年下の男の子

 ふと、見覚えのある姿が視界の端に映った。近所の某有名校の制服を身に纏っているが、あの独特なシルエットは間違いなく――肩に手を乗せると、常闇踏陰は勢いよく振り返った。そして自分を見て笑っているのが名前であると気が付くと、その鋭い目を目いっぱい見開く。
「……名前さん」
「踏陰くん久しぶりー」
 こんなとこで何してんの問い掛けると、常闇は気まずそうに目を逸らした。


 答えない常闇に、名前は内心で首を傾げた。お菓子とか飲み物とか、そうでなくとも文房具や簡単な日常雑貨なら大抵は揃っている。
 煙草を買いにきたとかだったら、そりゃ、目を逸らしたくもなるかもしれないが、まさか雄英高校の制服を着たまま凶行に及ぶこともないだろう。彼は未成年で、高校生だ。しかも飛び切り名門校の。
「私はねえ、お酒を買いに来たのだよ」
 カゴを持ち上げてみせれば、常闇は「そんな事言われなくても解っている」とでも言いたげな表情で、こっくりと頷いた。じいとカゴの中身を見詰められ、名前は何となく責められているように感じ、さりげなく腕を下げる。――いいじゃないか。仕事で疲れているんだから、たまの息抜きくらい。
 この年下の幼馴染は、昔からしっかりしていた。家が近所ということもあって、小学生の時はよく一緒に通学したが、名前は彼が泣いたところを一度も見た覚えがなかった。同じ年頃の子供に比べてずっと大人びていたし、やんちゃをしたという噂は聞いたことがなかった。むしろ、耳に飛び込んでくるのは彼に対する賛辞ばかりだった。かけっこではいつも一番だったし、今ではあの雄英の、しかもヒーロー科に通っている。
 そんな常闇からしてみれば、コンビニで酒を買い込む名前の姿は、どこか情けなく映るのかもしれなかった。ばつの悪さを感じつつも名前は「おっきくなったよねえ」と笑い、それからじゃあねと手を振った。
 のだが、会計に向かう名前の後を、常闇は黙ってついてきた。

 慣れた手付きでレジへ通されるアルミ缶を何の気なしに眺めながら、「学校楽しい? 背ぇいくつになった?」と隣に立つ常闇に問い掛ける。
「160行ってる?」
「……いや」
 不承不承といった調子でそう答える常闇に、名前は小さく笑った。「じゃあまだ私のがちょっと高いねえ」
「ヒールは反則だろう」
「裸足でも160あるんでー」
 胸を張ってみせれば、変わる筈のない彼の口がへの字を描いたように見えて、名前はますます笑った。「まあまだ高校生でしょ、これから伸びるからだいじょぶだよ」

 会計が終わり、レシートを仕舞っていると、横に立っていた筈の常闇が何故かレジ袋を受け取り、そのまますたすたと歩いていってしまった。慌ててその背を追い掛ける。
「待って待って、別に持ってくれなくて良いよ!」
「案ずるな」
「案ずるわ!」
 というか何その言葉遣い!
 頑として袋を渡してくれそうにない常闇に、仕方なく名前は手ぶらでその隣を歩く。小柄な体格に見合わず、かなり重い筈のレジ袋を彼は軽々と持っていて、流石は男の子だと半ば感心した。
 こんな事なら、何か買ってやれば良かった。そう思いながら、名前は改めて常闇を見る。身長こそあまり高くなかったが、昔と変わらぬ切れ長の眼は清々しいほどにまっすぐだ。背筋はすっと伸びていて、凛々しいという言葉がしっくりくる。手だって、もはや男の手になっている。
 そうか、彼は格好良かったのか。
 ランドセルを背負うよりも前からの付き合いだったせいか、妙に落ち着かなかったが、名前は正しく理解した。


 家に着くと、名前に袋を渡しそのまま帰ろうとする常闇に、「えっ、上がってきなよ」と声を掛けた。振り返った常闇は名前を見て、それから何故か足元に目を落とした。
「……おじさんとおばさんは」
「え? さあ、普通に仕事じゃない?」
 名前が言うと、常闇は僅かに目を細めた。そして暫く無言を貫いた後、小さく「見知らぬ男を家へ上げるのは感心しない」と呟いた。
「見知らぬ男て!」
 名前は笑った。「ご近所さんだし、昔から知ってるじゃんか」
 洗面所の場所解るよねと尋ねれば、常闇はますます渋い顔をする。
 高校生にもなると、異性の家へ上がるというのは緊張するものなんだろうか。名前は自身の高校時代を思い返しながら、思春期ってやつかなと一人納得する。確かに、同級生の男子の家に上がることを考えれば多少の照れは生じるかもしれない――しかしまあ、あの常闇に思春期なるものが来たのか。
 本当に時間が過ぎるのは早いなあ、と、しみじみしていると、そんな名前を見て怪訝に思ったのか、常闇は「ともかく、俺は帰る」と踵を返した。
「待ってってば、お茶くらい飲んできなよ」
 思わずその腕を掴めば、振り返った常闇と目が合って、不思議と緊張する。これほどまでに間近で見詰められたのは、もしかすると初めてかもしれなかった。「言ったろう、男を家へ上げるのは感心しない」
「男って……」
 名前が手を離すと、今度は逆に、常闇が名前の腕を掴んだ。「俺はもう貴方の知ってる幼子じゃないんだ、名前さん」



「子供……とは、思ってないけど……」
 名前の言葉が意外だったのか、常闇は微かに眉を上げた――こんな、熱の篭った目で人を見る子供が、この世界に居る筈がないではないか。必死で名前の手を掴んで歩いていたあの子は、本当に、もうどこにも居なくなってしまったのだ。
 黙り込んだ名前を見て、常闇はフッと笑った。「あと三年だ。覚悟しておいてくれ、名前さん」

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