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 怪物化の“個性”を持った一人がヒーローの注意を引き付け、残りの仲間で目前のコンビニエンスストアを襲うのが、彼らの手筈だった。元々、社会に適合できなかった人間の集まりなのだ。特に強い“個性”を持っているわけでもない。だからこそ古典的な手を使った。陽動と、撹乱。
 通報されて駆け寄ってくるのが敵受け取り係にせよ、大した“個性”も持たない警備員にせよ、武力を行使してくるヒーローにせよ、戦うべきは時間――その筈だった。
「クソが! 何なんだよ、このガキはよ!」
 苛々とした調子でそう叫んだ敵のすぐ目の前を、コスチュームを纏った少年の指先が通り過ぎて行く。こんな子供に、構っている一秒たりともないのだ。
 赤い髪の少年――切島は小さく舌打ちをしつつ、死角から襲ってくる衝撃に備えた。がいんと頭が揺れたが、切島よりもむしろ、硬化した頭部を殴り付けた敵の方がダメージを負っている。鱗に覆われた男の拳から、赤い血が滲み出ているのを、切島は確かに目撃した。切島の身体は、今や最強の盾と呼ぶに相応しい硬度を誇っていた。
 切島はそのまま振り向きざまに蹴り付けたが、入り方が浅かったのか、二、三歩よろけただけで終わってしまった。もしかすると、昼間に話した会話が尾を引いているのかもしれない。硬化という使いどころの難しい“個性”ではあるものの、簡単に人を殺してしまえる“個性”には代わりがないのだ。しかしながら、これで良い。「穴黒!」

 バランスを崩しただけだった筈の敵が、びたんと勢い良く仰向けに倒れたのは、当然名前が“個性”を発動させたからだ。きちんと両足で立っている人間を、名前の“個性”で足止めしようとしても上手くいかないのは、これまでのヒーロー基礎学で学習済みだ。しかしながら、一度でもバランスを崩させてしまえば、重力で引き寄せようとするのはさほど難しくはない。
 ヒーロー気取りの学生がもう一人居たことに、敵達はかなり驚いたようだった。しかしながら、一人二人と鉄片が磁石へ吸い付けられるように地べたに磔にされていく様を見て、漸く事態を察したらしい。彼らは慌てて名前に襲い掛かろうとしたものの、その隙を切島に付かれたり、強い重力に引き寄せられて身動きもままならなくなったりと、結果的に、十数人居た強盗は全て地に伏した。“個性”で息を潜め、名前に襲い掛かろうとしていた敵の一人も、結局は鉄哲に見破られてノックアウトされた。
 実行犯達による物的被害は無く、切島の頬に三本の切り傷、名前の腕にひどい筋肉痛、それから三人平等に鈍い痛みを頭に残し、事態は収束した。

 拳骨を振り下ろしたフォースカインドは、頬を引き攣らせながら「指でも詰めれば大人しくなるのか?」と口にした。名前達は三人ともびくりと身を震わせたが、結局フォースカインドはそれ以上言わなかった。「まあ、離れた俺が悪い」
「だが、規則を守らなくて良いってわけじゃねえからな」
 ぎろりと睨まれ、ドスの利いた声に三人はこくこくと頷く。ふと視線を向けられ、名前は思わず身を硬直させた。伸びてくる四本腕に、無意識の内に目を閉じる。
 頭に置かれた手に、恐る恐る目を開けば、フォースカインドは笑っていた。「ちゃんと使えたじゃねえか」



 それから残りの日程は、全て基礎トレーニングに費やされた。名前達は、フォースカインドからの信頼を失ってしまったのだ。――しかしながら、事実は少し違っていた。仮免許証すら持っていない名前達が会敵したとはいえ許可無く“個性”を使用したことで、フォースカインドは市から大目玉を食らい、数ヶ月間教育権を取り上げられたのだ。当然街に連れ出すわけには行かず、仕方なく事務所でトレーニングを行うしかなかったらしい(鍛錬自体もかなりグレーではある)。もっともそれを名前達が知ったのは、ずっと後のことだったが。

