09

 マグル学を選ぶ者は軟弱だ、なんていう文句が通説になっているが、名前はこれはこれで面白いと思っていた。魔法界からの視点で、マグルについての考察を行うのはなかなか興味深い。父と弟が本格的に口を利いてくれなくなるかもしれないが、マグル学を選択したことは告げていないので大丈夫だ。
 チャリティ・バーベッジ先生は若い魔女で、どうやらマグル生まれではないようだった。つまり、アーサー・ウィーズリーと同じようなマグルが大好きなだけの変人だ。魔法界では珍しい。今でこそマグルいじめかっこ悪い、みたいな空気が流れているが、それでいて基本的に魔法使いは自分達が優れていると思っているのだ。バーベッジ先生はそんな魔法使いの中でも、まったくの希少種だった。彼女は魔法使いとマグルが殆ど同等のものだと思っている。
「馬とロバが子を作るとラバが生まれますが、ラバは子孫を残すことができません。しかし魔法使いとマグルの間に生まれた者は、新たに子を残すことができます。つまり、私達とマグルは同じ種族なのです」
 その論理でいくと、狼人間や巨人なんかもヒトと同じ種族だという結論になりそうだが、何にせよマグル学は面白かった。マグル生まれの生徒はそもそもマグル学を受けないから、先生がマグルの道具や何やらに関して間違ったことを説明していても、特に突っ込みもなく進んで行くことも面白い。
 名前がマグル学を選択したのは、特に取りたいと思う授業がなかったからだが、それ以上に一昨年クィレルに言われたからというのが大いにあったのだろう。そのクィレルは闇の魔術に対する防衛術を教えていて、きびきびした彼の授業を受けられなかったことは少しだけ残念だと思う。マグルは興味深いよと言ったクィレルのことを、名前は好きだったのだ。例えヴォルデモート卿の配下であっても。
 自分が元々マグルだったこともあるのだろう、名前はマグルを自分と重ね合せて見ていた。魔法の使えないマグルと、スリザリンらしくない名前は、常に非難の対象だった。だからマグルを好きだと言ったクィレルのことを名前は好ましく思い、名前はマグル学を好きだと思うのだ。

 まあ、宿題が多いことは玉に瑕かな。
 名前は図書室でレポートを――今週二度目のマグル学のレポートを――書きながらそう思った。読書は好きな方だと思うが、名前はあまり図書室に来たくない。何故かというと、セオドールが図書室の常連だからだ。
 セオドールは、本が好きだった。文字を覚えてからというもの、一日中本ばかりを眺めていたりしたし、ベッドにもぐってからもこっそりと本を読んでいたくらいだ(そしてその都度名前が没収した)。母親はセオドールが幼い頃に死んでしまったので、彼の子守は専ら名前・ジュニアの役目だった。幼い弟は箒がそれほど好きではなかったようだから、名前はよく本を読んでやったのだ。何をしてやれば喜ぶのかが解らなかったからだが、読み聞かせをしている時のセオドールは確かに楽しそうだった。
 彼の本好きに、それが影響しているのかどうかは解らない。しかし事実、セオドールはよく図書室へと足を運んでいる。一度鉢合わせした時もあり、その時はポーロックの糞の山を見るような目で見られた。名前だって、好き好んで実の弟に冷たくされたいわけではない。名前はマゾじゃない。
 そうなると、名前はあまり足繁く図書室へ通うわけにはいかなかった。大体の場合、名前は本を借りるとすぐさま図書室を後にしていた。しかしマグル学だけはそうはいかない。確かに名前は元マグルだったが、元日本人のマグルだった。イギリスのマグルの文化や歴史には詳しくない。そうなると、資料に頼らなければレポートは書けない。他の授業なら先輩に参考書となる本を借りることもできるのだが、マグル学を取っている知り合いは居なかった(パーシー・ウィーズリーは確かにマグル学を取っていたが、答えをそのまま示すことについては難色を示した。堅物すぎる)。毎週火曜日と金曜日、名前が図書室に籠るのは生活の一部となっていた。

 カリカリとレポートを書き進めながら、名前はふと顔を上げた。目の前の席に見知った誰かが座っている。ジョージだ。
 ジョージは名前が彼の存在に気付いたことを知ると、「それ、プラグで動くんだろ?」と言った。彼は名前が広げていた教科書の挿絵を指示している。動かない写真には掃除機が写っていた。
「僕らの親父さんがマグルが大好きでさ。そういうの、ちょっとは解るんだ」
「あー、ンー、プラグで動くっていうか、電気で動くんだ」
 電気? と、ジョージがきょとんとする。
「なんて言うかな、マグルが魔法の代わりに使ってるものさ。マグルが造ったものの大半は電気で動くようにできてるんだ。もちろん最近の物は、だけど。一種の、そうだな……エネルギーだよ」
 名前がそう説明すれば、ジョージは「電気か」と呟いた。
「パパに教えてやろう」

