梅雨ちゃんと呼んで

「どう考えてもお前らはずるい」不貞腐れた様子でそう口にした名前に、切島と上鳴は揃って顔を見合わせた。
 昼休み、がやがやと騒がしい食堂で、切島と上鳴、そして名前は、肩を並べて座っていた。それぞれ目の前には、先ほど注文した学食が並んでいる。切島と上鳴はからあげ丼、名前はアジフライ定食だ。
「今日がからあげのサービスデーだった事か? 名前にも一個やるよ」
「おう、ありがとう――ってちげーよ! 死ねカス!」
 爆豪のような返し方だなあと、自分のからあげを差し出しながら頭の隅で考える。すると上鳴も同じ事を思っていたらしく、「爆豪みてーになってんぞ」と笑いながら口にした。故意かどうかは知らないが、上鳴は爆豪に対し少しばかりキツい。
 じゃあ何がずるいんだよと、名前の差し出した小鉢を受け取りながら、切島は尋ねた。名前は眉を寄せ、じとりと切島を睨み付ける。
「お前ら、蛙吹さんの事何で普通に名前で呼べんだよ」
「……あー」
 切島も上鳴も、揃ってそう声を漏らした。沢庵美味い。


 クラスメイトである名字名前は、かなり硬派な男だった。異性関係には特に。付き合うなど以ての外で、手を繋ぐ事すら、名前にとってしてみれば許し難い事らしい。キスをするなど論外だ。しかし名前は飯田のように他に強要する事はなく、だからこそ切島は彼を好いていて、こうして常に行動を共にしているのだが。
 ――誠実が服を着て歩いているような男、それが名前だった。

 蛙吹梅雨という生徒が居る。彼女も名前と同じく切島の同級生で、蛙のような“個性”を持ったヒーロー候補生だ。そんな彼女は、名字でなく名前で呼ばれたい派らしく、よくクラスメイト相手に「梅雨ちゃんと呼んで」と口にしていた。切島も、彼女の事は梅雨ちゃんと呼んでいる。気恥ずかしくもあったが、本人が望んでいるならそうしてやるのが男というものだろう。
 ――名前は、硬派な男である。
 切島は蛙吹が名前に対し、「梅雨ちゃんと呼んで」と言っている光景を何度か目にしていた。名前は同じクラスになってから今までずっと、蛙吹の事を「蛙吹さん」と呼んでいた。そしてその度に、蛙吹は「梅雨ちゃんと呼んで」と訂正を入れる。半ば夫婦漫才のような光景だ。
 付き合っているわけでもないのに、女子の事を名前で呼べるわけがない――それが名前の主張だった。

 しかし、女性関係にうるさいからといって、別に名前自身が女子生徒と仲良くしたくないと思っているわけではないのだ。恐らく切島と同程度には、女子に興味がある筈だ。というかぶっちゃけると、名前は蛙吹の事が好きだった。だからこそ、気軽に彼女を名前で呼ぶ切島や上鳴の事を羨み、同時に嫉妬しているのだ。自分は名前で呼べないのにと。
「別にいーじゃん。梅雨ちゃんだって呼んでくれって言ってるし、名前だって名前で呼べば?」
「それができれば苦労はしねえよ!」
 名前ががなった。「恥ずかしいだろうが!」
 赤くなってそう言った名前は、相手が好意を抱いている蛙吹という事もあって、もはやただのヘタレと化していた。他の女子が相手ならばこうはならないだろう。上鳴は肩を揺らし、「別に簡単じゃん」とからあげを呑み込む。「名前が変に考えすぎなんだよ」
「それに向こうが名前で呼んでって言ってんだからいーじゃんか」
「そりゃ、そうだけど……」
「梅雨ちゃん、ほらたったの五文字だぜ。名前も言ってみ」
「……つ、つ、つ――」名前は何度か“つ”を繰り返した。「――言えるかクソ!」
「本人目の前に居なくても呼べないのか、重症だな」
 そう言って笑った上鳴を、名前は赤い顔で睨み付けた。どうやら後ろに立っている人影には、さっぱり意識が向かないらしい。上鳴に対して何かを言おうとしていたのだろう名前は、そのまま口を噤んでしまった。「名字ちゃん、頑張ってくれてるのね」

