頃は、喉とかが弱かったりするのだろうかと心配に思っていたものの、どうやらそうではないらしかった。
 以前に一度だけ、素顔を見せて欲しいと頼んだ事があった。しかしながら、障子はその時さりげなく話題を逸らした。緩やかな拒否。気管支が弱いなどの理由があるならそれを説明すれば良いわけだし、そうでないならば、恐らく顔を見せたくない理由があるのだろう。よほどおっかない顔をしているに違いないと、名前はそう睨んでいた。

 自分だけ食べている事への申し訳なさ、単純に美味しいものを一緒に食べたいという気持ち、それから一瞬なら顔を見せてくれるかもしれないというちょっとした打算でアイスを差し出したわけだが、障子は何も言わず名前を見下ろすだけだ。
「はい、あーん」
 名前はつまんだ一口大のそれを障子の口元まで持ち上げたが、障子は動かなかった。
「……名字」
「あは、ごめん」
 別に、素顔は見せてくれなくても良いから、いつかその理由を教えてくれたらいいんだけどな。そんな事を思いながら、腕を下ろそうとしたその時だった。
 障子がアイスをつまんでいる名前の腕を掴んだのだ。そのまま、複製腕の一つを口に変化させ、差し出されたアイスに齧り付く。そのまま名前の口から奪い取ると、もぐもぐと咀嚼し始めた。初めて見たわけではないが、障子の食べる姿は少し不思議だ。
 きちんと歯が生えているんだな、と、呆気に取られていた名前だったが、複製された口がそのまま名前の指先をも口に含んだので、そうも言ってられなくなった。
「しょ、障子くん?」
 指先についた溶けたアイスを丹念に舐め取る彼の口を見れば良いのか、いつも通りの無表情で見下ろしている障子を見れば良いのか。

 ほんの一瞬の出来事だった筈だが、もっとずっと長く感じられた。障子がパッと名前の腕を放す。「……今はこれで勘弁してくれ」
 複製腕でなく本来の口で、ぽつりと呟かれたその一言に、彼に対する好きという気持ちを再認識させられる。「障子くん、手を繋いでもいい?」名前がそう口にすると、障子は少ししてから「制服じゃない時にな」と小さく言った。

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