黄昏時にて

 作業台に置いてあるレンチを取ろうとして、名前はあたりがすっかり暗くなっていることに漸く気が付いた。道理で手元が見辛い筈だ。携帯端末を取り出し確認すれば、時刻は十九時を回っている。間もなく見回りの先生がやってくるだろう。名残惜しいがそろそろ撤収しなければ。名前は何の気なしに後ろを振り返った。それから密かに溜息をつく。
 二つ向こうの作業台で、見知った女子生徒が一心不乱に製図している。どうやら名前と同じように、日がまもなく沈もうとしていることに気付いていないらしい。

 名前はゆっくりと発目に近寄った。背後から覗き込んでみれば、何やら靴のように見えた。どうやら高所作業を意図しているのか、吸盤の他にも色々と仕組まれているようだ。文字までは読めなかったが、どうも衝撃吸収の為のものらしい。俺も昔考えたことがあるなあと思いながら、「そろそろ時間だよ」と声を掛ける。
 振り返った発目は、名前を見てぽかんと口を開けた。名前が背後に立っていることに気付かなかったのだろう。わかりましたと立ち上がる発目。彼女の表情はよく見えなかったが、その様子からしてまだ帰りたくないと思っているらしかった。しかしながら、それでも彼女は名前の言葉に従った。
 名前が内心で笑ったのは、最初に比べ彼女が随分と大人しくなったからだ。――工房を自由に使えるのは生徒の権利じゃないですか!と彼女が食い下がったのは、まだたった二週間ほど前の話だった。


 発目が自分の機材を片付けている間、一足先に帰り支度を済ませていた名前は、教室の施錠を確認した。もっとも、工房では精密機器や化学薬品を扱うことも多いので、換気以外で窓を開けることは殆どなかった。夏場でさえ、場合によってはエアコンすら付けず作業を行うこともある。まあ、夏休みに学校に来る生徒自体かなり少数なことは確かだけど。
 後輩の身支度がほぼほぼ完了した頃合を見計らい、名前は「準備できた?」と声を掛ける。発目は「はい」と小さく返事をし、名前の後にちょこんと付いてきた。名前が工房の施錠をし、それから鍵を手に職員室へ向かう。ぎりぎりまで居残った後、二人並んで鍵を返しにいくのは、もはや恒例の行事となっていた。

 校舎内は殆ど人気が無かったが、職員室には明かりが灯っていた。失礼しますと声を掛け、入ってきた名前達を見たヒーロー達は、またこいつらかとどこか呆れたような顔をした。
「また君達ですか」そう声を掛けてきたのは、サポート科の13号だ。
 名前は彼が受け取った鍵を保管箱に仕舞い込むのを眺めながら、「来週は流石に帰りますよ」とへらりと笑う。13号の表情は読めなかったが、はあと小さな溜息が聞こえてきた気がした。名前と、そして発目を見比べる。「将来有望な君達にお小言の二つ三つ言いたいところですが、どうせ言っても聞かないのでしょうね」

 ――今年サポート科に入学した生徒に、発目明という名の生徒が居る。入学当初から暇さえあれば工房に篭り切りの研究熱心な――より正確に言うと、発明オタクな――生徒だ。
 工房の一部を任されている名前が、彼女の存在を知るのにさほど時間は掛からなかった。何せ、帰る際には当然部屋の鍵を閉めねばならず、逆に言うと最後の一人が帰るまで、名前は帰ることができないのだ。発明オタクの発目は、入学したその日から名前の管理する第二工房の常連だった。

 工房は暗かったけど、まだ結構明るいなあ。そんな事を考えながら最寄の駅へと向かう。名前と発目の間に会話は殆どなかったが、それがニュートラルなので名前はさほど気にしなかった。向かう先が一緒なのと、女子高生に暗い夜道を一人で歩かせるのが忍びないので、半ば強引に一緒に帰っているだけで、名前達は特に仲が良いわけではない。だからこそ、珍しく口を利いた発目に名前はかなり驚いていた。
「名字先輩は、何でいつも付き合ってくれるんですか」

 名前は半歩後ろを歩く後輩にちらりと目をやる。ゴーグルを外し、露になった彼女の金の目が、じいと名前を見詰めている。
「何、発目さんそんな事考えてたの?」
「“そんな事”じゃないです」発目が言った。「大事な事です」
 名前は眉を上げる。「そう?」
「無駄なこと考えてるね。脳のリソースが勿体無いよ。……まあ、俺は管理任されてるし、使いたいって子が居るならそりゃ、誰だって優先するでしょ」
 納得していないらしい発目に、名前は言葉を付け足した。

「それだけですか?」
「うん?」
 少し離れた場所から声がして、名前は足を止めた。振り返ってみれば、すぐ後ろに居た筈の発目が、二メートルほど離れた場所に居る。「本当にそれだけ?」


 テスト期間中も開放して欲しいんだろうか――そんな事を考えながら、名前は発目に近寄った。「発目さんもその内解るよ。多分、君、来年鍵管理任されると思う」
「経験則ですか?」
「まあね。俺も四六時中篭ってたから」
 へらりと笑う名前を、発目は黙って見詰める。「だって勿体無いだろ」
「発目さんは才能あるし、意欲だってある。そんな子が、たかだか鍵の有無くらいで帰らなきゃならないなんて……勿体無いと思ったんだよ。少なくとも俺はね」
 発目さんこそ別にうちの工房じゃなくても良いんだよ。そう言って笑えば、彼女は少々むっとしたらしかった。来週も開けてくれるんですよねと問い掛ける彼女に、名前は黙って彼女の額を小突く。来週テスト期間じゃねーか。

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