いのち短しこいせよオトメ

 ふと、昼休みの会話を思い出した。ヒーローの卵とはいえ、響香達は女子高生。ごく当たり前の、日常会話の一つだった。――響香ちゃんは居るのかしら、すきな人。


 手持ち無沙汰にいじっていた袋の口を一度二度くぐらせ、ぎゅっと縛る。この市の指定のごみ袋は結ぶ為の持ち手部分が短くて、ついいらいらしてしまう。もう少しこう、長めに作ればいいのに。もっとも、実家に居た頃はほぼほぼ母が出していたので、ごみ袋縛り暦数週間の響香がどうこう言っていい問題ではないのだが。
 立ち上がった響香はプラごみの袋を持ち、そのまま家を後にしようと玄関をくぐった。ばったり。
 全身でくたびれました!と叫んでいる名前は、それでも響香の姿を見とめると、「ごみ出し? えらいね」と薄く笑った。その目の下には青黒い隈がある。

「うっわ、今日も社畜とか……」
 響香がそう口にすると、先ほどまでへらへらしていた名前は、あからさまに顔を顰めた。「やめてくださーい」
「今日は……まだ早い方だし……」
 そもそも俺レベルで社畜なんて言ってたら、もっと遅い帰りの人に悪いでしょ。諭すように言う名前に、響香は「そうすね」と返す。そういう思考が会社の畜生と呼ばれる所以なのだろうに、彼は気が付かないのだろうか。もっとも、響香には関係のない話なのだが。
「つか、偉いも何もウチ一人なんで。捨てる人他に居ないし」
「響香ちゃん可愛くなーい。そこは名前さんありがとーで済ましとくもんだよ。そんで感激で泣きながら抱き付いてくれれば尚良し――やめて! スマホ取り出すのヤメテ!」
 笑いながらスマートフォンをしまえば、名前が小さく溜息を吐き出した。JKまで俺をいじめるとかぶつぶつ言っているが、響香は聞こえない振りをした。ここで響香が1と1と0を押せば、困ったことになるのは名前の方だと、どちらも解っているからだ。

 俺学生の時とか余裕で数ヶ月溜めてたし、と、普通の女なら引くようなことを口にするのは、隣の部屋に住む企業戦士だった。彼――名字名前は彼女が欲しいと事ある毎にぼやいているが、そういう部分部分で気配りが足りないことに、どうやら気が付いていないらしかった。最初は、響香が単なる隣人の女子高生だから、気にせず口にしているのだろうと思っていたのだが、彼が人よりデリカシーというものに鈍感なのは、どうやら生来のものらしい。
 まあ、確かに今日は早かったかな。
 未だぼやいている名前(どうやら疲労がかなりキているらしい)を他所に、響香はそう考えた。彼の帰宅はもっと遅いこともあれば、平日だというのに帰ってこないこともある。そこそこ良い企業に勤めているらしいが、それも考え物だ。
 彼の脇をすり抜け、階下のごみ捨て場に行こうとしていた響香だったが、名前に引き止められた。彼は自宅玄関に鞄をうっちゃり、鍵をかけると、響香を振り返って「さ、いこっか」と声を掛ける。響香は眉を寄せたが、欠伸をしている名前はそんな響香を気にも留めず歩き出したので、慌てて後を追った。女子高生一人で夜出歩かせらんないでしょと、名前が薄く笑ったのは、かれこれ二週間前のことだ。

 取り留めのないことを話しながら――学校はどうだとか、上司がうざいとか、そういう事だ。名前は雄英の授業風景については興味深そうに頷き、オールマイトのことを話すと本気で羨ましがった――アパートの外へ向かう。
「朝捨てなきゃいけないんだけどね、ホントは」
 ごみ捨て場に辿り着いた時、名前が言った。
「捨て忘れて溜め続けるよりマシじゃん?」
「それ引っ張るのやめてくんね?」
 苦笑を浮かべる名前の横で、響香も笑みを作った。カラス避けのネットを持ち上げ、収集箱の中へ放り込む。一応決まりでは朝方に出さなければならないのだが、どうやら響香と同じような不届き者は居るようで、箱の中には既にいくつかのごみ袋が捨てられていた。まあ、可燃でなくプラスチックだし、さほど鳥の心配をする必要はないだろう。
 合成繊維でできたネットを元へ戻した時、ふと思い出したように名前が言った。
「そういやさ、ちゃんと袋閉じた?」
「結んだけど……」
 名前は、「響香ちゃんはしっかりしてるから、大丈夫だろうけど」と、前置きをした上で言葉を続けた。「俺こないだごみ出した時、何か袋の口開いてたみたいでさ。大家さんにチョー怒られたんだよ」
 そりゃ起こられるだろうなあと思いながらも響香は何も言わず、ただ耳を傾けていた。「ちゃんと結んだつもりだったんだけど……」
「それにほら、このご時勢でしょ? 俺みたいなおっさんはともかく、響香ちゃんみたいな可愛い子だと、変な奴に目をつけられないようにしないと……」
 個人情報とかはちゃんと破って捨てんだよと口にする名前に、響香は黙って頷いた。



 ばたんと軽い音がして、戸が閉まる。ここのアパートは扉が薄く、部屋の外に立っていれば、鍵の閉まる音くらい容易に聞き分けることができた。耳の良い響香なら尚更だ。もっとも、今居るのは彼の部屋の外ではなく、自分の部屋の中だけれど。
 するっと軽い音がして、それから小さなぱたんという音。どうやら名前は、解いたネクタイをソファーの上に放ったらしい。もっとも響香は彼の部屋に入った事がない。もしかすると人を駄目にすると噂のクッションかもしれないし、毛足の長いラグかも。
 ぺたぺた足音するし、後者は除外だな。
 響香は壁に背を沿わせたまま、そっと目を閉じた。隣人と会話する為に彼の帰宅に合わせごみを捨てるようにしていることとか、こうして毎日彼の生活音を盗み聞くことを生き甲斐にしていることとかを知ったら、友人達は何と言うだろうか。一途だねと、笑ってくれるだろうか。
 名前の深い溜息が、時折響香の鼓膜をそわそわと撫で擦る。ああ、今日も良い一日だった。

[ 114/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -