打算でできたこの感情に名をつけるならきっとそれを恋とよぶのだろう

 耳に届いていたぺたぺたという軽い足音が、教室の前でぴたりと止まった。がらがらとキャスターの転がる音がして、一人の女子生徒が戸口から顔を覗かせる。「障子くん居たあ」
 障子がちらりと目を向け、すぐに日誌へと向かい直ったのは、名字がやってくる事が既に解っていたからだ。既にディスプレイが消えている障子の携帯には、返信していない彼女の「今からそっちいく〜」というメッセージが残っている。障子はさりげなく、複製していた耳を元に戻した。

 ぺたぺたと近寄ってきた名字は、障子の手元を覗き込み、「日誌?」と呟くように言った。「まだ書いてたの?」
「真面目だなあ……もっと適当に書けば良いのに。私一行で終わらせちゃうよ」
 それは不真面目過ぎるだろうと口にすれば、名字はおかしそうに笑った。隣の机に腰を下ろし、スマホを取り出し操作し始めた名字――アプリゲームでもしているのだろうか、彼女の長細い指は不規則に動いている――を障子は暫く眺めていたが、やがて口を開いた。
「名字」
「うーん?」
 生返事だ。「待ってる気なのか?」
「え? うん」
 障子が口を閉ざすと、不振に思ったのか名字が障子を見る。「だめ?」
「そういうわけじゃないが、まだ掛かるぞ」
「えっ……そんな書くことある?」
 色々考えているとな。そう返すと、名字は「ふうん……」と呟くように言った。
「いいよ、待ってるから。一人で帰るのもあれだし」
 四六時中誰かと一緒に居たがるのは、女子の特性なのだろうか。もっとも、彼女と一緒に過ごすのが嫌なわけではなかったが。
 障子とクラスメイトの名字は、よく一緒に行動していた。授業内では大抵一緒に組むし、家の方向が同じこともあって、下校も殆ど一緒だ。遅くなった障子を、名字がこうして待っていることは、決して初めてではなかったし、彼女が障子以外のクラスメイト――女子でさえ――と共に居ることは滅多になかった。
「俺じゃない奴を誘えばいいじゃないか。まだ校舎内に居る奴も居ると思うぞ」そう言ってから、ふと思い出し言葉を付け足す。「常闇が、帰りに図書室に寄ると言っていた」
「常闇くん?」
 名字が聞き返すように言った。障子が日誌を書き終えるまで図書室に居る、そう言っていた名字は、視線を上に向け、考えながら呟いた。「そういえば居たかも」
「誘ってみればどうだ」
「あー……うん」
 ゆるゆると指を動かし始めた名字。端末に顔を近付け過ぎるのはもはや癖のようなもので、彼女の目に画面の光が反射しているのを、障子は確かに目撃した。担任が見たら、何もせずただ待ってるだけなんて不合理極まりない、と眉を顰めるに違いない。



「名字」
「うん?」
 スマホから目を離した彼女は、すぐ隣に障子が立っていて驚いたのだろう、少々眼を丸くさせた。「知ってるぞ、名字」
「お前、俺を見て安心してるんだろう」

 名字は何も言わなかった。黙って障子を見上げている。鱗に覆われた彼女の尾が、ゆうらりと視界の端で揺れていた。
「うちのクラス、異形型少ないもんな」障子が言った。「俺と居ると、自分が普通になれた気がするんだろう。解るよ」
「ただな、名字、俺はお前が思ってるほど御人好しではないし、物分りが良いわけでもない。心だって広くない。ただ、俺はお前のことを友達だと思ってるし、お前がその方が良いって言うんなら、そうしてやりたいとも思ってる」
 名字の顔からは、もはや表情が消えていた。障子が彼女のことを友達だと思っているのは事実だ。――こんな顔を、させたかったわけでもない。「そうでなきゃ、俺と居る理由無いもんな」


「……日誌、終わった?」名字は、はぐらかした。
「ああ」
 開いていた冊子を閉じ、教卓の中へ仕舞い込む。「待たせて悪かったな」と口にすれば、尾白の机から降りた名字は、少しだけ眉を下げた。
「返事あったか?」
「え?」
「常闇」
「あっ……あー……ううん」
 へらっと作り笑いを浮かべた名字に、障子はそうかと頷いただけだった。もっとも、送っていないメッセージに、反応がある筈もなかったが。

「……明日も一緒に帰ろうね」
 小さく呟いた名字。ああと返事をすれば、今度こそ名字は静かに笑った。

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