01

 あっ、と、気付いた時には遅かった。
 額にぴりっとした痛みが走る。流れ出た血は皮膚を伝い、骨抜の目を赤く縁取った。思わず袖口で目元を拭うものの、どうやらかなり深く切れているらしく、骨抜のジャージは瞬く間に赤く染まった。
「わり、平気か?」
 既に“個性”を解除した鉄哲は、彼らしくない、ひどく申し訳なさそうな顔で尋ねる。彼の“個性”はスティール――別に鎌切のように刃物になるわけではないのだが、どうやら彼の硬い拳に皮膚が引っ張られたらしい。平気だと返事をした骨抜だったが、さっさと保健室行ってこいとタオルを投げられた。


 何だかんだで、世話になったことはなかったんだがなあ。
 そんな事を思いながら保健室の戸を開ける。しかしながら、部屋の主である妙齢ヒロインの姿は無く、代わりに居たのはどうやら保健委員らしき女子生徒一人だった。風邪でも引いているのだろうか、白いマスクをしている。
 保健室に先生が居ないことなどあるのだろうか――そう思いはしたものの、ヒーロー科のある雄英高校にとって、大怪我をする可能性が高いのは圧倒的に授業中だ。部活動はそれほど活発ではなかったし、放課後にリカバリーガールが席を外していても、さほど不思議ではないのかもしれなかった。
 保健委員はどうやら一年生らしかった。マスクをしているせいで表情は解り辛かったが、どうやら血を流している骨抜の姿に大分驚いたらしい。マスクの上から覗く橙色の目が、真ん丸と円を描いていた。
「えー、と……リカバリーガール留守な感じ?」
 女子生徒は頷いた。骨抜は内心で溜息をつく。
いくら保健委員とはいえ、まさか治癒の“個性”を持っているわけでも、怪我の治療ができるわけでもないだろう(保健委員の仕事といえば、液体石鹸の補充とか、トイレットペーパーの補充とか、そのくらいの筈だ)。まあ大怪我というわけでもないのだから、自分で手当てをしたところでさほど問題にはならないだろう。絆創膏とか拝借しても大丈夫か、そう問い掛ければ女子生徒は頷いたので、骨抜は治療を開始することにした。

 どうやら保健室に歩いてくる間に、ほぼほぼ流血は止まったようだった(もっとも、泡瀬のタオルが尊い犠牲になったわけだが)。傷口を水でゆすぐと多少の出血があったものの、先程と違いすぐに治まる。鏡を覗き込めば、額にはかなり痛々しい切り傷ができていた。あーあ。内心でそう思っていると、ふとジャージの背を引っ張られ、骨抜は思わず後ろを向く。
 先程の保健委員が清潔そうなタオルと、消毒液らしき液体の詰まった容器を差し出しているところだった。
「あー……ありがとさん」
 タオルを受け取ると女子生徒は頷き、洗面台の脇に容器を置いた。

 消毒を終え、傷口を押さえる。どこかに絆創膏か何か無いだろうかと備え付けの棚を覗くも、ラベルが貼られたビンばかりでいまいちよく解らなかった。すると再びジャージを引かれる。振り返った先にはやはり先の女子生徒が居て、何やら指をあちらそちらと動かしていた。どうやら在り処を教えてくれているようだ。彼女が指し示した棚、その引き出しを開けると、確かに絆創膏やガーゼ、包帯等様々な応急用品が顔を出した。
 そりゃ、棚を見渡しても無い筈だ。
 ありがとうと礼を言えば、彼女は黙って頷いた。そのまま「悪いけどこれ貼ってくんね?」と骨抜が尋ねると、女子生徒は少しばかり迷った様子を見せたが、やがて小さく頷いた。

 会ったばかりの見知らぬ女子生徒に手当てを頼むというのも聊か妙な気がしたが、彼女が存外協力的だったので、思わずそう口にしてしまった。保健委員だからといって、手当てができるわけもないだろうとは思っていたのだが。しかしながら骨抜の予想に反し、彼女は馴れた手付きで骨抜の額を治療していった。丁寧に軟膏を塗り込み、患部からずれないようガーゼを貼り、医療用テープでしっかりとそれを押さえる。天下の雄英高校だけあって、そういった事も一通り習うのかもしれない、骨抜はそう考えた。
 再び礼を言うと、やはり彼女は黙って頷いた。それから何やら指で指し示す。彼女の指の先にはクリップボードがあり、どうやらそこに名を書けということらしい。ご丁寧にボールペンも手渡される。
 ――口が利けないのだろうか。
 骨抜はそう思ったが、口には出さなかった。ここにクラスメイトが居れば、柔軟な対応かよと突っ込まれたかもしれない。


 “個性”の都合で喋れない、という人間は、ある程度存在していた。例えば超音波の“個性”で声自体全てが超音波になってしまうとか、動物と意思疎通できる“個性”だが動物の言葉しか話せないとか。そんな“個性”の持ち主に骨抜は今迄会ったことがなかったが、もしかすると彼女はそういった“個性”の持ち主なのかもしれない。マスクをしているのは、その為の意思表示なのかも。
 しかしながら、骨抜のそんな考えはあっさりと覆されることになる。
「いたいのいたいの、ちょっとだけ飛んでけ」

「……は?」唐突に聴こえてきた小さな声に、骨抜は思わず振り返った。Bの文字が歪む。
 鈴を転がしたような声だった。保健室には骨抜と、保健委員らしき女子生徒しか居なかった。すると、今の声は隣に座る彼女が出した筈だ。骨抜は喋っていないし、そもそもにして、彼女の方から聞こえてきていた。
 骨抜はてっきり、彼女が風邪を引いていて声が出せないか、“個性”故に口が利けないのかと思っていた。しかしながら今の彼女の声は鼻声でも何でもない。
 ――子供相手のおまじない。間違っても男子高生相手に口にするようなものではないだろう。しかしながら彼女には一切の照れが見られず、逆に骨抜の方が動揺してしまう。
 というか、痛いの痛いの飛んでけじゃないのか、そこは。

 困惑し切った骨抜が記入を終えるには、暫く時間が必要だった。やっとの事で必要事項を書き終わる。突然の彼女の言葉に何を返すこともできず、逃げるように黙ってその場を後にする。保健室の戸が閉まる直前、「お大事に」という小さな声が耳に届いた。


 廊下を少し進んだ先で、骨抜は偶然にもリカバリーガールと顔を合わせた。どうやら今から保健室へ戻るところらしい。
「おや、怪我したのかい」リカバリーガールが言った。「悪かったね、居てやれなくて」
 治癒しなくて良いのかと尋ねる彼女に、骨抜は頷く。
「大丈夫っす、もう殆ど痛くないんで」
「そうかい。まあ自然治癒に任せるのが一番だからねえ」
 若いんだしすぐに治るよ。そう言って笑うリカバリーガールに、骨抜は「あの」と声を掛ける。
「さっき保健委員の人が居たんすけど……」
「保健委員?」リカバリーガールが言った。「ああ、名字かい」
「そうかいあの子がやったんだね。しっかり手当てはできてるようだ、良かったよ」
 愛想のない子だけど許してやっておくれよと優しく微笑む彼女に、骨抜は黙って頷いた。訓練場に戻ったものの、傷口がいつ開くとも解らず、結局その日の放課後は鉄哲達の組み手を眺めるだけに終わった。名字という名の保健委員の声が、不思議と耳に残っていた。

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