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 結局、名前はその場に居た他校生全員を重力で磔にし、自分のボールを押し当て事無きを得た。友達が来るまで待った方が良かったのではないかと、そう気付いたのは後になってからだ。後悔もそこそこに、ターゲットから発せられる人工音声に駆り立てられるようにして、名前は控え室へと向かった。

 控え室には既に二十人ほどの生徒が集まっていた。最低でも百人は入れる筈なので、部屋にはまだかなりの余裕があった。簡単な軽食も用意されており、どうやら合格者が出揃うまで此処で待てということらしい。
 指定場所でターゲットを取り外した名前はクラスメイトの姿を探したが、どうやらまだ誰も来ていないようだ。そんな馬鹿な。やはりあのまま皆を待つか、むしろ皆を探して、一緒にクリアした方が良かったんじゃ――と、名前がそう冷や汗をかき始めた時、「あー!」という大きな声がして、名前はびくっと身を震わせた。「雄英の人っスね!」
 人の間を掻き分け、のし歩いて来た男子生徒に、名前は訳も解らず困惑した。他校の生徒が、何故自分の顔を見て近寄ってくるのか。その男子生徒がかなりの強面で、それでいてかなり良いがたいをしていた事も、名前の動揺を後押ししているだろう。コスチュームもゴツい。
 しかしながら、その男子生徒は名前の前まで来ると、にぱっと人好きのする笑みを浮かべた。この笑顔には見覚えがあった。会場に入る前、名前達の円陣にちゃっかり加わっていた、士傑高校の生徒だ。「俺、夜嵐イナサっス!」
「……はあ」
 名前の気の無い返事を聞いても、夜嵐は少しも躊躇わなかった。「俺、雄英大好きなんスよ!」
「だから雄英の人が来てくれて嬉しいっス!」
「……そうですか」
「そうっス!」夜嵐はにこにこと笑っている。「あ、あとコスチュームエロいっスね!」
「はあ、そう……」
 名前は一瞬、何を言われたか解らなかった。「……はあ!?」

 名前はぎょっとして夜嵐を見たが、彼はそんな名前を見ても、少しも気にならないらしい。雄英の此処が良いだの、体育祭は凄かっただの、勝手に話し続けている。
「さっき地震みたいなのあったんスけど、アンタがあれやったんスか?」
 夜嵐は興味津々といった調子で、名前を見詰めている。「雄英体育祭、録画したの腐るほど見たんスけど、アンタの“個性”全然解んなかったっス!」
 にこにこと笑っている夜嵐に、名前は何と言えば良いのか解らなかったが、やがて諦めた。彼はきっと、こういう人種なのだ。人の迷惑を顧みない、そんな感じの。先程から、既に控え室に居た生徒達は皆名前達を見てひそひそと指を指していたし、後から来た生徒達も明らかに二人を避けて通っていた。その為、名前は酷く居心地の悪い思いを味わっていたのだが、夜嵐はというと少しも気に留めていないようだったのだ。
 しかしながら、彼が相当の実力の持ち主だということは、もはや疑いようがなかった。試験前、相澤が言った。彼は昨年度の推薦入試で、首位の成績だったのだと。しかもその上で、雄英への入学を蹴ったのだと。1500人以上居る受験者の中で既に勝ち抜けている、その事が彼の強さを裏付けていた。
 まあ悪意は無さそうだしなあと、名前が力無く「私じゃないです……」と呟くと、夜嵐は「何だそうなんスか!」と明るく言った。

「つか何で敬語なんスか? タメ口で良いスよ、俺一年なんで!」
 ニコニコと笑っている、それでいて離れる気の無いらしい夜嵐を見ながら、名前は少しだけ考えた。もしかすると、名前達が他の受験者から遠巻きにされているのは、名前が雄英で夜嵐が士傑という、それだけの理由ではないのかもしれない。彼は恐らく、名前以外にもこのテンションで話し掛けていたに違いない。
 早くどこか行ってくれないかなと、そんな失礼な事を考えつつ、どう答えようか迷っていると、背後から「穴黒」と呼び掛けられた。振り返ってみれば、轟が名前を呼んでいるところだった。「轟くん……!」
「あの、友達来たんで――」
 名前はそう言って再び夜嵐を見上げたが、一瞬びくりと身を竦めた。彼の顔から先程までの笑みが消え失せ、完全な無表情、ともすると憤懣遣る方ない気持ちを抱えているような、そんな顔をしていたからだ。その彼の目は、ただ静かに轟を見据えている。
 あの、ともう一度名前が呟くと、夜嵐は名前の存在を思い出したのだろう、今までの無表情が嘘のようにまた元の人懐っこい笑顔へと戻った。
「そうスよね!」夜嵐が大声で言った。「すんません!」


 じゃあ穴黒さん、俺はこれで! ――その名の通り嵐のようにやってきた夜嵐は、嵐のように去っていった。呆気に取られていた名前だったが、ハッと我に返り、轟の元へぱたぱたと駆け寄る。轟とは特別仲が良いわけではないが、一人きりで、しかも得体の知れない他校生と話しているよりずっと良かった。
「ありがとう轟くん、すっごく助かったよ」
 名前が心の底からそう口にすると、轟は微かに眉を寄せた。「別に、礼言われるような事はしてねぇが……」
「穴黒、今の奴知り合いか? 士傑だったよな」
「えっ、ううん」名前は首を振った。「轟くんの知り合いじゃないの?」
 そう尋ね返すと、轟は少しの間考えるような素振りを見せたものの、やがて「覚えがねえ」と小さく言った。夜嵐のあの反応はてっきり轟と知り合いで、仲が悪いからこそだと思ったが、そうではなかったのだろうか。
 もしかすると、轟でなく他の誰かを見ていたのかな。そんな事を考えていた名前だったが、ふと轟が笑った事に気が付いた。「何だ穴黒、泣いてんのか」
 からかうようなその口振りに、名前は面食らった。
「な、泣いてない」名前が言った。「その、もし誰も来なかったら、どうしようかと思っちゃって……」
「へえ、自分だけだと思ったのか。案外自信家なんだな」
「轟くん!?」
 轟は肩を揺らした。「冗談だ」
 腕平気か? と、そう普段通りの口調で尋ねてくる同級生に、名前は小さく頷いた。もしかすると、彼はかなり緊張しているのではなかろうか。少しして八百万達が到着し、その数分後に緑谷達が、そしてぎりぎりの所で飯田達が通過し、A組は全員が一次試験に合格した。

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