suck

※出血、嘔吐、放送禁止用語

 靄が晴れる。何気ない所作で店内を見回せば、微妙に顔の知っている人間が複数存在していた。どうやら前科持ちが何人か居るらしい。なるべく係わり合いになりたくはないが、そうも言っていられないのだろう――そんな彼らがどこかぴりぴりしているのは、この集まりのホストが依然として姿を現していないからからに違いなかった。名前だってそれは同じだ。
 彼らの視線を掻い潜るように、名前は自然体を装いカウンター席に着く。後からやってきた黒霧が、「何か飲みます?」と首を傾げてみせた。既に“個性”の発動を止めているのだろう、もやもやしていない。
「つか……死柄木弔はどうしたよ」
 黒霧は肩を上げた。「私は彼の全てを把握しているわけではないので」
「人呼んどいて自分は遅刻か。敵なら社会のルール守れやウッゼェな」
「そのルールを守らないから、敵と呼ぶのでは?」
「ルールに則ってる事が前提だろが」
「なるほど……」
 ことんという小さな音が耳に届く。音のした方を見れば、黒霧がグラスを差し出したところだった。満たされた液体は橙色で、名前が眉を顰めると、店の主人は肩を揺らした。


 仕方なく、黒霧と他愛もない会話を続ける。もっとも、彼がテレポーターだから多少の関わりがあるのであって、名前は特に彼と親しいというわけではなかった。世間話に花が咲く筈もない。しかしながら、死柄木弔という主催者が居ない今、他の連中と一緒に居る意味もない。名前はコミュ力が低いわけではないのだが、明らかに不審者な輩とつるみたくはなかった。なんだその拘束具。
 未だ背中にちくちくと視線が突き刺さっているのは、名前が未成年だからだろう。下手したら中学生と思われているかもしれない。そんな名前が店主と一緒に現れたら、誰だって様子を伺うのは当然だ。逆の立場だったら名前だってそうするに違いない。――悪の巣窟に、名前のような普通の男子高生はそぐわない。
 まあ、俺よか年下も居るみてえだけど……。
 先ほど店内を見回した時に、ガスマスクを被った小柄な男が居たが、おそらく名前より年下ではないだろうか。小柄な成人男性のという線も、ないわけではなかったが。
「そういや……こういう店やんのって許可居んじゃねえの? よく知らねーけど……」
「持っていますよ。ちゃんと食品衛生法に則ってます」
「マジかよ」
 どこか得意げな黒霧に、なら病院もちゃんと行けよとぼやけば、彼は一瞬で顔を顰めた。「高いんですよ……」
「なら正規の行けよ。なんなら俺の戸籍貸してやるって言ってんのに」
「そうですねえ……」
 何を義理立てしているのかは知らないが、黒霧は名前の提案に乗る気はないらしかった。そこで話は打ち切られる。
「病院で思い出しましたが、名字名前、先日の傷がまだ塞がっていないのですが……」
「だから正規の病院行けっつってんだろが。俺は医者じゃねんだよ」
「そうですね」
 黙り込んだ黒霧に、名前の苛々が高まっていく。「……あーもう皿出せクソが」
 すみませんねと口にするぐらいなら、最初から病院へ行って欲しい。――死柄木弔のような人間ならともかく、名前や黒霧は敵として活動する傍ら、普通に日常生活を営んでいる。つまり悪事を働けば法に罰せられるし、怪我をしたら病院へ行くことができるのだ。しかしながら、一般人がそう何度も刀傷を拵えて医者に会いにいける筈もないのが実情だった。何より黒霧は、ヒーローに顔が割れている。
 見慣れたボウルが机に置かれる。名前は差し出されたナイフを受け取ると、思い切り左手に突き立てた。だばだばと血が流れ落ち、硝子のボウルを満たしていく。
「いいですね名前、これで一財産築けますよ」
「貧血で死ぬわ」

