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 カキが名前という人間を認識したのは、彼女がリザードンを連れていたことがそもそもの始まりだった。

 ――美しいリザードンだった。胴体は鮮やかな橙色に輝き、尾の先に灯る炎は赤々と燃えている。健康状態もさることながら、その肢体に無駄な肉はなく、かなり鍛え上げられたポケモンだということは一目で解った。有名な一流ブリーダーが育てたポケモンだと、そう言われても、もしかすると納得してしまうかもしれない。アローラ地方では比較的よく目にするポケモンだったが、それでも、カキの目にはひどく美しいものとして映った。
 リザードンの傍らには、一人の女が立っていた。彼女が、リザードンのトレーナーなのだろうか。カントー系の顔立ちだが日には焼けておらず、また服装もどこかアローラの人間とは違っていた。
 まあ、あんなリザードンは早々居ないだろうが。
 カキは何ともなしにリザードンと、そのトレーナーを眺めていたが、どうやらリザードンの方は自分に向けられる視線に気付いていたらしかった。首を曲げ、トレーナーに顔を寄せる。まるで何かを語りかけているかのようなその素振りに、彼らの信頼関係が伺える。
 やがてリザードンが頭を起こし、軽く後ろを振り返った。鋭い眼光に射抜かれるが、どうやら敵意は無いらしい。牙を剥くでも、炎を吐き出すでもなく、じいとカキを見詰めている。トレーナーの方もやがてそんなリザードンに気が付き、視線の先を追い、カキに目を留めた。

 やはりというべきなのか、女の顔に見覚えはなかった。年はカキと同じか、それとも少し下くらいだろうか。少なくともアーカラ島の人間ではないだろう。ヴェラ火山を観にやってくる人間は少なくない――しかし、女一人で火山を観に来るというのは、なかなか稀かもしれない。
 ヴェラ火山公園には、彼女の他に人影は見当たらなかった。本当に一人きりで――ポケモンだけを連れて――観光に来たらしい。
 カキがそんな事を考えていると、突然、その女がぱっと顔を輝かせたので、カキは一人たじろいだ。あまりに不躾に見過ぎただろうか。しかしながら、そんなカキの心配を余所に、彼女は両手を挙げ、それからゆっくりと回す。「アローラ!」

「……ア、アローラ」
 女の屈託のない笑顔につられ、カキも思わずそう口にし、両手で円を描いた。略式でなく、正式なアローラ地方の挨拶。
 ――アローラの人間といえど、今時分きちんと挨拶を行う人間なんてそうは居なかった。カキ達のように若い世代だと尚更だ。手をゆらりと大きく回すポーズが、どことなく気恥ずかしく感じてしまう。だから、大体が声を掛けるだけとか、片手を回すだけ、手をちょいと振ってしまうだけの、略式の挨拶に留めてしまうのだ。正式な挨拶をする事なんて、相手のそれに返す時か、観光客を相手にしている時ぐらいだろう。
 彼女の挨拶は正式なものでこそあれ、どこかぎこちないし、角度も微妙に違っていた。本当に観光客なのだな、と、カキは何故か、ある種の寂しさすら感じていた。しかし――挨拶を返されただけで、ああも嬉しそうに出来るものだろうか。

 にこにこと笑っている彼女に、カキ思わず、「良い旅を」と声を掛けた。何を言うつもりもなかったのだが、気付けば口から漏れ出ていたのだ。女はカキの言葉に一瞬不意を衝かれたようだったが、その顔はすぐに満面の笑みに変わり、ぶんぶんと手を振った。


 自分もあんな風に、いつか別の地方に行ければ――と、カキがそう思った時だった。リザードンに向き直ったそのトレーナーと、膝を折り曲げ、姿勢を低くするリザードン。そして、あろうことか女がリザードンにそのまま跨る。「なっ、ま、待て!」

 距離にして、十数メートル。全力疾走の末、やっとの事で女の手を掴んだ。「何考えてる!」
 リザードンが羽ばたく前で良かった。立ち上がってはいたものの、リザードンはまだ翼を広げていた段階だ。既に離陸していたとしたら、流石のカキでも追い付けない。リザードンは迷惑そうに尾を揺らしたが、特にカキを追い払ったりはしなかった。
 女の方はというと、突然目下に現れたカキにかなり驚いたようだった。びくりと体を揺らした後、何を言うでもなく、黙ってカキを見詰めている。
「アローラでは、“そらをとぶ”は法律違反だ!」カキが言った。「乗って良いのは、専用に訓練されたライドポケモンだけなんだ! しかも、あなたはライドギアも持ってない!」
 それぐらい知っているだろう、とカキが大声を上げても、女の反応はいまいちだった。
困ったようにカキを見下ろしている彼女に、一つの推論に辿り着く。「ま、まさか、言葉が通じていないのか……?」
 おれの言ってること解るか――カキがそう尋ねても、女は困ったようにカキを見返すだけだった。


 カキが身振り手振りを交えながら、「アローラではそらをとぶは駄目だ」とか、「やってはいけないことなんだ」とか、最終的に「リザードン、駄目!」等と言い続けていると、どうやら女の方も、カキの言わんするところを理解したようだった。
 彼女の視線が自身の手に注がれ、カキは慌てて手を離す。カキは未だ、彼女の腕を掴んだままだったのだ。女は慣れた動作でリザードンから降りると、そのままボールへ戻した。何かを言いたげに自分を見ていたリザードンが、ひどく印象的だった。

 ――別に、余所の地方から来た人間がそらをとぶをしようと、放っておいても良かったのだ。確かに、アローラではそらをとぶは法律で禁じられている。しかし重犯罪というわけでもない。地方によっては資格さえ有していれば移動手段として使っても良い筈で、せいぜい罰金を取られるくらいが関の山だ。
 しかし、カキはキャプテンだ。目の前で規則を破る人間を止めないわけにはいかないし、そうでなくても、持ち前の正義感が放っておかなかったに違いない。ライドギア無しにリザードンに乗ることへの危うさも、彼女を止めた理由なのかもしれなかった。
 カキが一人ほっとしていると、女が何事かを口にした。怒ってはいないようだ。流暢に喋っているものの、まったく聞き取れない。「えっ、何、何だ?」
 女が何かを口にし、カキが聞き返す。それを何度か繰り返した後、彼女は提げていた鞄から一冊の本を取り出した。やたらポップな文字で書かれた、「アローラ」という文字だけ、カキは何とか読み取ることができた。どうやらガイドブックのようなものらしい。ぱらぱらと捲っていた女は、やがてあるページの一点を指差した。
「……ポケモンセンター?」カキが言った。
「ポケモンセンターに行きたかったのか?」
 カキが言ったことが解ったのか、それとも単に、“ポケモンセンター”という単語だけ聞き取れたのか。女は、ぶんぶんと首を縦に振った。それから何かを説明するように、つらつらと言葉を紡いでいく。当然、カキは彼女の言葉を聞き取ることが出来なかった。もっとも彼女の方も、別段カキに理解させようとはしていないらしい。山の麓辺りを指差し、それからまたガイドブックのポケモンセンターを指差す。

「――此処からなら、ロイヤルアベニューが一番近いか……」
 そう呟いたカキに、女は不思議そうな顔をした。まるで、何を言い出すのかと、そう驚いているようだ。もっとも、驚いているのはカキ自身であり、彼女は単に言葉の意味が解らなかっただけなのだろうが。「行こう、おれが案内する」
 カキがそう口にすると、女は今度こそ、ぱちくりと目を瞬かせた。

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