03

 マスクをした保健委員が名字名前という名だと知ったその日から、骨抜はふとした時に、名字の姿を探すようになった。何となく、あの口数の少ない女子生徒のことが心配だったのだ。もっともヒーロー科と普通科、科が違う上にクラスも離れているため、接点はほぼ無いと言っていい。――時折見掛ける名字は、やはり常にマスクを付けているようだった。だからこそ見付けやすいのも事実だが。
「骨抜?」という鉄哲達の不思議そうな声を置き去りにして、骨抜が通り過ぎようとする名字に声を掛けたのは、彼女の前を歩いていた同じクラスらしき女子達がジャージに身を包んでいるのに対し、彼女が制服姿のままだったからに違いなかった。特別な理由があったわけじゃない。

「名字」骨抜が片手を上げた。
 自身に声を掛けたのが骨抜だと気付いた名字は、ぺこりと会釈した。やはり白いマスクをしている。友達だったわけではないのか、彼女の前を歩いていた女子生徒達は、立ち止まった名字を気に掛けることなく去っていく。
 ――この子、本当にクラスで大丈夫なんだろうか。
 そんな骨抜の心配を知ってか知らずか、名字は骨抜を見上げたまま、微かに小首を傾げるだけだった。彼女がどことなくそわそわしているのは、この場に居るのが骨抜だけではないからだろう。
「いや何ていうか……次体育なんじゃね? 体操服は?」
 骨抜がそう問い掛けると、名字は困ったように眉を下げた。
「……貸しちゃって」名字が言った。

 言葉少なに呟かれたそれを、正しく理解するまで少々時間が必要だった。自分の体操服は他の人に貸してしまった、だから自分は見学する。そういう事だろうか。何となく嫌な気分になって、骨抜は眉を顰めた。
「そんなの、他のクラスの奴に借りたら良くない?」
 名字は苦笑を浮かべるだけだ。そんな名字を見兼ねたのか、それとも骨抜の機嫌が段々と降下していることを察したのか、拳藤が「体操服無いなら貸そうか?」と助け舟を出した。
「私ら今日体育無いしさ。良ければ貸すけど」
 そう言って笑ってみせる拳藤。しかしながら、名字は申し訳なさそうに首を横に振るだけだった。断られると思っていなかったのか、拳藤までもやや困った顔になる。

 何故自分が苛立っているのか判然としないまま、骨抜は口を開いた。「名字さ、このまま見学するわけにも行かないだろ? 体調悪ィっていうんなら仕方ないけど……俺ので良かったら貸すし、ちゃんと受けた方が良いんじゃね」


 名字にまっすぐと見上げられて、骨抜は無意識の内にびくりと体を震わせる。
「いい?」
「えっ……あ、ああ。おう」

 まさか、頷かれるとは思わなかった。
 あの場の誰もが、「拳藤のは断ったのに?」と多かれ少なかれ困惑しただろう。骨抜自身かなり動揺していた。しかしながら、不思議そうに自分を見上げる名字に押されるように、骨抜は彼女と連れ立ってB組へと向かった。
 よほど他のクラスの女子生徒と居るのが珍しいのか、教室に居た物間や円場達に奇妙なものを見る目で骨抜を見ていた。彼らのことを気にしないようにしながら、ロッカーから体操服を取り出す。やっとのことで引っ張り出したそれを名字に手渡すと、彼女はくぐもった声で「ありがとう」と言った。
「洗って返します」
 静かにそう口にする彼女に、骨抜は目を瞬かせる。彼女が簡単な返事以外で口を利いたことも驚きだが、わざわざ洗濯までする必要はないと思ったのだ。俺らすぐ体育あるからいいよと言っても、名字は譲らなかった(「女の子の着たジャージそのままにしときたいとか、何か変態臭いよね」等と円場に耳打ちした物間は沈めてやりたい)。
「まあ……今日はうち体育ないし、ヒーロー科の実技はあるけどそっちはコスチュームだから、名字が良いんなら良いんだけどさ」
 骨抜がそう言うと、名字はこっくりと頷いた。
 20分設けられている中休みとはいえ、着替えを済まさなければならないことを考えると、彼女に残されている時間は残り僅かしかない。頭を小さく下げ、その場を後にしようとする名字。思わず彼女の肩を掴めば、振り返った名字は不思議そうに骨抜を見上げた。
 まだ何かあったかと、そう言いたげだ。
 骨抜は漸く、何故先程腹立たしく思ったのか理解した――名字は紛れもなく良い奴だ。確かに無口だし、愛想も悪い。しかしながらそうでなければ、誰が会ったばかりの奴の怪我を気遣ってくれるというのか。今日だって、彼女の視線は実際何度も骨抜の額へ走っていた。
 そんな「良い奴」が、他に頼れる友達が居ないらしいそんな状況に、骨抜は心底腹が立ったのだ。
「返しに来てくれんだろ? 連絡先、交換しようぜ」

 入りにくいだろ。そう骨抜が付け足した後も、名字は暫くの間、ずっと沈黙を守っていた。彼女が無言で携帯端末を取り出した時、どれだけほっとしたことか。彼女のアドレスが無事メモリに記録されたのを見届けてから、骨抜は名字を見た。連絡しろよと言うと、彼女は頷き、それからB組を出ていった。ぱたぱたと駆けていく名字を見送ってから、サイズは良かっただろうかと一握の不安が過ぎった。やはり、強引にでも拳藤のを渡すべきだったんだろうか。
 ふと視線を感じ、左を向けば、級友達がじっと骨抜を見詰めていた。
「……入りにくい?」
 そう言って笑った物間に、次の実技では地の底まで沈めてやろうと骨抜は心に決めた。

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