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 職場体験が終わった翌日、この日のヒーロー基礎学はオールマイトが担当した。例の如くコスチュームに着替えると、名前達は運動場γに集められた。
 グラウンドγは運動場自体の面積はさほど広くないが、所狭しと建造物が並び立ち、パイプや鉄骨など不安定な足場が交錯する、擬似的工業地帯となっていた。以前の授業で数回来たことがあったが、以前よりクレーンの量が増えているように思えるが、気のせいだろうか。
 パワーローダー先生が直してるのかな。そんな事を考えていると、隣から視線を感じ、名前は振り返った。まじまじと名前を見詰めているのは耳郎響香で、彼女は怪訝そうに言った。「穴黒、コスチューム変わった?」

「あー……うん」
「やっぱり?」
 名前が小さく頷いてみせると、耳郎も「だよね」と頷いた。「何て言うか、前より――」
 彼女はそこで言葉を途切れさせたが、彼女が言わんとしていることはよく解った。職場体験の初日、名前は鉄哲に言われたのだ。エロいな、と。

 五月、体育祭が行われるより少し前、名前は個性届を更新した。「加圧」と登録されていたものを、「重力」に登録し直したのだ。当然、公的な手続きが行われ、所属している学校にも通知が届く。変更された個性届は被服控除の制度により、名前のコスチュームをデザインしたサポート会社に送られ、受理される。そして更新された“個性”に合わせ、コスチュームに修正が施された。
 名前は雄英に入学するにあたり、個性届と身体情報以外のものを提出しなかった。コスチュームに拘りはなかったし、そもそもにして、目指すべきビジョンが定まっていなかったからだ。要望の欄には“個性”が触れて発動するものだから、手を露出してもらえるようには記入したが、それで充分だと名前は考えていた。
 ――個性届が更新されると、サポート会社に通知が行くなんて、考えもしなかった。当然名前の要望は入学当時のままで、名前の意見が反映されないまま、更新された個性届に従いコスチュームが改善された。

 新しくなった名前の戦闘服は、“個性”をサポートする為だろう、分厚いアーマーのような篭手がついていた。発動系“個性”のヒーローの声を参考にしているのか、手が覆われることで逆に出力が調整されるようで、手を剥き出しにしている時よりもむしろ“個性”のコントロールがしやすくなった。筋肉痛への対策か、長時間“個性”を発動させていると、篭手の内部に微弱な冷気が流れるようにもなっている。しかしその反面、コスト削減の為なのか何なのか、上半身の布地が聊か減っていた。確かに腕に重みが増えた分、肩周りの服は無い方が動きやすくはあるのだが。
 鉄哲がはっきりと言い切ったように、実際に名前のコスチュームは、明らかに以前より露出度が上がっていた。いつもならフォローしてくれるだろう切島が何も言わず、黙って視線を逸らしたのが何よりの証拠だ。

 顔を赤らめ、俯いた名前を見た耳郎は、「チア服は普通にしてたじゃん」と苦笑混じりに言った。
「あの時は、ちょっと別のこと考えてて」
「その割にはノリノリで応援してた気がするけど」
「耳郎さんのいじめっこ……!」
 名前は自分の顔がますます赤くなっていくのを感じていた。ごめんってと笑う耳郎のイヤホンジャックが、ハミチチ最高と親指を立てた峰田の両目を串刺しにした時、名前達の元にオールマイトがやってきた。


 ヌルッと始まった一週間ぶりのヒーロー基礎学は、職場体験で昂ぶった神経を解す意味があるのだろう、遊戯的な要素が含まれていた。単なる救助訓練ではなく、SOSを出すオールマイトを、異なる場所からスタートした生徒五人が救け出すまでの、その時間を競うのだ。
 一組目が終了し、オールマイトを含めた六人がモニター前のお座敷に帰ってきた。足を滑らせ、落ちかけた緑谷を救けた上で一着を取った瀬呂は、どこから持ち出したのか解らない襷を掛けたままだった。後から知ったが、どうやらオールマイトが事前に用意していたものらしい。
 名を呼ばれ、立ち上がった名前は、同じく立ち上がった面々を見て顔を青くさせた。轟に八百万、常闇と、それから爆豪だ。
 明らかに、バランス配分がおかしい。もっとも一組目は機動力重視の組み合わせだったし、名前達の次に呼ばれた組は、障子に葉隠、耳郎と、策敵に優れた生徒が固まっていたので、ある程度条件は揃えられていたのに違いなかった。強個性の人ばっかり、と名前は泣き言を漏らしたが、隣に座っていた蛙吹が「名前ちゃんも大概だから大丈夫よ」と、慰めにもならない慰めをしてくれた。

 スタートの合図を聴き、名前は勢い良く駆け出した。――救助訓練レースは構造こそ単純だったが、入り組んだ運動場γでは機動力に加え、情報収集能力が求められた。名前が苦手とする分野だ。対象の補足も、対象に掛かる重力を強くするという“個性”では、どうしたって補えない。
 建物を押し潰して更地にしてしまえば、見つかりやすくなるかな。
 そんな敵染みたことを考えていると、不意に頬に水滴が当たった。雨なんて降っていないのになと、何の気無しに頭上を見上げた名前は酷く困惑する。「えっ、えっ、と、轟くん!?」
 名前の遥か頭上を、轟焦凍が通り過ぎて行くところだった――彼の足元には、氷でできた道が作られている。元より機動力の高い爆豪と常闇、そして何でもござれの八百万。轟は“個性”の威力こそ凄まじかったが、移動に掛けてはさほど脅威ではないと思っていた。そんな彼と二人で最下位争いをする事になるのだろうと、名前は密かに思っていたのだが、見通しが甘過ぎた。

 本当は怖いんじゃないだろうかと、そんな事を思いながら轟の残した氷を唖然と眺めていた名前だったが、やがて腹を括った。轟が、あんな移動方法を見せたのは初めてだ。緑谷だって、あんなにぴょんぴょん飛び回っていたじゃないか――Plus Ultraとは、こういう時に使うべき言葉なのだろう。
 名前はそっと、自身の足の裏を触った。それから恐る恐る片足を地面から離し、手近な壁へと付ける。地球の引力の方が強く、どうにも“横向き”でいる感覚が拭えなかったが、“個性”の発動を強めていくと、どことなく壁も大地であるような気がした。残りの足もゆっくり壁に付け、それから名前は走り出した。
 地球の引力とは別の方向に、新たに重力を発生させることが出来るのは、体育祭で実証済みだった。それを応用し、横向きの重力を発生させると同時に、名前は自分の重力をも強めたのだ。結果として壁を歩くことができたわけだが、いつ落ちてしまうとも知れないし、“個性”のコントロールがシビア過ぎて、好んで使う気にはなれなかった。力加減を間違えれば、一瞬で地面へ挨拶を交わすことになるだろう。しかし備え付けられた階段を登って遠回りするのと、こうして壁面を走るのとどちらが速いかは、火を見るよりも明らかだ。

 “個性”の発動を止め、高架へ降り立ってふっと息を付いた名前は、オールマイトの姿を探した。彼から発せられた救難信号はスタートを告げる為だけのもので、位置までは教えてくれないのだ。もう少し高いところに登ってみようかなと、ずきずきと痛みを訴え始めた両腕を無視し、名前は少し先に聳えるクレーンを見上げる――名前の耳に、焦ったような同級生の声が飛び込んできたのは、丁度その時だった。「止まれ黒影……!」

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