 小さな弁当箱を手にした蛙吹に、切島は片手を上げて応えた。ここ座る?と尋ねるも、「三奈ちゃんが待ってるから良いわ」とすげなく断られる。
「あ、あ、あ、蛙吹さん」
 名前がそう呟くように言った。隣に座る上鳴が笑うのを堪えている辺り、どうやら彼は蛙吹が近くに来ていた事には気付いていたらしい。面白がっている様子の上鳴に、悪い奴だなあと思うものの、切島とて言わなかったのだから同罪だろう。
 教えてやらないのは男らしくないと思ったが、いい加減腹をくくれば良いのにとも思っていた。
「梅雨ちゃんと呼んで」蛙吹がいつものように、そう言葉を発した。
「自分のペースで良いけれど、私としては名字ちゃんにも梅雨ちゃんと呼ばれたいわ」
 けろりとした顔付きで彼女は言った。会話を聞かれていたり、恥ずかしいから呼べないのだと本人にばれてしまったりと、名前の思考回路はショート寸前だ。彼女が名前のすぐ脇に立っているのも問題だろう。それに加えて蛙吹の追い討ちで、名前は赤面して固まるより他はない。
「友達なんだもの、別に恥ずかしがる必要はないわ」
 上鳴が小さく噴き出したが、名前は気付いてもいないようだった。しかしまあ、余裕が無さ過ぎやしないか。

 好きな女子相手にまともに口を利けないのも、一周回って男らしいだろうかと、そんな事を切島が考え始めた時、名前が漸く口を開いた。
「友達……」
「ええ」蛙吹は頷いた。「名字ちゃんが切島ちゃんや上鳴ちゃんの事を名前で呼ぶのと同じよ」
「そりゃ、そうかもしれないけど……でも蛙吹さんとは違うだろ?」
「何が違うの?」
 不思議そうに呟く蛙吹に、名前は小さな声で「君、女の子だろ」と口にした。「女子の名前、ちゃん付けで呼ぶとか……恥ずかしいだろ、普通」
 まるで切島達が普通ではないような言いようだ。しかしながら、頷いた蛙吹が「ヘタレなのね名字ちゃん」と呟いたことで、名前はぐっと呻いた。
「……蛙吹さんだって、男子の事、名前でなんて呼ばないだろ!?」
 顔を赤らめて叫ぶ名前。切島はこれから起こる事に予想がつき、名前を止めようとしたが、残念ながら間に合わなかった。「何なら俺の事名前にちゃん付けで呼んでみ!? でら恥ずいかんなこれ!」


 できないだろうと、名前はそう言いたかったのだろう。しかしながら、蛙吹は神妙に頷き、「確かに、名前ちゃんの言う通りちょっと恥ずかしいわね」と言った。
 元から赤かった名前の顔はますます赤くなった。蛙吹の顔も微かに紅潮してはいたが、名前があんまり赤面しているものだから、彼女のそれはとても微々たるものに感じられる。離れた席から蛙吹の名が呼ばれ(恐らく芦戸だろう)、彼女は「それじゃ、名前ちゃん達、後でね」とその場を後にした。

 にやにやと笑っている上鳴のように、名前をからかう気にはならなかった。切島は味噌汁を啜りながら考える。
 ――梅雨ちゃんだって、どうでも良い奴相手には、名前で呼んでなんて言わねえんだけどなあ。
 ランチラッシュ特製のアジフライがすっかり冷め切った頃にでも教えてやるかと、切島は一先ず大盛りのからあげを味わう事にした。名前は未だ固まっているが、彼は仲が進展した事を素直に喜ぶべきなのだ。

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