7番道路を経由しての道のりは、決して楽なものではなかった。火山が隆起して出来たアローラ地方の中でも、ヴェラ火山一帯の高低差はかなりのものだ。きっちり整備された道でもないし、火山に入る前だったとしても軽いハイキングになる。
 しかしながら、カキはあまり苦労しなかった。意外なことに、女がそういった道に慣れているようだったからだ。山道をひょいひょいと降りていく彼女に、カキは半ば感心した。
 ――島巡りという風習はアローラ独自のものだったが、恐らく他の地方でも、似たような文化があるのだろう。そらをとぶを使ってはいけない事を知らないような、しかも同年代のトレーナーだと思ったからこそ道案内を買って出たわけだが、もしかするとそれ自体必要なかったのかもしれない。
 旅慣れた観光客。「あなたはどこから来たんだ?」
 淡いピンク色の花々が咲き乱れた花壇、その傍らに屈み込んでいた女は、カキの言葉が聞こえたのだろう、ぱっと後ろを振り向いた。その手にはうすもものミツが握られている。首を傾げ、聞き返しているような素振りをしてみせる彼女に、カキは小さく「何でもない」と口にした。
 火山公園を下ってくることは少しも問題がなかった。それなのに、彼女があちらこちらへ注意を向け、その度に連れ戻す事の方がずっと手間が掛かったのは、聊か不思議だった。

 ポケモンセンターに着いたカキは、女がジョーイにポケモンを預けているのを黙って眺めていた。元々、赤い屋根が見えた時に別れようと思っていた。しかしながらカキがポケモンセンターを指差し別れを告げ、背を向けたその時、彼女が慌ててカキの手を掴んだのだ。後は一人で行けるだろう、と、カキが言っても伝わらず、結局、目に見えておろおろし始めた彼女に根負けして、一緒にポケモンセンターまでやってきたのだった。
 言葉は通じなくとも、どうやら無事にポケモンを預けることは出来たらしい。もっとも、ポケモンセンターのカウンターでする事など、一つしかないのかもしれないが。モニターに表示された影は一つ、先程のリザードンだけだった。
 ジョーイにリザードンを預け、カキの元まで戻ってきた女は、先程までと同じくにこにこしていた。思わず「良かったな」と声を掛けると、彼女は一瞬だけ虚を衝かれたような顔をしたものの、やがて嬉しそうににっこりと笑った。そして――カキの手を取る。
 突然の接触に、カキは肩を震わせた。火傷だらけの自分のものとは違う小さな手が、カキの腕を掴んでいる。「な、何だ?」
 彼女の指差した先にあったのは、ポケモンセンターの一角にあるカフェスペースだった。


「あの……おれはあまり持ち合わせがないんだ」
 手を引かれながら、恥を忍んでそう口にしたカキだったが、当然のことながら女には通じなかった。おやキャプテン、珍しいね、と店主ににっこりされ、ますますばつの悪い思いをする。
 仕方なく財布を取り出そうとしたところ、それを遮るように隣から声が聞こえた。「エネココア、二つ下さい」

 カキはぎょっとして、声のした方を向いた。当然、隣に座っているのは例の旅行者だけだ。しかしながら、「言葉が話せたのか?」と問い掛けても、彼女はにこにこと笑っているだけだった。恐らく、他地方を旅行するにあたり、簡単な日常会話だけ覚えているのではないだろうか。そうこうしている内に店主が戻ってきた。
 お待たせしましたと差し出されるのは、二杯のエネココア。女は何も言わなかったが、案内をしたカキへの礼と言うことなのだろうし、特別拒む理由も見当たらず、結局カキは彼女の厚意に甘えることにした。エネコの尾に撫でられているような暖かな味わいは、果たして何年ぶりだろう。
「しかし、キャプテンが女の子を連れてくるとはね」店主の言葉に、カキは思わず噎せ込みそうになった。「お嬢さん、どこから来たの? アローラの人じゃないんだろう?」
 問い掛けられた女は、言葉が解らなかったのだろう小さく首を傾げるだけだった。店主もそれを察したのか、尋ね方を変えた。
「お嬢さん、お名前は?」
 子供を相手にしているような、ゆったりとした口振りだ。カキはてっきり、女が答えないだろうと思っていたのだが、予想に反し、彼女は口を利いた。
 ――名前です、と彼女は言った。
 音の響きからして、カントー地方か、それともホウエン地方の出身だろうか。そういえば名を聞いていなかったなとカキが思った時、唐突に女――名前がカキを振り返った。「私、名前、名前です!」
「う、うむ……」
「貴方の名前、何ですか!」
 幼児向けの絵本で見るような定型文に、ぎこちない発音。しかし彼女の言いたいことは充分に理解できる。カキは普通に名乗ろうとして、先の店主の口振りを思い出した。ネイティブの発音は聞き取り辛いだろうと、ゆっくりと口にする。「おれの名はカキだ。カ、キ」
「カキ!」
「ああ」
「カキくん!」
「カキで良い、カキで」
 伝わったのか、伝わっていないのか。カキくんカキくんと繰り返す名前に、カキはとうとう諦めた。