 硬化した切島の指先が掠めたのだろう、フォースカインドの鼻からたらりと赤い血が垂れていく。名前があっと思った時には、既に任侠ヒーローはその血を袖で拭い、ジャケットを脱ぎ捨てていた。鼻の下から引き攣れたように伸びる赤い筋に、ますます凄みが増す。「このジャリ共が」
 名前は思わずびくっとしてしまったのだが、切島も鉄哲も、そんなフォースカインドにまったく怯むことがなかった。むしろ、「おお……」と、何故だか感嘆の声を漏らす始末だ。フォースカインドが怪訝そうに眉を顰める。
「フォースカインドさんが上着脱いだぞ……!」鉄哲が言った。
 切島達がやったぜと喜び合ったのも束の間だった。彼らを眺めながら、フォースカインドは一組の手でばきりと骨を鳴らした。その音のあまりの大きさに、切島と鉄哲が揃ってフォースカインドを見遣る。彼はそれから余った腕の片方で、ゆるりとネクタイを外した。名前達が地獄を見たのは言うまでもない。


 事務所の前で三人を見回したフォースカインドは、「随分ぼろぼろだな」とうっすら笑った――切島と鉄哲は聊かむっとしたようだったが、実際彼の言う通りだ。名前は腕の痛みが引かず包帯でぐるぐる巻きにしていたし、切島と鉄哲は肉体を硬質化させる“個性”にも関わらず全身傷だらけだった。
 職場体験最終日、名前達は既に制服に身を包んでいた。お世話になりましたと言ってお辞儀をし、頭を上げると、何故だかフォースカインドと視線が合致する。
「名前ちゃん、名刺持ってるか。最初にあげたやつ」
「へっ? あ、はい」
 唐突に名前を呼ばれ、ひどく驚く。思えば、フォースカインドが名前のことを名で呼んだのは初めてだった。彼は切島のことは「烈怒頼雄斗」、鉄哲のことは「リアルスティール」と普通にコードネームで呼んでいたのに、名前のことは「君」とか「おい」とかでしか呼んでいなかったのだ。
 おずおずと頷いてみせれば、名刺を出すように促される――名前達は三人とも、職場体験初日にフォースカインドから名刺を貰っていた。ヒーロー名と事務所の所在地や連絡先しか書かれていない、とてもシンプルなものだ。何故いま必要があるのだろうかと思いながら鞄を漁るが、包帯に覆われた腕ではなかなか上手くいかなかった。
 痺れを切らしたのだろうか、もういいよと声を掛けられた。謝りつつフォースカインドの方を向いた名前は、そのまま右手を取られる。あっという間もなく、フォースカインドはいつの間にか手にしていたサインペンで、名前の手の包帯にすらすらと文字を書いていった。
 彼が手馴れた手付きでサインするのをぽかんと眺めていた名前だったが、インクが滲んで読み辛くはあるものの、それが携帯番号とメールアドレスらしいということを正しく理解した。「困ったことがあったらいつでも連絡してきな」

 何で穴黒だけ!?と切島達は騒ぎ始めたが、フォースカインドはそれを突っぱねた。「君らはどこの事務所でもやってける」
「別に彼女がうちじゃないといけない理由もない。ただ、うちの事務所は身体強化型の“個性”の連中ばっかりで、もう少し融通が利くやつが欲しいんだ」フォースカインドはそう言ってから、名前をじっと見詰めた。「言ったろ、君の“個性”は有用だよ。本気でヒーローになる気があるなら、俺のところへ来な」

 まあスカウトってやつだよと、静かに付け足したフォースカインド。そんな任侠ヒーローを見上げながら、名前はひどく困惑していた。手書きの連絡先が――もらった名刺にも電話番号やメールアドレスは記載されていたが、包帯に書かれた文字列はそれとは異なっていた。おそらく、フォースカインド個人の私的なアドレスなのだろう――嬉しくないわけではなかったが、それ以前にわけが解らなかった。名前はトレーニングで“個性”を使うことを渋り続けたし、切島や鉄哲のような優れた生徒と比べられていたのだから尚更だ。フォースカインドがわざわざ名前を指名する理由が見当たらない。
 そんな名前の思いが伝わったのか、フォースカインドは鼻の頭に皺を寄せ、腕の一本で頭を掻く。
「あの、もしかして私を指名してくださったのって――」
「そんな良い“個性”持ってんのに、穴黒の野郎なんかにみすみすくれてやるのも惜しいだろ」

 指名は二人だって言ったろと、呆れたように呟いたフォースカインドの言葉を理解するのに、さほど時間は掛からなかった。「えええええ!」

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