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 休憩時間となり、名前は飲み物を買うべくTDLを後にした。“個性”の長時間使用にも慣れてきていたものの、やはり一度腕を冷やしたい。自販機前までやってきて漸く一息ついた名前は、思わぬ人物に出くわした。「あれ、飯田くんだ」
「ああ、穴黒くん」
 名前の声に顔を上げた飯田は、どこか疲れている様子だった。そうか、もう休憩の時間か、と、一人呟く。
「飯田くんも休憩?」名前がそう尋ねると、彼は首を横に振った。
「いや、俺は工房へ行ってきたところだ。頼んでいたラジエーターの試作が出来たというのでな」
 そう答えた飯田はやはりどこか疲れているように見え、名前は内心で首を傾げる。疲れているというか、気力が失われている気がする。空笑いを浮かべる飯田に、名前は新たに買った缶ジュースを渡した。困惑した様子の飯田に、名前は「疲れてるみたいだったから」と半ば強引に受け取らせる。
 ――実際のところ、飯田は発目明の強烈な個性に当てられただけだったのだが、名前は発目を知らなかったし、そもそも工房に訪れたこともなかったので、説明されたところで解らなかっただろう。
「ありがとう」飯田が言った。「しかし、何故オレンジジュースを……」
「あれ? 飯田くんよく飲んでるよね?」
 名前がそう言うと、飯田は聊か複雑そうな顔をした。彼が何かを飲んでいる時は大体オレンジ味だったと思ったのだが、名前の記憶違いだったのだろうか。以前一緒に昼食を食べた時も、確か彼が飲んでいたのはオレンジジュースだった筈だ。
 嫌いな銘柄だったのかなと思ったその時、「まあ、そうだな」と飯田が言った。四角四面な性格をした彼にしては、珍しく歯切れの悪い言い方だ。
「よく飲んではいるが、特別好きなわけではないんだ。“個性”に必要だから飲んでいるだけで」
 ガソリンのようなものなんだよと付け足す飯田に、名前は慌てた。もし嫌いなのに我慢して飲んでいるのだとすれば、申し訳ないことをしてしまったからだ。慌てて自分のと交換しようかと持ち掛けるものの、彼は笑うだけだった。「気にしないでくれ。ありがたく頂くよ」

 勘違いだったとはいえ、まあ本人がそう言うのならと名前がベンチに腰掛けたところ、意外にも飯田も隣に腰を下ろした。てっきり、そのまま立ち去ると思っていたのだが。彼は小脇に抱えていたヘルメットを横に置くと、名前が渡した缶ジュースを開けた。コスチュームのままなのに器用だなと思って見ていたのだが、そんな名前の視線に気付いたのだろう、飯田が名前の持っていた缶にも手を伸ばした。
 何も考えず促されるままに自分のジュースを手渡してしまった名前だったが、再度缶ジュースの開く音がした時、ハッと我に返った。
「ご、ごめん、ありがとう」
「いや」
 別にそういう意味で見ていたわけではないのだが、“個性”の使い過ぎで缶を握ることすら困難な身としては有難かった。飯田と二人、並んでジュースを飲む。なかなかにおかしな光景ではあったものの、不思議と嫌ではなかった。

 圧縮訓練が思っていたよりキツいという事に始まり、いつしか話題は必殺技の事へと変わっていた。進み具合はどうだいと尋ねられ、名前は苦笑を返す他なかった。
「まだ全然」名前が言った。「飯田くんは良いよね、レシプロバースト!」
 速いし格好良いしと呟くと、飯田は笑ったようだった。「まだそれだけだがな」
「だが、うむ、あれが必殺技で良いと言われた時は嬉しかったな。何だか自分がやってきた事をプロに認めて貰えたような気がして」
「穴黒くんの“個性”は攻撃にも使えるのだし、そう悩むことはないのではないか?」飯田が言った。
 それから例えばああいうのはどうだ、こういうのはどうだ、と、必殺技について意見を述べる。名前の為を思って、してくれているのに違いなかった。
 名前の笑みがぎこちない事に気付いたのだろう、「気が進まないのかい」と飯田は尋ねた。名前が答えられずにいても、彼は少しもがっかりした様子を見せなかった。
「“必殺技”と聞くと、つい攻撃の手段と思ってしまうが、エクトプラズム先生が仰ったように、必ずしもそうである必要はないんだ」飯田が言った。
「僕は兄に憧れ、ヒーローを志した。君もそうなんだろう?」

「……ん、そうだね」
 名前が小さくそう言うと、飯田は笑ったようだった。


 名前は立ち上がった。圧縮され、見る影も無くなったスチール缶を、そっと屑かごへ捨てる。「ありがとう、飯田くん。私、やってみるね」
 緑谷の背に憧れ、ヒーローを志した。そして、13号のようなヒーローになりたいと、そう思った。――ヒーローは置いていくものだと13号は言ったが、それでも、名前は彼らのようになりたかった。
「やっぱり、飯田くんはヒーローだね」
 やっと決心が着いたと名前が笑っていると、飯田は何故かぽかんとした様子で名前を見上げていた。どうしたのかと問えば、やがて小さく首を振る。
「いや、その……君にそう言われたのは二度目だと思ってな」
「……えっ! そ、そうだっけ?」
 静かに笑っている飯田に、名前は困惑した。
 改めて指摘されると、かなり恥ずかしい事を言ってしまったような気がする。その上、彼の言葉が正しければ名前がそれを口にしたのは二度目なのだという。
 いつそんな事を言ったのだろう、と、名前が懸命に思い出そうとしている間に、飯田も立ち上がっていた。潰れていないそのままのスチール缶が、ごみ箱の暗い穴の中へと静かに吸い込まれていった。


 名前が自分の考えを話すと、エクトプラズムは「ソウカ」と言った後、「ソレナラ此処デヤッテミロ」と事も無げに言った。
「えっ、こ、此処でですか?」
 実際にやってみるように言われるだろうとは思っていたが、てっきりセメントスに協力を仰いだ上でのことだろうと思っていた。名前は躊躇していたものの、エクトプラズムに急かされた末、とうとう実行に移すことにした――地球の引力と同じ程度の重力を、体育館の天井に発生させる。
 ふわっ、と、どこか小気味の良い気分に浸れたのは、その一瞬だけだった。
 体育館全体が擬似的無重力空間となったその次の瞬間、クラスメイト達はすぐに犯人が名前だと察しを付けた。当然、非難轟々だ。放った爆破が的から大きく外れてしまった爆豪は「このドベ女ァ!」と怒鳴り散らし今にも新技を披露しそうだったし、自分が出した酸がふわふわと浮かんでいるのを見た芦戸は「ちょっと穴黒、これどうしてくれんのー!」と笑いながら言う始末だった。名前はすぐに“個性”の発動を解いたが、それでもブーイングは収まらなかった。
「だから言ったのに……」名前はしょぼくれた。「それに、やっぱり、これも実戦には使えないですよね……」
 重力に逆らいはためいていたマントも元に戻り、すっかりいつも通りになったエクトプラズムは、少しの間考えていたようだったが、やがて「ソウダナ」と言った。
「確カニ“必殺技”ト言エルホドノ威力ハ無イガ、コウシテ虚ヲ衝クコトハデキル。ソレニ君ノ場合、コウイッタ技ハ特ニ重要ダ」
 必ずしも敵を攻撃するものでなくとも良いのだと、エクトプラズムは再度言った。「ソレニヒーローハ、モチベーションヲ保ツ事モ大事ダカラナ」

 名前がはあ、と小さく言うと、エクトプラズムは微かに笑ったようだった。

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