38

「穴黒!」そう名前を呼んだのは、1年B組の鉄哲だ。

 そういえばB組の近くだったなと思いながら口を開きかけた名前だったが、名前よりも先に13号が「はい」と返事をした。
「どうしましたか?」
 そう言って、小首を傾げてみせる13号に、鉄哲は目を白黒させる。珍しく困ったように名前を見るので、仕方なく「兄なの」と紹介した。納得したような鉄哲を前に、名前は内心で溜息をつく。まさか、同じ事務所に職場体験へ行った鉄哲の前で、「何故フォースカインドのところへ行かせたのか」などと聞ける筈も無い。もっとも、だからこそ13号も、わざわざ鉄哲に声を掛けたのだろう。
「すんません!」鉄哲がバッと頭を下げた。「先生の事じゃないんす!」
「いえいえ、いいんですよ」
 妹と仲良くしてやって下さいねと口にする13号の声は、ヒーローのように朗らかだ。頷いている鉄哲を横目に、なんだかなと今度こそ本当に溜息を吐く。しかしながら、突然「名前!」と名前を呼ばれ、名前は心底驚いた。
 名を呼んだ鉄哲を見遣れば、彼は至極当然のように「被んじゃねェか」と口にし、それから言った。「名前、俺に勉強教えてくれ!」


 結局、名前は13号から聞き出すのを諦めた。このまま兄に避けられるのは本意ではなかったし、その13号の口から「まさかスカウトするとは思いませんでしたけどね」という台詞を聞けたので、それで充分だった。おそらく、13号とフォースカインドが何らかの理由で知り合いなのではないだろうか。系統は違うとはいえ同じヒーロー、繋がりがあっても不思議ではない。元々、彼がそうと決めたのなら、名前が何を言ったところで曲げたりしないだろう。もっとも、わざわざ名前の希望を捻じ曲げてまで、カインドヒーロー事務所に行かせる理由は知れないままだったが。
 しかし――どうしてこうなったのだろう。そんな事を思いながら、指し示された問題集を覗き込む。英語の読解問題だ。

 飯食いながらで良いから勉強教えてくれ、と、鉄哲は言った。曰く、ダチの中で名前が一番勉強ができそうだったからと。
 何故そういう結論に至ったのかは、鉄哲のみぞ知るところだ。しかしながら、彼はあまり勉強はできる方じゃないからという名前の訴えを聞かず、あれよあれよという間に隣に座らせた。当然、ここなんだがよォと示されても上手く答えられないし、むしろ、たまたまやってきた骨抜の方が、きちんと鉄哲の疑問に答えていた。
 数回そんな事が続くと、どうやら鉄哲も気が付いたらしかった。「おめェ……ひょっとして馬鹿なんか?」

「ばっ……」名前は言葉に詰まった。「馬鹿じゃない、馬鹿じゃないよ……」
「英語とか国語は駄目だけど……数学ならできるし!」
「阿呆か数学なら俺もできるわ」鉄哲がばっさり言った。
 二人の間に気まずい沈黙が流れる。名前は鉄哲の質問に答えられないどころか、むしろ彼に教わる始末だったし、鉄哲もまさか名前がここまで英語ができないと思わなかったのだろう、困ったように顔を顰めている。鉄哲は骨抜と泡瀬を見たが、彼らも英語はさほど得意じゃないからと首を振った為、ますます静寂が広がった。
 梅雨ちゃんに言っておいて良かったなあと、そんな事を思っていた時、不意に影が差した。顔を上げると、見覚えのある女子生徒が、不思議そうに名前達を見ているところだった。「暗い顔して何やってんの?」

「拳藤」鉄哲が言った。
 拳藤と呼ばれた女の子は、名前の顔を見て意外そうにし、鉄哲の手元を見て「なんだテス勉中か」と納得したように言った。名前の覚え間違いでなければ、B組の生徒だった筈だ。彼女の後ろから、同じくB組の生徒と思しき金髪の男子生徒が顔を覗かせている。
「英語か? 鉄哲英語できたっけ?」
 彼女の言葉を聞き、顔を暗くさせた鉄哲に、拳藤は大体の事情を察したらしく苦笑を浮かべた。
「こいつが――」名前を顎で示す。「――英語できてりゃ、こんな事にはなってねんだよ……」
 ぎょっとしたのは名前だ。
「わ、私そんな勉強できないって言った!」
「だとしてもお粗末過ぎんだろうがよぅ」
 名前が言葉に詰まると、それ見たことかと言わんばかりに鉄哲が鼻を鳴らす。すると、今まで黙っていた男子生徒が言った。「へぇ、君、勉強できないんだ?」

「君さあ確かA組だよね。あれだけ厄介事引き寄せるくせに、普段の素行がなってないってどういう事? 学生の本分は学業でしょ? もし君が次にトラブルに巻き込まれたとして、ちゃんと対処できなかったらどうするつもり?」
 名前は目を白黒させながら、その金髪の男子を見ていた。彼が拳藤に手刀で殴られ昏倒するところもだ(手にしていたトレーは、いつの間にか拳藤が持っていた)。ごめんな、とにっこりされて、名前は恐る恐る頷く。おめェもそんなできねえだろうがと、鉄哲が小さく呟いた。


「――あのさ、もし良かったら教えようか?」
 拳藤の言葉に、鉄哲が顔を上げる。「私で良かったらだけどさ。英語なら解るし」
 拳藤ォォ!と、感涙する鉄哲に、どことなく名前も安心する。自分が断り切れなかったせいで、彼には迷惑を掛けてしまったからだ。ほっと溜息を吐いた時、不意に拳藤と目が合い、名前はどきりとする。
「穴黒……だっけ」拳藤が言った。「英語苦手ならさ、一緒にどう?」
「……いいの?」
 拳藤は笑った。「体育祭ではああだったけど、そんな気にしなくて良いからさ」
 にこやかに笑ってみせた拳藤に、名前も嬉しくなって頷いた。ちなみに、彼女の説明はとても解り易く、意識が回復し、名前を含めた四人が頷いているのを見た物間は、怪訝そうに眉根を寄せた。

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