39

 来たる日曜――期末試験を目前としたその日、名前はとあるアパートの部屋の前に立っていた。チャイムを鳴らして十数秒、がちゃりと鍵の外す音がし、顔を覗かせたのは勿論切島だ。いらっしゃいと笑う切島に頷きつつ、名前は何となく足元に目を向けた。見覚えのあるスニーカーが二足転がっている。
「……切島くんてほんと凄いね」持参した袋を手渡しつつ呟くと、切島は不思議そうに小首を傾けた。

 玄関を越えた先の部屋で、座っていたのは当然爆豪勝己だった。切島らしい部屋――サンドバッグが置かれていたり、壁に教訓らしい言葉やトレーニング内容が貼られていたり――の中で鎮座する爆豪は、かなり異様な雰囲気を醸し出していた。
 そして、胡坐を崩さぬまま顔を上げた爆豪は、名前の顔を見て、元々鋭かった目付きをますます険しくさせる。何となく萎縮しつつ「お邪魔します……」と呟けば、背後から適当に座っててくれと声を掛けられた。
 どうやら切島は、名前が持ってきたお菓子の類を仕舞っているらしかった。仕方なく、先に勉強を始めていたらしい二人の向かい側に腰を落ち着ける。

 名前を見ても何も言わない爆豪は、そもそもにして、名前のことをクラスメイトと認識しているのかも怪しいところだ。今まで喋ったことは殆ど無いし、出席番号が離れているせいか、授業で同じチームになったこともない。
 苦笑いを浮かべつつ、今日はよろしくお願いします、と口にした名前だったが、爆豪は返事をするどころか、もはや視線すら返さなかった。気まずい沈黙の中、名前が勉強道具を取り出していると、漸く切島が戻ってきた。わりぃけどこれで勘弁な、とお茶入りのマグカップを手渡される。「そういや女子を部屋に入れたの初めてだわ」
「あ、そ、そうなんだ」
「おお。上鳴とか瀬呂とかは何回か来てんだけどな」
 そう言って笑う切島に名前もぎこちなく笑みを返すが、彼の隣から低い「おい」という声が聞こえて、解れかけた緊張は一瞬にして元に戻ってしまった。「遊びに来てるわけじゃねェぞ」
「わ、悪ィ」
「はい……」
 切島と名前が揃って口にすると、爆豪は盛大な舌打ちをした。
「おいドベ女」急に呼び掛けられ――しかも、あんまり過ぎる呼び名で呼ばれ、ひどく動揺して爆豪を見るが、彼は名前を見てもいなかった。この人、まさか本当に私の名前を知らないんじゃ、と名前は嫌な予感を抱いたが、視線を上げた爆豪のその形相に、思わず訂正を入れる間もなく「はい」と返事をする。
「何ができねえんだ」
 がなるでもなく、どなるでもなく、ただただきつい口調で問い掛けられる。国語と英語が、と名前が小さく言うと、爆豪は暫くの間黙って名前を見ていたが、やがて視線を外した。
 国語なんざ喋れんならできんだろが、という彼の小さな呟きは、名前の心をかなり抉ることとなった。こうして、若干の気まずさを孕みつつ、勉強会はスタートした。


 ――名前の予想に反し、爆豪は特別キレることもなく(麗日風に言うなら爆ギレだ)、勉強会は実に厳かに行われた。
 名前は確かに、何度か爆豪に、「ドベ女」と苛々した様子で呼ばれた。しかしながら大声で罵倒されることはなかったし、むしろ爆豪は、逐一「そこはそうだからそうなる」と、彼にしては丁寧に教えてくれた。彼が感情的になるのは、やはりどういうわけか、緑谷の存在が大きくウェイトを占めているらしい。幼馴染とは聞いているが、あの二人がどういう関係なのか、名前はいまいち解らなかった。

 以前、何でもそつなくこなす爆豪を見て、才能マンだと溜息混じりに言ったのは上鳴だった。
 確かに普段の授業でも、ヒーロー科の実技授業でも、爆豪の才能を感じるところはあるが、どうやら勉強に至っても、彼は大体のことは出来てしまうらしい。文系科目を中心に尋ねる名前と、理数科目を主に苦手としている切島――その二人のどちらの疑問にも、彼は大抵すぐに答えてしまうからだ。ともすると、質問の内容を全て聞くまでもなく「複合関係形容詞の応用」と言ったり、「公式が違ってんだよ」と口にしたり。ただ、決して彼が努力をしていないというわけではなく、実際に爆豪の持つ参考書はかなり使い込まれている様子だった。
 ――鉄哲も、骨抜も、拳藤も、それぞれ教え方が上手かったが、爆豪は彼らとはまた別の意味で教えるのが上手かった。何度目かの問い掛けの際、彼は溜息混じりに口にした。やはり、緑谷相手の時と違い怒鳴ったりせず、むしろ穏やかだ。「テメェ理数はできんだろが。古文だろうが現文だろうが基本は暗記なんだよ。例文覚えて当て嵌めろや」
「爆豪くんて……」
「あ?」
 案外ちゃんと教えてくれるんだね、と思わず言おうとした名前だったが、爆発的にキレそうな気配を察知し、そのまま口を噤んだ。



 雄英高校ヒーロー科の期末テストは、数日に渡って筆記試験が行われ、最終日に実技試験が行われることになっていた。一学期の内容の総まとめとなる、実技演習試験だ。
 日曜日をまるまる勉強に費やした名前は――しかも、爆豪勝己というブレインを味方につけた上でだ――少なくとも、普通科目は中間の時より手ごたえを感じていた。苦手な文系科目も含め、自己採点ではそこそこの点を維持していたし、テスト時間が終わる前に見直しの時間だって作れた。赤点回避どころか、もしかするとクラス内の得点順位最下位も回避しているかもしれない。
 そしてついに、実技試験の時間が訪れた。

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