相性診断

 返事も待たず、「ここ良い?」と尋ねながら向かいの席に座り込んだ男にひどく不愉快になったものの、相手の顔を見るなりその気は失せていった。川松にとって、名前は年齢に関わらず敬語を使うに値する、数少ない人間の一人だった。警察にしろSATにしろ、犯罪起こす奴に容赦なんてしなくて良いよ、と、笑って言ってのける輩は少ない。しかしながら、多少尊敬しているからといって、その不作法を許容するわけではなかった。音立てて食べるのやめろ。
 川松が目を細めて自分を見ていた事に、気付いているのかいないのか。大ぶりの唐揚げを飲み込んだ名前は、「ちょっとさあ川松聞いてくれるゥ?」と、特に川松を見るでもなく口にした。
 話す時は相手の目を見て、と、習わなかったんだろうか。
「嫌です」
「適当に相槌打って、適当に聞き流してくれりゃあ良いからさあ」
 それでいいのかよ。脳内で突っ込んだが、言葉にはしなかった。名前は先と同じく川松の返事を待たず、勝手にぺらぺらと話し出した。

「友達のね、奥さんがさァ、超美人なわけ。こないだ久々に会ったんだけどさァ――式以来だから……四年ぶりくらい?――やっぱり超美人なわけ。んで、ダチと一緒に居たんだけど、あいつ超ガタイでけえから、超ちまっこく見えるわけ。まあ俺から見てもちまいけど……ともかく超美人で超ちまっこくてしかもめっちゃ美人なのよ。解る?」
「はあ」
 名前の言った通り適当に相槌を打てば、彼は気を良くしたようだった。
 ――川松が人付き合いが得意でない事は、警察内でも割と知られた話だった。そんな川松に対して話し掛けるということは、よほど川松に対して用があるのか、それとも誰でも良いから話を聞いて欲しいかのどちらかだ。そして、「適当に聞き流して良い」という言葉をそのまま受け取るならば、明らかに後者だという事が伺える。
 もっとも川松だって、これが名前でなく別の人間であれば、自身が食べ終えたと同時に席を立っていた筈だ。手持無沙汰にお冷を注ぎ足しつつ、食べながらも話を続ける名前を眺める。喋るか食べるかどちらかにしろよ。
「でさあ、その奥さん超美人な上に超上品なんだけど――なんだっけ、受付してるって言ってた気がすんな。バーブルだかルーブルだかそういうカンジの会社の……知ってるゥ?」いや知らないですと、適当に返事をしつつ、この話の着地点が「俺も彼女欲しい」に収まるのだろうとぼんやり考える。そして当然のように、川松の予想はほぼほぼ当たっていた。「――ああいうさァ、超美人の人に、俺も踏まれてぇなァって思うわけ」


「……はあ?」
 思わずそう口にすると、名前が初めて此方を見た。彼の目は意外なものを見たとでも言うように少々丸くなっていて、いやに気に障る。
 川松てちゃんと人の話聞いてんのねと、名前は笑った。
「頭良いからかな……」
「関係ないでしょう、多分。というか名字先輩、そういう趣味だったんですか?」
「話変わるんだけどさァ」
「質問に答えろよ」
 名前は肩を揺らした。それから再び唐揚げを口に放り込む。「たまちぃ先輩って超可愛いよね」

「先輩頭いかれたんですか?」
「髪は切ってないけど?」
 何言ってんだこいつ。誰もそんな話してねえよ――そんな思いが顔に出ていたのか、名前はますます笑った。お前ほんとコミュニケーション能力ないよねと。
「たまちぃ先輩みたいなさァ、超可愛い人に踏まれたらさァ、絶対興奮するよねえ」
「俺そういう気ないんで」
「いや俺もねーよ」名前がぴしゃりと言った。「でもさあ、超可愛かったら別じゃん?」
 ――そういうのをマゾヒストというんじゃないのか。
 心の内でそう思ったものの、川松は口にしなかった。何を言っても煙に巻かれそうな気がするし、実の所ほんの少しばかりの興味があった。「年増が好みなんですか?」
「とし……何、お前たまちぃ先輩の事そんな風に思ってるわけ? 一緒の局でしょ?」
「いや思ってるだけでなく口にもしてます」
「うっわ……」対人能力が低めな川松にも普通に接する名前が、ここに来て初めて引き気味の表情を見せた。「マジかよォ、そんな言って怒んないの?」
「……まあ」
「イケメンって得だな、マジ」小さくそう呟く名前に、川松は微かに眉を顰める。
「ていうかさァ、お前からしてみりゃまあ、ちょい歳上に見えるかもしんねぇけど、俺と先輩はそう変わんないかんね」
 あんまり同僚敵に回すなよ、と笑ってみせる名前のそれは、フォローになっているようで全然なっていなかった。


 話し続けていた名前が突然口を閉ざし、川松は不思議に思って彼の視線の先を追った。するとトレーを手にしたたまちが、辺りを見回しているところだった。どうやら空いた席を探しているらしい。彼女は暫くあちこちを見回していたが、やがて川松を見付けたのか、ぱっと顔を綻ばせた。手を振り回しつつ、此方へ歩いてくる。
「マッツーじゃん、助かる〜」
「オイ助かるってどういう意味だオイ」
「名字もおひさ〜」
「聞けよ人の話を」
 おひさ〜、と、笑いながら返す名前は、そのままたまちとハイタッチした。どうやら普通に仲は良いらしい。

 ここ空いてるゥ?と尋ねたたまちは、川松が何を言うのも待たず隣に腰掛けた。ひどくデジャヴを感じる。
「マッツーって名字と仲良かったんだね、知らなかったー」
「……まあ」小さく呟く。
「ていうかたまちぃ先輩、それで足りるんスか?」
 足りるよォと笑いながら言うたまち。名前の言葉につられて彼女のトレーを見れば、海鮮サラダ一つきりしかなかった。……こいつ、昼飯がっつり食う派じゃなかったか?
 川松が怪訝に思っていると、マジすかァと笑っていた名前が自分の盆を手に立ち上がった。「俺、何か買ってきますよ」
「えー? 良いよォそんなの、悪いし」
「俺が買いたいんですよ。何か食べたいものとかあります?」
「んー、じゃあアタシ、スタパの抹茶フラペチーノ飲みたいなあ、クリーム多めで」
 いいですよと笑う名前。サラダとフラペチーノとでは、結局腹は満たされないだろうに。川松も何か欲しいもんある?と名前が訊くので、「じゃあ焼きそばパンで」と口にすると、彼は「パシリじゃねーから」と顔を顰めてみせた。しかしながらそれ以上何も言わず、すたすたと去っていく辺り、本当に川松にも買ってきてくれるつもりなのだろう。


 ちびちびとサラダを食べ始めたたまちに――ここまでレタスを小さくしてから食べる女を初めて見た――川松は「此処でも改造能力使うんですか」と問い掛けた。たまちが川松を見る。「マッツーってさぁ、ホントに人の話聞いてないよねぇ」
「恋愛対象の男には使わないって言ったじゃん?」
 お前に言われたくはねぇよとか、どう考えてもちゃんと聞いてやってるだろうがとか、言いたい事は色々あったものの、川松は何も言わなかった。ああいう人になら顎で使われてみたいよねえと、たまちが笑ったからだ。
 とりあえず、「名字って彼女居るのかなあ」という独り言らしきそれに、脳内で「友達に」という言葉を付け足しつつ、「超美人で超ちまっこくて超サディストの嫁が居るらしいですよ」と返事をしておいた。どいつもこいつもふざけやがって。

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