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 家に帰った名前を出迎えたのは、当然13号だった。「おかえり、名前」
 学校が夏休みに入っているにも関わらず、どうやら随分と遅い帰りだったらしい。夕食の支度の途中だったのだろうか、台所の方から美味しそうな匂いが漂ってきていた。ただいまと小さく口にすると、13号は黙って頷いた。
「八百万さん達の具合はどうだった?」
 心配そうな声色で尋ねる13号――直接受け持っている生徒ではないとはいえ、教師として、生徒達の安否は気になるらしい――に、名前は「うん」と答えようとした。緑谷と八百万は既に起きられるぐらいには回復していたし、耳郎と葉隠も近い内に目を覚ましてくれる筈だと。しかしながら、名前の言葉は途中で引っ込んでしまった。
 つけっぱなしのテレビが、臨時のニュースを伝えていた。もっとも生中継というわけではないようで、ところどころ映像が移り変わり、アナウンサーがコメントを入れている。
「――私共が状況を把握出来なかった為、最悪の事態を避けるべくそう判断しました」

 ごく見慣れた人物が記者会見を受けている様は、名前が絶句する理由には充分だった。テレビ画面に映る相澤の下には、テロップが流れている。最悪の事態は、無抵抗な生徒の殺害。
「さっきからそればかりだよ」テレビから目が離せなくなった名前に向け、13号は決まりが悪そうにそう言った。「ちょうど出来たところだ、少し遅いけれど夕食にしようか」
 名前が皿を並べ、席に着く間に、VTRは神妙な面持ちの相澤――普段の彼を知っている名前からしてみると、彼の表情はどこか不服げに見えた――から、雄英の校長である根津になっていた。根津は、現在雄英は警察と共に調査を進めており、生徒を必ず取り返すと言葉を結んだ。
 映像は切り替わり、テレビ局のスタジオを映し出す。この日行われたばかりの記者会見の筈だったが、既に数人の有識者が集められているようだった。侃々諤々と、彼らは意見を交わしている。名前が渋い顔をしているのを見てだろう、13号は「気にすることはないよ」と言った。
「一つ、いや二つ言っておくと、生徒達が危害を被ったこと、それは確かに僕ら教師の責任だ。彼らが雄英を責めるのは正しいよ。けれど、君達生徒は――」
「無事に帰ってくるのが仕事だって言うんでしょ」名前が言った。「解ってるよ」
「……そうだね」
 13号は、静かにそう口にした。


 今回の合宿に加え、過去三度生徒と敵が接触していることや、会敵した生徒が大怪我を負っていること。極め付けに爆豪が攫われたこと。メディアは口々に雄英を責め立てた。
 13号が言った通り、ヒーロー科を有する学校の中で最高峰を誇る雄英が幾度と無く敵の襲撃を許せば、名前だって文句の一つや二つ言いたくなる筈だ。しかも、今の雄英には平和の象徴、オールマイトすら居るのだ。――傍若無人に振舞う敵への憤り、強い姿勢を謳いつつも侵攻を防げない杜撰さへの怒り、そして平和の象徴すら蹂躙される現状への漠然とした不安。名前はただ、当事者であるからこそ、何も言えないだけなのだ。

 どこか余所余所しい食卓から早々に離脱した名前は、逃げるように浴室へと向かった。あれほど気まずい気持ちで夕食を食べたのは、恐らく四月以来のことだろう。頭の整理すら覚束ない今の状態で、蛙吹達に連絡を取る気にはなれなかった。湯に浸かれば疲れと一緒にこの居心地の悪さも流れていくに違いない、と、そう考えたわけではなかったが、多少なりとも気分は変わる筈だった。しかしながら名前の見通しとは逆に、一人になってみたところで思い浮かぶのは鬱屈とした気持ちばかりだった。
 飯田くん達は大丈夫かなあと、そんな事を考えていた時、突然脱衣所の扉がドンと叩かれた。「名前!」と、叫ぶように名前の名を呼んでいるのは13号だ。その勢いのまま脱衣所まで入ってきたらしい13号に、名前は動揺を隠せない。困惑しつつ「お、お兄ちゃん?」と呟くと、うっすらと見えるシルエットは、「名前、良いから早く上がるんだ!」と切羽詰ったような口振りで言った。
「は、はぁ? 何言って……」
「大変なんだ、オールマイトが――」
 13号はそう言ってから、「なるべく早く上がるんだよ」と言い残して去っていった。名前は暫くの間呆気に取られていたが、やがていつもより早い時間で風呂場を後にした。13号の様子が尋常ではなかったし、彼の言葉もどこか名前を不安にさせた。大変なんだ、オールマイトが。

 リビングへ行くと、そこには立ち尽くした13号が、ある一点を見詰めていた。視線の先にはテレビがあり、どうやら上空から映した映像を流しているようだった。視点が揺れる中、リポーターの焦ったような声がカメラを通し、名前達にも届く。「突如として神野区が半壊滅状態となってしまいました! 現在、オールマイト氏が元凶と思われる敵と交戦中です!」


 目に映る光景が、名前には信じられなかった。敵を相手に、防戦一方になるオールマイト。名前が生まれる前から存在している平和の象徴が今、失われようとしているのだ。
 困惑し切ったリポーターの声に、名前ははっとなった。「えっと……何が……え? 皆さん見えますでしょうか? オールマイトが……しぼんでしまってます……」
 ぶかぶかのコスチュームを纏った、見覚えのある痩せ衰えた姿。遠目から見ても、彼が怪我を負っているのは手に取るように解った。此方がオールマイトの――平和の象徴の、本当の姿なのだ。
 名前は独りでに流れてくる涙を止めることができなかった。

 ふと物音がして、名前がそちらを向くと、13号が部屋を出て行こうとしているところだった。そして、その手にはコスチュームを抱えている。宇宙服を模した、時代遅れのコスチュームを。
「ま、待ってよお兄ちゃん、どこ行くの……?」
 振り返った13号は半泣きの名前を目に留めると、困ったように眉を下げた。「……オールマイトさんは大丈夫だよ」
「彼は平和の象徴だから。敵をきっと倒してくれる。けど、あそこには今、苦しんでる人が大勢居る筈だ」
 そう言って出て行こうとする13号に、名前はやっとの事でその腕を掴んだ。「待ってよお兄ちゃん、行かないで」
「一人にしないで……」
 13号は暫くの間、名前を見下ろしていた。やがて、幼い子供をあやすように、名前の頭を撫でる。僕はヒーローだから行かないと、と、そう言って名前の手を振り解き、13号は一度も名前を振り返ることなく家を出て行った。


 永遠のような時間が流れたが、実際は五分にも満たなかっただろう。大きな爆風の後、映し出されたクレーターの中、立っているのはオールマイトだった。テレビからはオールマイトの勝利を祝う声が流れてくる。拳を天に向け、直立するオールマイト。
 次は君だ、と、平和の象徴は言った。

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