 カキ達のやりとりを見て、静かに肩を揺らしていた店主は――カキはいやに恥ずかしかった――サービスだと言って、カキ達二人にいかりまんじゅうを出してくれた。エネココアには合わないだろうと思うのだが、もしかするとアローラ出身でない名前を気遣ってくれたのかもしれない(実際、彼女は饅頭を見た時、ひどく嬉しそうにしていた)。
「それから、お客さん達のポケモンにはこちらをサービスするよ」
 店主はそう言って、小さな編み籠にポケマメをいくつか取り分けてくれた。既にいかりまんじゅうを頬張っていた名前は、赤色のポケマメを見て目を白黒させている。
「ポケマメだ。知らないのか?」カキがそう口にしても、どうやら名前は“ポケマメ”という言葉すら知らないようだった。
「ポケマメはアローラの名物で、ポケモンの大好物。そうだね、暖かい地方で育つものだし、あまり他の地方には流通していないかもしれないね」
 名前はカキと、それから店主の顔を見比べていた。「ポケマメだポケマメ。ポ、ケ、マ、メ。解るか?」
「ポケマメ……」
「そうだ」カキが笑うと、名前もへにゃりと笑った。
 それから名前は、恐る恐るポケマメに手を伸ばした。赤い豆の山から、その内の一つを手に取る。彼女の手が小さいのか、それともポケマメがよく育っているのか、赤いポケマメは彼女の手には余る大きさだった。
 名前はしげしげとそれを眺めていたが、やがて何を思ったのか、そのままポケマメに噛り付こうとした。カキは慌てて止める。「ポ、ポケモン用だと聞いたろう」
 話を聞いていなかったのかと言おうとして、彼女に通じている筈も無かったことを思い出す。
「ポケモン用だ、ポケモン用」
 不思議そうにカキを見詰めている名前に、見せた方が早いかと、カキは自分のモンスターボールを取り出した。
 現れたガラガラは、カキの持つポケマメに目をきらきらと輝かせる。カキが差し出すと、嬉しそうに食べ始めた。名前を見ると、どうやらポケモンの嗜好品だということは伝わったらしかった。
 彼女もカキと同じようにボールを取り出し、床へと放る。中から出てきたのは、六本の尾を持つ赤い小型のポケモンだ。赤い固体を見たのは初めてだったが、よく似た姿のポケモンを、カキは知っていた。「……ロコンか?」
 カキが小さく言うと、ロコンらしいそのポケモンは小さく鳴いた。

 名前のロコンは生まれて初めて見るポケマメに、興味津々の様子だった。名前の手にする赤い豆の匂いを嗅いでみたり、鼻先でちょんとついてみたり。しかしカキのガラガラが何事かを言うと、恐る恐る齧る。するとポケマメが美味しいものであると気付いたのか、嬉しそうな鳴き声を上げ、一心に食べ始めた。
 カキは暫く、時折ガラガラにポケマメ催促されながら、夢中になってポケマメを与えている名前を眺めていた。ロコン本人よりも、むしろ名前の方がよっぽど嬉しそうだ。まあ、自分のポケモンが嬉しいと自分まで嬉しくなってしまうのは、ポケモントレーナーとしての性だろう。
 名前が顔を上げた。「カキくん、ありがとう」

「……おれは、別に何も」
 カキは呟くように言った。ポケマメをくれたのはカフェスペースの店主だし、カキはただポケモンセンターに案内しただけだ。しかしながら、「どういたしまして」とゆっくり言うと、名前は嬉しそうに笑った。それから二人は、名前のリザードンの体力が回復するまで、ポケマメをやったり、店主の話す島巡りの話に耳を傾けたりしながら過ごした。

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