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 彼女が何を指してそう言ったのか――結局のところ少しも解らなかったが、それでも名前は、普段通りに戻った蛙吹に安心を覚えた。彼女が飯田を止められなかった名前を許容してくれたとは思わないが、それでも、今まで通りの友達で居てくれることに、これ以上無い嬉しさを感じたからだ。その後、名前は蛙吹が部屋を片付けるのを少しだけ手伝い、彼女の部屋を後にした。
 自室に戻り一息ついた名前だったが、不意に響き渡ったノック音に顔を上げた。そういえば芦戸達が部屋を見せ合おうと言っていたなあと、そんな事を思いながら「はぁい」と返事をし、名前はドアを開けた。しかしながら、廊下に立っていたのは芦戸達だけではなく、今まさにドアをノックしていたと言わんばかりの葉隠を始め、1年A組のほぼ全員が揃っていた。

「全員でやってたんだ……」
 思わず漏れた名前の呟きを聞いたのだろう、隣に立っていた尾白が「爆豪と蛙吹さんは居ないけどね」と訂正を入れた。
 楽しそうに名前の部屋を物色している友人達を遠巻きに眺めながら、名前は一人疎外感を味わっていた。彼らは既に、それぞれの部屋を回ってきた後だという。その上で、インテリアセンスのナンバーワンを決めるのだと。留守にしていたから仕方が無いとはいえ、自分だけ皆の部屋を見ていないなんて寂し過ぎた。後でそれぞれに見せてもらおう、と、名前は密かに決意する。

 その後、一階の共同スペースに集まり、自分へは無しという条件で投票が行われた。当然、蛙吹以外誰の部屋にも訪れていない名前は参加せず、代わりに開票を手伝った。第一回部屋王に輝いたのは、意外なことに砂藤だった。
 何となく、そういったセンスだとかは八百万や、上鳴なんかが良さそうだと思っていた。無骨なタイプに見えるのに案外お洒落なんだなと名前は考えたのだが、事実は少し違ったらしい。「ちなみに全て女子票! 理由は『ケーキ美味しかった』だそうです」
 砂藤の部屋を訪れた際、名前以外は皆、手作りのシフォンケーキを振舞われたそうだ。しかも、それがかなり美味しかったのだという。それこそ、単独で票を集めてしまうほどに。合宿で言っていたのは何だったのかと名前が恨みがましげに見遣ると、そんな名前の心境を正しく理解した砂藤は「今度作ってやるから」と困ったように眉を下げた。


 次の日から圧縮訓練が始まった。名前達に提示されたのは、――“必殺技”を身に着けること。
 何故必殺技かというと、仮免許取得の際には実技試験があり、その合格を確実なものにする為だという。見られる項目は数あれど、純粋な戦闘能力こそ、これからのヒーローに必要とされる。状況に左右されることなく安定行動を取ることが出来れば、それは高い戦闘能力を持つことに繋がるのだと、セメントスは言った。
 体育館γ――トレーニングの台所ランドに場所を移し、生徒それぞれがエクトプラズムの分身を相手に訓練を開始したが、名前の場合のそれはひどく難航していた。必殺技、そう言われても、ピンと来るものがなかったのだ。
「どうでしょう……」
 名前が呟くように言うと、名前と同じようにセメントで出来た壁を地として立っていたエクトプラズムは、少しの間の後「ソウダナ」と言った。引力に逆らい切れないマントが横向きに垂れ下がり、なんとも間の抜けた格好になっていたが、彼は真剣そのものだった。
「相手ヲ混乱サセル事ハ出来ルダロウ。足場ヲ作ル“個性”ヲ持ッタ仲間ガ居レバ、自分ダケニ有利ナ空間ヲ作ル事モ可能ダ。タダ――」
 エクトプラズムは手を振り、名前に“個性”の発動を解くよう指示した。言われた通り名前が重力を通常に戻すと、発生していた重力は途絶え、セメントスが作った壁はただの壁となった。当然、地球の引力に引かれるまま、二人は落ちていき、エクトプラズムは颯爽と着地したものの、名前は不恰好に転がる結果となった。
「身体能力ノ高イ者カラスレバ、特別ドウトイウ事モ無イ。ムシロ、君自身ガ足場ヲ作ル事ニ集中スルセイデ、他ガ疎カニナッテシマウ。足場ガ崩レタラソレコソ宇宙マデ落チテ行キカネナイシ、トテモジャナイガ、現時点デ戦闘デ使エルモノデハナイナ」
 はあ、と名前が頷くと、「マア、ヒーロートシテ、ドンナ場所デモ移動出来ルノハ大キナ利点ダ」とフォローを入れた。

