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 職場体験も終わり、名前は重い荷物を引きずっているような心地で、とぼとぼと通学路を歩いていた。全身を気だるさが襲っていたが、特に前腕が酷かった。倦怠感もさることながら、今朝になってもずっとズキズキと痛んでいる。
 雄英に入学し、ほぼ毎日のように“個性”を使うようになってからというもの、名前は慢性的な腕の筋肉痛に悩まされていた。しかしここ数日は特にひどく、職場体験の最終日は、危うく箸すら持てなくなりそうだった。
 “個性”も身体機能の一つであり、使う頻度が高ければ能力自体も上昇すると聞く。しかしながら、そろそろ日常生活に支障をきたしそうだ。どうにかならないものだろうか。
 そんな事を考えていた名前だったが、ふと前を歩いている生徒が、自分のクラスメイトであることに気付く。「八百万さん!」

 振り返った八百万は、名前の姿を目に留めると、「おはようございます、穴黒さん」とにこやかに微笑んだ。小走りで彼女に追い付き、その隣に並ぶ。「おはよー」
 なんだか久しぶりだねと口にすれば、八百万もそうですわねと頷いた。その時携帯が震えたが、名前は無視した。
「八百万さん、スネークヒーローの所だったんだっけ。どうだった?」
 名前が尋ねると、八百万は高速で視線を逸らした。そんな彼女の様子に、少しばかり困惑する。名前の記憶が正しければ、八百万は指名を受け、スネークヒーロー ウワバミの事務所へ職場体験へ行っていた筈だ。
「……八百万さん?」
「いえ」八百万が小さく口にした。「ええ、とても……有意義でしたわ」
 そう言ってにっこりと笑ってみせる八百万に、名前は「そっか」と言うしかなかった。

「穴黒さんは――」その時、携帯が再度新着メッセージの着信を知らせた。八百万は名前に職場体験での様子を聞こうとしていたのだろうが、彼女の言葉は途中で方向を変えることになる。「――先ほどからよく届きますわね」
「あー、うん」
「迷惑メールですか? あまりしつこいようなら、受信を拒否するよう設定してみては如何ですか?」
 名前はにっこりした。「これ、フォースカインドさんなの」
「……まあ」

 今から学校なので、また後でメールします――名前がそうメールを送ると、任侠ヒーローからの怒涛の追撃は漸く終わりを迎えた。受信履歴が全てフォースカインドで埋まっているのは、言ってはなんだがかなり異様な光景だ。
 東北から学校へ戻る新幹線の中(当然、帰りは三人で指定席を取った)、名前は包帯に書かれたアドレスを読み取り、フォースカインドへのお礼のメールを認めた。ご迷惑をかけてすみませんでした、職場体験を受け入れてくださりありがとうございました、等といったありきたりなものだ。しかしながら送信し終え、ホッとしたのも束の間、二分と経たず返事が返ってきたのだ。しかも長文で。
 フォースカインドが送ってくるメールは基本長文で、しかも間隔が短く、返事が遅れると最終的には電話が掛かってくるのだと名前がぼやくと、八百万はくすくす笑った。しかしながら彼女はふと神妙な顔になり、「それがヒーローというものなのかもしれませんわね」と言った。
「……女子高生みたいなメッセが?」
「いえそうではなく」八百万は真面目だ。「返事が返ってこなければ、何かあったのかと気になるでしょう? プロヒーローともなれば、尚更心配してしまうのかもしれませんわ」
 一種の職業病のようなものですわねと付け足した八百万に、そういうものなのかもしれないと名前も頷いた。「心配で思い出したけど、飯田くん、大丈夫かな」
「飯田さん?」八百万が聞き返した。
「何故飯田さんなんですの?」
「え?」
「確かに、緑谷さんからメールは届きましたが……何故そこで飯田さんが出るのですか?」
 不思議そうにする八百万に、名前も不思議に思った。保須市は確かに、飯田が職場体験に行ったヒーロー事務所のある都市だ。しかしながら、だからと言って事件に――飯田がヒーロー殺しと接触したと考えるのは聊か単純過ぎたし、後日緑谷から返ってきたメールには、彼の名はなかった。いくらヒーロー殺しがインゲニウムに怪我を負わせた張本人とはいえ、飯田が敵討ちをしようとする筈もない。
 何でだろうと、そう口にして小首を傾げると、八百万も「何故でしょうか」と同じように首を傾げた。


 八百万と二人、教室へ入る。一週間ぶりに顔を合わせたクラスメイトは、やはりその大半が職場体験について話をしているようだった。特に注目を浴びているのはやはり緑谷と轟、それから飯田だった。
 名前が抱いた嫌な予感は、結局のところ当たっていた。報道されていた保須市の事件は、エンデヴァーの活躍と、それ以上にヒーロー殺しのことを掘り下げようとするものが多かった。ステインの生い立ちや素性、“ヒーロー殺し”に至るまでの経緯など、どのメディアも脚色を交えつつこぞって取り上げた。当然、ヒーロー数名と高校生が居合わせていたという事実は、大手新聞の記事の隅にちらりと書かれているだけだ。
「俺、ニュースとか見たけどさ」尾白が言った。「ヒーロー殺し、敵連合とも繋がってたんだろ? もしあんな恐ろしい奴がUSJ来てたらと思うと、ゾッとするよ」

 エンデヴァーの功績や、詳らかにされつつあるヒーロー殺しの思想など、話題は尽きなかったが、やがて始業の時間が迫り、飯田の声を合図に三々五々机へ向かう。名前も八百万と別れ、自分の席へ着いた。
 それから背後に人の気配を感じ、何となく後ろを向く。ステインの思想自体には何も言わず、ただその行いを否定した飯田――そんな彼が、席に着こうとしているところだった。制服の袖から覗く左手は、包帯に覆われている。
「飯田くん」名前が小さく言った。
 飯田は顔を上げ、名前を見詰める――私は、こんな風に言えるだろうか? 大怪我を負わされた13号が、もうヒーローとして活動できなくなってしまったとしたら?

 結局名前は何も言うことができず、「大丈夫?」と問い掛けることしかできなかった。飯田は眉を下げ、「また心配を掛けてしまったな」と微かに笑った。

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