 敵連合には治癒系“個性”の持ち主は居なかった。死柄木弔はカリスマだけは無駄にあるのだから、まずそういった後方支援系個性を仲間に引き入れればいいだろうに。現時点でそれが必要なのは彼なのだし、ただのチンピラを寄せ集めるよりよほど有意義な筈だ。
 名前の“個性”は治癒ではなかったが、体内で薬に似た成分を生成する事ができた。黒霧は彼の目的を果たす上で貴重な人材だったし、死柄木だってそれは同義だ。名前が彼らの為に治療薬を作ってやるのは、これが初めてではなかった。
 名前は黙って血が溜まっていくのを眺めていたが、やがて口を開いた。「失せろ」
 ふらふらと名前達の方へ近寄ってきていた人間が、ぴたりと足を止めた。
「お兄さん血ィ出てますねえ」
 その声の高さに、思わず名前は視線を向けた。そこには名前の予想に反し、同じ年頃の女が立っていた。
 クリーム色のカーディガン、その裾から覗く紺のひだ襟スカート。明るく染められた髪は傷んでいるのか、大雑把に纏められた団子髪からはみ出し方々へ飛び出している。髪色と同じ金の目は爛々と光り、じいと名前を見詰めていた――より正確に言うならば、未だ血の流れ出ている、名前の左の掌を見詰めていた。「カァイイですねえ」
「ただのキチガイじゃねーか。失せろ」
「私、トガヒミコっていいます」女子高生が言った。「私、血の香りのする人が大好きなんです」
 名前は目を細めた。こいつ、日本語も通じねーのか。もっとも、こんな場所に女子高生が居る時点でおかしな話なのだ。意思疎通ができなくても、何ら不思議ではない。
 名前が苛々している事に気が付いていたのか、それとも薬を提供してもらっている手前加勢しないわけにはいかないのか、もしくは自分の店で面倒ごとを引き起こして欲しくないのか――黒霧が名前の肩を持った。もっとも、多少の棘があったことは否めないが。「名字名前は血も涙も毒の毒人間です。近寄らない方がいいですよ」
「名字名前くん……」
 トガが笑った。「名字名前くん、名字名前くん、名字名前くん……」
 敵でこそあれ、名前は一般的な価値観を有していた。トガがゆうらりとナイフさえ取り出さなかったら、蕩け切った表情の彼女に見惚れていたかもしれない。「名前くんの血、すっごく良い香りがします。それに名前くんってかっこいい。私、名前くんのこと好きです。名前くんがボロボロになって、もっと血ィ出たら、もっとかっこよくなると思うんです」
 トガが駆け出したのと、名前が「ウッゼェな……」と呟いたのは、殆ど同時だった。

 椅子からするりと降りた名前は、そのままトガの懐に潜り込んだ。ナイフを持つ右腕を掴み、足を掛け転ばせる。腕を掴んだままだから、当然彼女の体は飛ぶことなく名前の足の下だ。反撃されないよう、彼女の左腕を思い切り踏み付ける。もしかすると骨に皹くらいは入っているかもしれないが、知ったこっちゃない。「ウゼェ上に弱ェキチガイか。救えねーな」
 トガが痛みに顔を歪ませたのを確認してから、名前は顔を上げ、黒霧を見た。店に居た他の連中はといえば、名前の大立ち回りが意外だったのか、感心するように此方を見ている。
「誰だこいつ入れたの。頭に蛆でも沸いてんじゃねーのか」
「キツいですね……」
「俺に負けてる時点で駄目だろが」
 大方死柄木だろうと適当に検討を付ける。彼は快楽主義だし、この女とも気が合うに違いない。そんな事を思った時、左腕に鋭い痛みが走った。
 見れば元より薄黒かった服の袖が、どす黒く変わっていく。どうやら前腕の中ほどを持っていたせいで、手首を捻ってナイフの刃先を当てることができたらしい。にんまりと笑ったトガの頬に、ぱたぱたと血が垂れていく。「名前くん、カァイイですねえ」

 笑みを作ったトガに、名前の中で何かがプッツンした。元から苛立っていたのだ。任務では常に気を張っていなければならないし、たまの休みに呼び付けられたと思ったらその死柄木は居ないし、左手は痛いし。こんなキチガイに構っていられるほど、名前は暇ではなかった。
「痛ってえな……」トガの腕を掴んだままの左手から、赤黒い煙が立ち上る。「本当に殺すぞクソガキ」
 トガの笑みが歪んだのはその時だった。彼女の顔から一瞬で血の気が失せ、げえげえと吐き始める。靴に引っ掛けられては敵わないと蹴り飛ばせば、トガは吐瀉物を撒き散らしながら、二転三転と転がった。尚も吐き続けている彼女の顔は、青色を通り越して土気色になってきた。気化した名前の血を、思い切り吸い込んだ証拠だ。このまま放っておけば死に至るだろう。
 焦ったのは黒霧だ。「冷静になりなさい名字名前!」
「俺は冷静だよ。こんなキチガイ入れてもしゃーねーだろがよ」
「だとしてもです! 馬鹿と鋏は使いようと言うでしょう!」
 彼の焦りっぷりからして、どうやらトガヒミコがどうこうではなく、単に店を汚されたくないだけらしい。「止めさせなさい名字名前! いいですか、彼女は気違いですが、必ず彼の役に立ちます!」
 名前は顔を顰めた。まだ苛立ちは治まっていなかったが、仕方なしに吐き続けているトガの口に指を突っ込み、新たに血を流し込む。すると次第にトガの嘔吐は収まってゆき、顔色も段々と血の気を取り戻していった。
「どうしたんですか名前」黒霧が言った。「学校で嫌な事でも?」



「……親かよ!」
 名前の怒りはすっかり雲散霧消していた。もっとも、血を流し過ぎて冷静な判断ができなくなっているだけかもしれない。ちゃんと使えよと小さくぼやけば、随分ほっとした様子の黒霧は、「あなたがね」と靄を揺らした。名前は顔を顰める。すっかり元通りになったトガは名前の左手を両手で抱え、その傷口から血を吸っていた。チウチウと音が付きそうな吸いっぷりに、これを使える人間が居たら逆に見てみたいと、名前は乱暴にトガの顔を引き剥がしに掛かった。

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