生クリイムのつくりかた
チェイテ城での一件以来、茨木童子はすっかり洋菓子の虜になっていた。果実で鮮やかに彩られたタルト、珠玉と見紛うばかりのキャンディ、それから牙までとろけてしまいそうなチョコレイト。
しかしながら、マスターは常日頃から菓子を携帯しているわけではないし、緑のいい人――ロビンフッドは毎度茨木童子の求めに応じていてはキリがないと思ったのか、近頃では茨木童子がその姿を目にする前にサッと身を隠してしまう事の方が多かった。そんな中、茨木童子が目を付けたのは、人理継続保障機関内部にある厨房だった。
ふんふんと、無意識の内に鼻歌を口遊む。「名前ー!」
自動扉が開き切るその間ももどかしく、茨木童子は目の前が拓けるや否や中へ飛び込んだ。厨房には数人の職員が居り、彼らは揃って「またか」といった顔をしていたが、不思議と不快感はなかった。「名前、名前ー!」と、目当ての人物の名を呼びながら辺りを歩く。
「……名前!」
名前・名字は再三の呼び掛けに漸く気が付いたのか、ハッと身を竦ませ、それから自身の傍らに立つ茨木童子を見下ろし、「茨木童子さん」と小さく口にした。
「吾が呼んでおるのに、返事の一つも寄越さんとは!」
「す、すみません……」
「いや、よい、許す」どこぞの王侯貴族のような返事だ。何となく癇に障り、「吾は鬼の首魁、人間どもが如何様であろうとも全ては瑣末な事よ」と胸を反らした。申し訳なさそうにしていた名前もやがてはくすくすと笑い始め、茨木童子もにんまりと笑った。
名前はカルデアの医療スタッフの一人だった。それが何故このような場所に居るかというと、先の爆発事故により二百人以上の人員が失われた為、彼女が一時的に厨房を肩代わりしているからだ。今ではマスターを始め、カルデア職員の食事は、その殆どを名前が管理していると言っても良かった。
実家が食堂をやってるからなんですってと、名前は笑っていた。
「名前、吾は今日、パウンドケーキとやらが食べたいぞ!」
「パウンドケーキですか……」名前が言った。「解りました、少し待っていてくださいね」
にっこりと笑ってみせた名前は鍋の火を止め、それからせかせかと歩き回り始めた。確か作り方の本があった筈、等とぶつぶつ一人で喋っている。鶏で取られた出し汁が、ふわんと茨木童子の鼻を撫でた。
本来、サーヴァントである茨木童子に食事は必要ない。魔力はカルデアから充分補給されるので食事で補う必要はないし、生来食にうるさいわけでもなかった。しかし甘味は別だ。
マスター曰く、甘いものは別腹という言葉があるらしい。
茨木童子の場合は文字通りのそれだった。必ず摂取しなければならないものではないが、とろけるように甘い菓子を口にすれば、それだけで体に魔力が通うような、そんな満ち足りた気分になるのだった。名前に言えば、大抵の物は作ってくれる。厨房に足を向けることは、いつしか茨木童子の日課となっていた。
等分された材料を混ぜ、生地を型へ流し込み、早くも焼成に入った名前は、茨木童子の視線に気付くと、「もう少し待っていてくださいね」と微笑んだ。
「名前、パウンドケーキは甘いのか?」
「えっ……そうですねえ、甘くて美味しいですよ」名前はそう言ったが、茨木童子の好みを既に把握し切っているからだろう、「うーん、茨木童子さんには少し物足りないかもですね。何て言うんでしょう、控えめな甘さというか」と付け足した。
「そうか……むー、イチゴもブドウも入っていなかったものな……」
「あら、しっかりご覧になっていたんですね」
「当然よ」茨木童子が言った。「名前、あれだ! あれを乗せよ! 白くて、甘い……シフォンケーキを作った時に乗せたやつよ!」
シフォンケーキ、と名前が呟いた。「生クリームですかね。白くてぺたぺたしたやつですよね」
名前の言葉に、それだと頷いた。
クリイム、クリイム――そう茨木が連呼すると、名前は苦笑気味に「はいはい」と頷いた。片付けをしていた手を止め、新たにクリイムを作る用意を始める。銀色に光る丸い器、それから金属の細い棒を連ねた道具を持ち出す名前。「――名前、吾がやる」
「……えっ」
「その器に、牛の乳を注いで混ぜるのだろう? 吾はきちんと見ておったぞ、前の時にな!」
かしかしと、道具を――泡立て器というのだと、名前に教えてもらった――動かし、クリイムの素を混ぜる。掻き混ぜる度に空気が含まれて行き、段々と見知ったクリイムのようになっていく。
勢い良く混ぜすぎたせいで、ホイップクリームが指に跳ねた。たまらず舐め取ると、口の中に仄かな甘みが広がっていく。あまい。
ふと、茨木童子は顔を上げた。いつから見ていたのか、名前がじいと此方を見ているところだった。要領の良い彼女は常に何か料理の仕込をしていたり、片付けをしているのだが、珍しく何もせず、ただ茨木童子を眺めている。
吾には出来ぬと、そう思っているのか。
茨木童子はそんな風に考え、少しだけムッとしたものの、どうやらそうではないらしかった。
名前が茨木童子に手を伸ばし、その鼻の頭の辺りを触る。どうやら、鼻先にもクリイムがついていたようで、名前の指先が白く汚れた。それから、段々と名前の目の淵に水が溜まっていく。
茨木童子を抱き締めたまま、声を抑えるようにして泣く名前に、茨木童子は何と言えば良いのか解らなかった。血が出ているわけでも、腸が飛び出ているわけでもない。まして腕すら千切れていないのに、何故名前が泣いているのか、茨木童子には少しも理解できなかった。しかし邪魔だと一蹴する気も何故か起こらず、ただ、クリイムが混ぜにくいなと、そう思った。
「名前、吾にとってはクリイムを作る事など造作も無いことよ」茨木童子が言った。「イチゴを盛るのもブドウを盛るのも、吾にとっては赤子を縊り殺すことと相違ないぞ」
名前は小さく「うん」と言い、そしてまた少しだけ泣いた。
人理焼却が叶わぬ夢となった後も、茨木童子はカルデアに留まっていた。緑の賢人は食い意地が張っているだけだろうと揶揄したが、まさか、別に、フルーツタルトやら、キャンディやら、チョコレートバーやらが惜しくて残ったわけでは断じてない。
俄かに活気の溢れたカルデア内を走り、厨房へと向かう。「名前ー!」
今日はシュークリームが食べたい――そう言おうとした矢先に抱き付かれ、茨木童子は瞠目した。それから、いつぞやと同じように泣き始めた名前。しかも、今度は大声を上げている。
故郷に残してきた妹が居るのだと、そう言っていた。茨木童子と同じような背格好の、妹が、居るのだと。
茨木童子は名前を振り解くことも、抱き締め返すこともせず、ただ名前が泣き止むのを待っていた。またクリイムを作るのを手伝ってやるかと、そんな事を思いながら。
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