大人と子供と子供と大人

 不意に、太腿の辺りを風が通り抜けて行ったのを感じた。怪訝に思い足元へ目を向け、名前は僅かに眉を顰めた。「やっすいAVみたいだ、ハハ」
 いつの間にか名前の背後に立っていたのは当然のことながら死柄木弔で、彼は露になった名前の左太腿をするりと撫で上げていく。骨張った四本の指。塵と化したタイトスカートがはらはらと散っていき、ストッキングに空いた穴はじわじわと広がっていく。寸でのところで崩落は止まり、名前は下半身を丸出しにするという、如何ともし難い痴態からは免れることとなった。
 微弱ながらも性的興奮を感じているのだろうか、死柄木はじいと息を潜めている。「……名前、何か言うことないわけ?」
「ご存知と思いますが、スーツって結構高いんですよ」
「ちげーよ」
 指と髪の隙間から覗く赤い目が、苛むように名前を見る。「きゃっエッチ、とか、そういうのだよ」
 安いAVじゃねーか。


 私に何を求めているのですか。そう問い掛ければ、死柄木は名前から身を引き、カウンター席に座り込んだ。細長い足が乱暴に投げ出される。
「退屈なんだよ」死柄木が言った。
 暇潰しで私のスーツはお釈迦になったのか。そう皮肉を言ってやりたかったが、結局名前は何も言わなかった。今ここで彼の相手をしてしまえば、死柄木はますます手が付けられなくなるだろう。ただでさえ図体がでかい子供のような男なのに。そういうのは私の役目ではない――バーカウンターの向こう側に立つ黒霧は、酒の備品を確かめる振りをするばかりで、名前達が居ることすら気付いていないように見えた。
 この二人、そう仲が良いわけではないのだろうか。
 単独行動を任される名前と違い、“個性”の関係上黒霧は基本的に誰かと組まされる。癇癪持ちの死柄木も、希少な“個性”の持ち主である黒霧には手を出さなかった。黒霧の人柄も相俟って、彼らはよく行動を共にしているのだが。どうやら助け舟の期待はできないらしい。
 彼への報告さえなければ、さっさと帰ってやるのだけれど。
「ゲームでもします?」名前が言った。
「俺のこと子供だと思ってるのか?」
 思っている。と、そう素直に口にしたら、死柄木は怒り始めるだろうか。
 死柄木の堪忍袋の緒を確かめる気にもならず、すみませんと言葉だけの謝罪を行う。元々、名前がそんな事を言ったのは以前実際に彼と対戦型ゲームで暇を潰したことがあったからであって、死柄木を子供と思っているからではなかった。しかしながら、どうやら口だけの謝罪に死柄木は満足したようで、それ以上は何も言わなかった。――名前が子供と思っていることを肯定し、尚且つそれを受け入れた形になるわけだが、良いのだろうか。

 このままの格好で家まで帰ることになりそうだなあと、何の気なしにスカートに目をやれば、そんな名前の様子を見てか、「露出狂みたいだな」と他人事のように死柄木が口にした。もっとも、実際他人事には違いなかったが。例え使い物にならなくさせた張本人であったとしてもだ。
「経費で落ちるでしょうか」
「無理」即答だ。「ヒーローに捕まるなよ名前、俺らが安い団体だと思われる」
 団体名は安いけどな、と、名前と、そして黒霧が同時に心の中で呟く。しかしながら、どちらも口には出さなかった。

 ふと、次に死柄木に会ったら尋ねようと思っていた事を思い出した。「そういえば、弔くん、本当に雄英を襲撃するんですか?」
 カウンターに肘を付き、手持ち無沙汰に指を遊ばせていた死柄木は、ゆっくりと名前を振り返った。彼の表情は手に遮られ、よく見えない。
「ああ」死柄木が言った。「“平和の象徴”が暗殺されたら、きっと面白いことになるだろ?」
「それとも……未練でもあるかい」
 形こそ問い掛けのようだったが、その言葉には何の意味も持たなかった。雄英の情報を――主に警備のシステムなどを――教えたのは名前であって、そんな名前が母校への襲撃に対して反対する筈もない。当然名前は首を振るし、死柄木は「だろうな」と口にする。その声にはどこか批判めいた色があったが、名前は特に何も思わなかった。
 基本的に、死柄木弔という男は自分本位で考え、行動する。名前を煽るだけ煽って反応したら殺せば良い、そんな風に考えているのかもしれなかった。そうすれば、多少なりとも退屈は紛れるだろうと。名前は敵連合にとって都合の良い女ではあるけれど、黒霧のように不可欠な人間というわけではない。つまり、殺しても何の問題もないわけだ。死柄木が名前を殺さないのは、名前が決して死柄木を苛立たせないからというただそれだけの理由であって、彼の気まぐれで名前が死を迎えることは有り得ない話ではなかった。
 まあ、別に殺されたって構いやしないけれど。
「そうだ。名前も一緒にいく?」
「やめておきます」
「つまんないな、即答か」
 不貞腐れたように呟く死柄木に、「弔くんの応援だけして待ってます」と名前は口にした。一瞬の間。「……あっそ」
「前から気になってたんだが、どうして名前は連合に入ったんだ? ヒーローやってた時もあるんだろ?」
「特別理由はないです」
「思考停止させるのはバカのやることだ」
 実際特別な理由があるわけではないのだが、どうやら死柄木はお気に召さなかったらしい。仕方なく、もう少し言葉を付け加える。「弔くんを放っておけないと思ったからですよ」


 一目見て、こいつはその内何かでかい事をやらかすと思った。ただ、死柄木弔という男は完成から程遠く、このままでは何も成し得ないだろうとそう思った。だから敵連合に入った。世の中に不満を抱いているわけでもなく、死柄木の思想に賛同しているわけでもない。だから特に理由はないのだ。しいて言うなら、死柄木弔という男がしでかすだろうでかい事を見てみたかった、ただそれだけだ。
 死柄木は暫くの間、黙って名前を眺めていたが、やがて「大人ってやつは狡いな」とぼやくように言った。
「弔くんだって大人でしょうに」
「俺のこと、子供と思っているのは名前だろう?」死柄木はどうやら笑ったようだった。「ゲームしよう名前、車のやつが良い」
「私あれ苦手なんですけど」
「教えるから」
 死柄木は名前の前腕を掴み、そのまま歩き出した。中指は立てたままだ。早く帰りたいんだけどなあと思いながら、仕方なしに死柄木の背を追い掛ける。まあ、彼から応答があれば黒霧が教えてくれるだろう。子供の面倒を見てやるのだ、それくらいはしてくれても良い筈だ。
 追い付いた名前を横目で見てか、死柄木は「やっぱり安いAVみたいだな」と小さく言った。誰のせいだと。

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