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 教室に響き渡った声に、名前は思わずぎくりと身を震わせた。「全く勉強してねー!」

 名前と切島は、揃って声の主である上鳴電気を振り返った。どうやら来週に迫った期末試験の話をしているらしい。体育祭や職場体験など、行事事が続いた為に勉強ができなかったのだと上鳴は言った。
「やっぱ全員で林間合宿行きたいもん! ね!」
 そう口にしたのは緑谷だったが、その後の轟の言葉に撃沈したのは上鳴だけではなかった――六月に行われた中間テスト、名前の成績はクラス内で最下位だったのだ。
 名前は元々、特別勉強が苦手というわけではなかった。むしろ中学時代は勉強ができる方だったし、学年で見ても成績は良かった。しかしながら雄英は元の偏差値が高い上、授業の進度が他の高校の比ではない。ヒーロー科なら尚更だ。上鳴が言ったように行事が重なったこともあるが、元からヒーローを目指し猛勉強していた同級生達と成り行きで受験した名前とで、学力の差があるのも当然だ。
 ――渋い顔をしている名前に、切島が苦笑を浮かべる。彼女が自主的にトレーニングを行っていることは知っていたし、だからこそ、学業が疎かになってしまうのだろうと解っていた。それが真面目な彼女の本意ではないということも。

 そうこうしている内に、どうやら上鳴を含む数名が八百万に勉強を教わる流れになったらしかった。名前も彼女の元へ向かおうとしたものの、それよりも切島が先に口を開いた為に、名前が彼女達の勉強会に参加することは終ぞ無くなってしまった。「この人徳の差よ……」
 名前はぎょっとして、切島を見た。彼は上鳴達に囲まれている八百万と、偶然名前達の傍を通り掛った爆豪とを見比べていたのだ。あの爆豪にこんな口の利き方をできるのは、A組の中でも切島しか居ないだろう。爆豪がキレるのも時間の問題だ。彼の米神がひくついたのを、名前は確かに目撃した。しかしながら、慌てふためいている名前に気付いていないわけでもないだろうに、切島は歯牙にもかけなかった。
 爆豪が言った。地を這うような声だ。「俺もあるわ」
「てめェ教え殺したろか」
「おお! 頼む!」
 切島くんはやっぱり凄いな、と、名前は半ば感心しながらやりとりを見ていたのだが、その切島の口から突然自分の名前が出て動揺する。「そうだ、穴黒も教えてやってくれよ!」
 驚いた名前が切島を見たのと、振り返った爆豪が名前をぎろっと睨み付けたのは、ほぼ同時だった。彼のあまりの眼光の鋭さに、名前は身を強張らせる。名前は今までこれといって爆豪に何をされたわけではないのだが、普段の素行のせいか、やはりどこか萎縮してしまう。彼が名前を睨み付けたまま何も言わないので、名前は苦笑を浮かべるしかない。
「あの、私八百万さんに――」
 教えて貰うから大丈夫だよ、と、そう言おうとした名前を遮るように、爆豪が言った。
「いいぜ」
「えっ」
 名前は思わず聞き返したが、爆豪は踵を返しさっさと行ってしまった。そんな彼の背に、切島が「んじゃあ日曜俺ん家な!」と投げ掛ける。言いようの無い憤りを切島に向けるものの、彼は「良かったな!」と笑うだけだった。
「うん……」名前は小さく言った。


 四時間目の授業が終了した直後、名前は勢い良く立ち上がった。教科書やら筆記用具やらの片付けもそこそこに、クラスメイトの間を縫うようにして、今しがた教室を出ていった講師の姿を追う。蛙吹達に、「先食べてて!」と声を掛けるのも忘れずにだ。廊下に出た名前は、辺りを見回し、生徒達の間から飛び出たコスチュームに呼び掛ける。「13号先生!」
 呼ばれていることに気が付いていないわけでもないだろうに、13号は歩みを止めなかった――名前が彼の背を追い掛けるのには理由があった。

 雄英高校で行われる職場体験は、基本的に生徒が選んだ職場へ行けることになっている。しかしながら、ごく稀に希望と違う事務所へ行くことがあるのだそうだ。過去、生徒の“個性”と事務所の方向性があまりに正反対だった為にプロから拒否されたことがあるという事を、名前はスナイプから聞いて知っていた。――同時に、教師からの推薦により、違う事務所へ行くことになった例もあるという事を。
 最初、名前は自分がカインドヒーロー事務所へ行くことになったのは、何かの手違いだと思っていた。しかしその事を尋ねた時、13号はやんわりと話を逸らした。それから度々名前は職場体験のことを尋ねたが、13号はその都度話題を変えた。どういう理由かは解らないが、名前をフォースカインドの元へ行かせたのは13号なのだ。
 今となっては、カインドヒーロー事務所に行くことが出来て、むしろ良かったとすら思っていた。自分の向き不向きを再確認することができたし、目指すべき目標も定まった。ただ、どういう意図があって名前を任侠ヒーローの元へ行かせたのか、知る権利くらいある筈だ。

 近頃では、13号は露骨に名前を避けるようになっていた。しかし、学校でならそうは行かないだろう。名前は再び、「13号先生!」と呼んだが、彼は立ち止まらなかった。漸く追い付き、そのコスチュームの袖を掴む。
「お兄ちゃんってば!」
 振り返った13号は、自分の腕を掴んでいるのが名前だと解ると、「おや穴黒さん」と普段通りの声で言った。白々しさすら窺わせる彼の声に、名前は一瞬眉をぎゅっと寄せる。職場体験のことを問い詰めようと名前が口を開いた時、二人の後ろから名前を呼ぶ声がした。

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