「近頃、君とあんまり話せてないなと思って」ジョージが言った。
 名前は微笑みながらも、彼の言葉にどきりとする。ジョージを始めとした彼らは皆、羨ましくなるほど直球だ。ストレートだ。名前だったら、もっと回りくどい尋ね方をするだろう。断言できる。
「僕達、君に何かしちゃったかな?」
 リーは放っておけって言ったんだけど、とジョージは付け足した。
 双子が知っているかは別にして、リーは名前が名前のことを好きだと思い込んでいるメンバーの一人だった。彼は名前がフレッド達のことを避けていることに気付いても、それは名前が名前のことを好きだからだと思うに違いない。むしろもう思っているのかもしれない。
「まさか」名前が言った。
「授業も増えて忙しくなったからそう思うだけさ。それともジョージ、君ら、僕に何かしたのか?」
「まさか」とジョージ。
「なあ名前、今度の試合、見に来てくれるんだろ?」
「もちろん」
 名前がそう答えれば、彼は明らかにホッとした顔をした。彼らに罪悪感を抱かせてしまったことが忍びなくて、名前は再びレポートに目を落とす。羽ペンを動かすのを再開すると、ジョージが言った。
「名前が、名前のことが好きって聞いて、そのせいかなって思ったんだ」
「へえ」
 相槌を打ちながら、名前は知ってたのかと心の中で呟いた。返事は無い。
「名前と居るのは面白いよ。彼女と居ると、何だか安心するんだ。名前、君はほんとに――」
「ジョージ、君、彼女のことが好きなのか?」
「さあ……解らないよ」困ったような顔付きで、ジョージが言う。
 ジョージが彼女のことを好きだというのなら、フレッドだって彼女のことを好きなのだろう。そう思うと心が痛んだ。
「妹みたいだと思うのに、時々同い年じゃないかとも思うんだ。彼女は色々知ってて……そう、名前、時々すごく君とよく似てるんだ」
 名前はちょっとだけ眉を寄せた。彼女と似ていると言われる要素は無い筈だ。確かに名前は元日本人だし、元女の子だが、彼女とはちっとも似ていやしない。それに、当たり前だがジョージはそのことを知らない。彼女のことは嫌いというわけではなかったが、一緒にされるのは何故だか嫌だった。もっとも根拠はない。しかし傍目から見れば、名前と彼女は似ているんだろうか?
「僕は、別に、彼女のことが好きなわけじゃない」名前が言った。
「彼女は――」するりと口から出まかせが滑り出た。「――僕の知り合いに似てるんだ」
「日本人のペンパルが居てね。その子も女の子だから、ひょっとすると名前みたいな感じなのかなと思ってただけだよ」
 ――知り合いに似てる。
 その言葉は、嘘でありながらまったくの真実のように思えた。名前は前世のことをはっきりと覚えているわけではない。しかしながらもちろん友達も居たわけで、彼らは皆日本人だった。彼らのことを思えば、名前が知り合いに似ているというのは嘘であって嘘ではないのかもしれない。
「そうなのか?」
 名前は頷く。無意識なのだろうか――ジョージは、やはりホッとしたような顔付きだ。
 ジョージは「解らない」と言ったが、彼は名前に惹かれている。自覚するのも時間の問題だろう。双子のことを避けているわけではないと言った手前、名前は彼らと今までと同じように付き合っていかなければならない。そうなると、フレッドとジョージ・ウィーズリーが名前・名字に恋をする過程を間近で見ていなければならないのかもしれない。


「僕らのことを完璧に見分けるの、名前だけだと思ってたんだけどなあ」
「完璧って?」
 尋ね返せば、ジョージは「知らなかったか?」と言って笑った。
「僕ら、一卵性の双子だろ? 自分で言うのもなんだけど、僕とフレッドはそっくりだし、ママでさえ時々間違えるくらいなんだ。でもどうしてか、君だけは僕とフレッドを間違えたことがないんだよ。僕がフレッドの振りをして話し掛けた時も、すぐ気付くじゃないか。もしかして、何か見分けるコツでもあるのかい?」
 名前も完璧に解るみたいなんだよ、とジョージは付け足した。
「だってそりゃ、君は――」
 名前は口を閉ざした。

 結局、何を言うでもなくその後ははぐらかした。どうやらジョージは「フレッドとジョージを見分ける方法がある」と思い込んだようだった。別にそんなものはない。言ってしまえば勘のようなものだし、名前だって双子のどちらかだと確信を持っているわけでもない。
 飲み込んだ言葉はひどく残酷なものだった。
 ――君は、フレッドじゃないからね。


 一夜にして二百点減点されたとか、その頃はまだ、実のところあまり実感がなかった。クィレル先生が校内に隠されていた賢者の石を盗もうとして、ハリー・ポッターにやっつけられた――と、そう噂を聞いた時、ようやく名前は思ったのだ。本当に、始まってしまったのだと。

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