ぎぶみいちよこれーと

 名前は目を瞬かせた。「俺にくれるの?」
 隣のクラスの副委員長に呼び出されたと思ったら、まさかのアレである。てっきり委員会の招集か、さもなくば鍛錬の相手でもさせられるのかと思ったのに。
 八百万百が、その白い顔をじわじわと朱に染めていく。「あっ、あなたが仰ったのではありませんか!」
「そりゃ、言ったけど……」


 事の発端は一週間ほど前に遡る。その日、隣の一年A組では、調理実習が行われた。普段であれば、非常時の炊き出しを想定して調理が行われるのだが、その日は二月ということもあってか、お菓子作り大会が行われたらしい。誰が一番多く、美味しく、美しくクッキーを作れるか競争したのだという。ちなみに優勝は砂藤くんだそうだ。
 あの爆豪や轟が延々とクッキーを焼き続けている姿を想像すると腹が捩れそうだったし、二日後の調理実習を想像して愕然とした。うちの班男しか居ねえ。
 もう食べれん、と幼馴染がぼやくので、ありがたく相伴に預かっている次第だが、そろそろしょっぱいものが恋しくなってきた。
「これ何、どうなってんの?」
「市販の飴溶かして入れた」
「マジか。響香マジ器用だな」
 熊だか犬だかの形をしたそれは、目の部分が赤く光っていた。ぼりぼりと食べ進む。全部食べちゃってと言われたが、手作りとはいえクッキーならいくらか日持ちするだろうし、持って帰れば良いだろうに。
 作る品がクッキーになったのは、量産が容易だからでなく、比較的保存ができるお菓子だからだろうか。
 そんな事を考えていると、向かい側に座る耳郎が手を振った。「百」

「耳郎さん」寄ってきた八百万は、名前の姿を見て「名字さんも」と言った。
「百も消費手伝ってよ。名前駄目だわ、全然頼りになんない」
「胃袋拡張しまくってる俺に対して酷過ぎねえ?」
 ふと気になって八百万も同じものを作ったのではないのかと問えば、今回の授業は班ではなく、個人個人で製作を行ったのだと返ってきた。次回の家庭科に希望の光が差し込んだが、テーブルは班で分けられるという新情報により、その光は一瞬で掻き消えた。何が楽しくて鉄哲や骨抜のような強面共とクッキー作りに励まなければならないのか。
 いただきますわ、と、八百万は耳郎の隣に腰掛け、クッキーに手を伸ばした。小さなクッキーに両手を添え、少しずつ齧っていく八百万。紅茶でもあれば完璧だったろうに。自販機にあるようなのじゃなく、ハロッズとか、ウェッジウッドとか、そういう感じの。
「――そういえば八百万さんもクッキー作ったんだろ?」
「あ、いいな。ウチも百の作ったの食べたい」
 二枚目のクッキーに手を伸ばしていた八百万は、ぴたりとその手を止めた。「その……実はもう全てなくなってしまって……」
「マジ? 百も結構作ってなかったっけ?」
 心底残念そうにする耳郎に、八百万は苦笑を浮かべた。
「俺お菓子とかよく解らんけど、八百万さんのクッキーって絶対美味しいよな」
「い、いえそんな事は……」
 もうちょっと早く来たら良かった。名前がそう口にすると、「そういえばもうすぐアレだよね」と耳郎が言った。そこからどういうわけか、あれよあれよと言う間に、二週間後の月曜日、八百万がお菓子を作ってきてくれるという流れになったのだ。――なぜ再来週なのかとその時は疑問に思ったが、日曜日がちょうど十四日だったかららしい。


 確かに、名前は言った。八百万さんは料理が上手そうだし、一度でいいから食べてみたいなと。その言葉に嘘はなかったが、まさか本当に作ってきてくれるとは思ってもみなかった。実際、名前はそんな会話があったことすら忘れていたわけで。
 しかしまあ、これほど恥らわれると、此方まで恥ずかしくなってくる。
「嬉しいわ。今貰っても良い?」
「……いえ!」八百万が言った。「実は少し失敗してしまいまして、やはりこんな物を食べさせるわけには――」
 ご丁寧にラッピングされた小箱を引っ込めようとする八百万の手を、慌てて掴む。
「そんな気にしなくていいよ。わざわざ作ってくれたんでしょ?」
「名字さん……」
 どうぞ、と包みを渡され、名前は揚々と袋を開いた。

 鼻を突いたのは、甘く香ばしい香りだった。ああ焦がしてしまったのかと、袋の中から彼女謹製のお菓子を摘む。
 その瞬間まで、名前は季節に合わせて、ココア味のクッキーを焼いてくれたのだと思っていた。しかしながら、名前が袋から出した物体は、クッキーというには聊か分厚すぎた。クッキーだとかビスケットだとかは、基本的に平たい形をしている筈だ。そうでないと、中が生焼けで外が黒焦げという事態になりかねない。膨らまし粉の分量を間違えて膨れ過ぎたということもあるかもしれないが、名前の摘んだそれはむしろ立方体に近かった。
 チョコレートって、熱で溶けなかったっけ。
「……塩気が効いてるね」
 無事に咀嚼し終えた名前は、かなり言葉を選んだ。地雷原を走り抜ける時だって、ここまで慎重にはならなかっただろう。そうでしょう!と一転して目をきらきらさせた八百万はとても可愛らしかったが、何故わかめを入れたのかと数時間に渡って問い詰めたかった。焦げているのは百歩譲って解るとしても、何故わかめを入れた。友達と一緒に作ったのだと彼女は言ったが、彼女の挑戦をとめてくれる賢者は居なかったのだろうか。

 口数の少なくなった名前を見て、「お、美味しくなかったでしょうか?」と八百万が小さく口にした。
「……そういえば、昨日ってバレンタインだったんだっけ」
「あ、え、ええ」
 そうですね、と呟く八百万。その顔には、段々と不安が滲んできている。
「やっぱり。じゃあお返ししないとなあ……でも俺料理とかよく解んなくて。八百万さん、もし良かったら、来月俺がお返し作るの手伝ってくんない?」
 名前がそう言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。俺含め、八百万に夢を抱いている同士達の為に、ヒーロー志望として精一杯努力せねばなるまい。

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