 そういえばオールマイトにも、前に同じ事を言われたな――オールマイトは今、生徒達にアドバイスをして回っているところだった。どうやら必殺技に魅力を感じるのは生徒本人だけではないらしく、彼はここ数日の間、何度か顔を見せていた。
 平和の象徴、オールマイト。
 彼が笑っている、それだけで名前達も笑うことができた。彼の声を聞くだけで、心から安心することができた。抑止力としてのオールマイトは失われつつあったが、それでも、名前達にとって、彼は平和の象徴に他ならなかった。
 そういえば、と、名前はオールマイトを見ながら思い出した。今、麗日に何事か助言を与えている彼は痩せ細っている。神野の悪夢以来それが彼の真の姿だという事は全世界に知れ渡っていたが、名前は以前、あの姿のオールマイトに会ったことがあったのだ。A組の皆で、木椰区へ買い物に行った日。警察に何らかの用があったらしかった彼は、警部の塚内と、それから緑谷と一緒に、確かに三人で何事かを話していた。
 緑谷は、以前から彼の本当の姿を知っていたのだろうか。
 名前はあの時のオールマイトの言葉を咄嗟で出た嘘だと思っていたのだが、もしかすると本当に血縁関係にあるのかもしれない。そう考えてみると、“個性”もよく似ているような気がした。オールマイト並みのパワーを持っているからこそ、緑谷は上手く使いこなせず、怪我を負ってしまうのかも。
 名前が一人そんな事を考えていると、後ろから「サボってんなよ」と声を掛けられた。振り返ってみればそこに居たのは上鳴で、どうやら消えてしまった分身を新たに作って貰うべく、一番手近に居たエクトプラズムに頼みに来たらしかった。しかし名前の相手をしてくれているのも“個性”で作られた分身の為、「我ニハ不可能ダ」と断られてしまっていた。分身はエクトプラズム本人にしか作れないのだ。
「穴黒はこんなん簡単じゃね? 色々できそうじゃん」
「そうかな……」名前が言うと、上鳴は不思議そうにした。
「敵纏めて壁に張り付けたりとかさあ……あとホラ、殴る時とか重力加算したら、威力上がりそうじゃね?」
 すらすらと必殺技案を出す上鳴に、名前は半ば感心した。実際にそれを名前が出来るかどうかは別として、そう言われてみると、確かに必殺技らしく仕上げることは出来そうだった。敵退治向きの“個性”だと、フォースカインドも言ってくれたではないか。
 しかし、うっかり重力を発動する方向やその力加減を間違えば、名前の腕がひしゃげてしまうだろう。それどころか、ともすると相手をスプラッター映画さながらの状態にしてしまうかもしれない。名前が渋い顔をすると、上鳴は「苦戦してんなあ」と微かに笑った。

 どうやら上鳴の相手をしていた分身が消えたのは、高圧電流を流し過ぎたせいらしい。どうやら彼も苦戦しているようだ。「どうにかして、的を絞れりゃいんだけどな……」
「その辺俺よりかは楽じゃね? 範囲も限定できんだろ?」
「ある程度は、だけど……」名前が言った。
 そっかあと残念そうに言った上鳴は、「センセーなんかアドバイスないスか?」とエクトプラズムに問い掛けた。しかしながら、彼は「我答エヲ与ウルモノニ非ズ」と突っ撥ねるだけだった。厳しいな、と上鳴が呟く。名前も苦笑を浮かべた。

「やっぱり私にとってヒーローっていうとお兄ちゃんだし、必殺技ってなると、なかなかピンと来ないんだよね」
「あー」上鳴が納得したように頷いた。
「そういや、13号先生って変わってるよな。すっげえ敵退治向きの“個性”なのに、救助一本とかさ」
「ああ……」名前は少し考えた。確かに、兄の“個性”は敵退治向きに見えるかもしれない。「お兄ちゃんの“個性”だと、生き物でもバラバラになっちゃうんだって。敵でもバラバラは不味いもんね」
 名前が説明すると、「そ、そっか」とどこか引き気味に言った。
 もっとも、兄がそれだけを理由に救助系ヒーローをしているのかどうかは解らなかった。名前が救助系ヒーローに憧れるのは兄あってのものだったが、彼は何を思って、救助活動のみを行っているのだろう。
 今度聞いてみようかなと名前が少しだけ思った時、「まあバラバラは問題ありだけどさァ」と上鳴が言った。
「それでも敵退治でなく救助に生かそうってのがすげえよな。なんつーの? 心意気? みたいなやつがさ」

 上鳴の素直な賛辞に、名前は照れざるを得なかった。裏表の無い彼の言葉だからこそ、余計にむず痒い。勿論名前を指して言っているわけではないのだが、それでもだ。
 えへへと笑っていると、上鳴が自分を見ている事に気付く。「……穴黒ってさあ、そういうとこ直した方が良いと思うよ」
 彼が何を指して言っているのか解らず問い返そうとしたところ、新しく出現したエクトプラズムに、二人揃って蹴られてしまった。

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