ナイトメア

 実家に帰ったのは本当に久しぶりだった。ポケモントレーナーとして旅に出て、そのままのノリでイッシュへと渡ったので、もしかすると十数年ぶりの帰省かもしれなかった。何て親不孝な奴だろうと自分でも思う。両親は記憶にあるものよりずっと老けていたし、いつの間にか妹が子持ちになっていてひどくショックを受けた。また、久々に会った友人達に、ナギサからも船は出ているのだからと引き留められ、ついつい長居をしてしまった。――イッシュにはもっと早くに帰っているつもりだった。名前がイッシュ地方に戻ったのは、予定よりも二日も後の事だった。
 急ぎ足でアパートへと向かう。ライモンの街は既に活動を始めていたが、昨晩一睡もしていない名前は、すぐにでも家に帰りたかった。自宅へに戻ったところで満足な睡眠を取ることは不可能だったが、いつまでもポケモン一匹に留守番を任せているわけにはいかない。

 欠伸を噛み殺しつつ、慣れた階段を昇る。マメパトの鳴き声が聞こえてくる。通りを急ぐサラリーマンが、小さな点となって視界を流れてゆく。ナギサシティより遥かに都会であるライモンシティを、名前は未だ苦手に思っていた。恐らくシンオウ地方に住む者特有ののんびりとした気質が、ライモンシティのそれとはまるで合わないのだろう。しかし名前はここにしか居られない――何故なら、ライモンシティがポケモンバトルの聖地だからだ。

 名前の住むアパートは、ポケモンの特性を完全に遮断することができる、世界でも唯一の場所だった。例えばダストダスの悪臭や、デンチュラの緊張感。普通、そういった特性はトレーナー以外の人間にも悪影響を与えるものだが、この建物だけはそれを全て抑え込むことができた。料金は割高だが、ポケモンバトルのメッカというだけあってトレーナーを引く手は数多だし、少し足を延ばせばブラックシティもある。食うには困らなかった。
 ――名前のポケモン、ダークライの、その特性ナイトメアを無効化するには、このアパートに住むしかなかった。ここに居れば、その特性を封じる事ができるのだ。もちろん名前だけはいつでも寝不足だが、他人に悪夢を見せてしまってダークライが傷付くことはない。


 ――アパートの鍵が開いていた。しかしながら、名前はあまり驚かなかった。不可抗力だが、過去に合鍵を渡していたのだ。ただ、年頃の娘が人のベッドで――しかも、男のベッドで――丸まっているのはいかがなものだろうか。しかも、鍵も掛けずにだ。
 不用心にも程があるだろうと、そう思いながら、名前は静かに自身のベッドへと近付いた。眠っているらしいカミツレは、とてもじゃないが気持ち良さそうとは言えなかった。シーツを握りしめているその白い手には、やたらと力が籠っている。ひどく汗もかいているようで、見るからに寝苦しそうだった。苦しみに耐えているようだ――が、それは逆に快楽に身を委ねているように見えなくもない。かもしれない。
 名前は微かに眉を寄せ、黙ってそれを見ていたが、やがて緩慢な動きでカミツレの方へと手を伸ばした。
「おい、起きろ」
 一、二度、彼女の肩を小さく揺する。カミツレは目を覚まさなかった。悪夢を見ている事と、深い眠りに落ちているかどうかは別の問題なのだろうか。夢を見るという事は、よく眠れていないという事だったと思うのだが。
 黙考する名前の背後に、どこからともなくポケモンが現れた。ダークライだ。
 名前のダークライはおどおどとして、今にも泣きだしてしまいそうな、そんな哀れな有様だった。名前は留守だった事を謝り、ダークライをボールの中に入れてやると、再びカミツレに向き直った。
 まったく、ポケモンを悲しませるなんて、仮にもジムリーダーのすることだろうか。
 もっとも彼女は名前がダークライを連れていることを知らないし、この部屋の中にダークライがそっと息を潜めていたことなんて、気付きもしなかっただろうが。

「カミツレ」
 もう一度、今度は先程よりもいくらか強く肩を揺すってやる。
 剥き出しの肩にそのまま触れるのは名前とて気が引けたが、他の部分はもっと遠慮したい。不可抗力だ。カミツレは、「うう」と唸った。吐息と共に漏れ出したその声に、名前は小さく溜息を吐いた。臆病な奴の為に、後で目一杯可愛がってやらなければ。

 常時だったらこのまま寝させてやるだろう。不法侵入に対する弁解だって、明日聞けば良いのだ。名前だってできるならそうしてやりたい。このまま彼女の隣でも、足下でも何でも構わないから、今すぐに寝てしまいたい。しかしながら、悪夢に魘されている彼女を、そのままにしておく事はできなかった。彼女を苦しめているのは元を辿れば名前のせいなのだろうし、自分のポケモンに責任を持つのはトレーナーとして当然だ。
 それに、まあ、カミツレがこうして自分を待っていてくれた事が、嬉しくないわけではないのだ。呆れもするけれど。
 再度名を呼べば、我が恋人殿は漸く目を醒ましたらしかった。「……名前?」



 子供のように泣きじゃくり始めたカミツレを、名前は無感動に眺めていた。眠気で判断力が鈍っているせいもあるだろうが、名前にとってしてみれば、今のカミツレは自分のポケモンを悲しませた女にしか過ぎなかった。
 ホウエンの人間がイッシュのそれに比べて淡泊だ、と言われる所以は、もしかするとこの辺りにあるのかもしれない。
 普通なら、ポケモンより恋人の方を優先するのだろう。倫理的に考えてもそちらの方が正しいような気がする。しかしながら、名前はカミツレの恋人であるより前に、ポケモントレーナーだった。
 別れを切り出されるのも、時間の問題かな。
 そんな事を考えながら、彼女の言葉に耳を傾ける。曰く、怖い夢を見たのだと。「名前が私を置いて、ど、どこかに行っちゃって」

 めそめそと涙を流すカミツレは、流石スーパーモデルというだけあって、泣いていても可愛らしかった。確かに俺はお前を置いて行ったけど、帰ったら連絡すると言ってあっただろう。そう口にすると、カミツレは更にわっと泣いた。
「だって、だって……」
「だってじゃない。黙って捨てたりしないよ、俺は」
「言ってから捨てるってこと!?」
 わあんと泣き喚くカミツレ。どうやら泣いている割に、思考回路は正しく機能しているようだった。

 カミツレは美人だ。そりゃもう、本当に自分の恋人なのかと疑いたくなる程に美人だ。何せイッシュきってのスーパーモデルだし、イッシュだけでなく世界的にも有名だった。その上ジムリーダーに選任される程の腕前とくれば、名前が好きになるのも当然だ。もっとも、どういう訳か告白はカミツレからだが。
 こいつが俺を捨てる事はあっても、俺がこいつを捨てる事はないだろうに。
 内心でそう信じ込んでいるいるせいか、名前はよほどの事が無ければ好きにさせていた。いつか飽きるだろうと、そう思っていたのだ。合鍵を渡したのも、勝手に部屋に入られるのも、プライベートを尊重する名前からしてみれば、実の所破格の扱いだった。
 ダークライをめそめそさせたのは、名前にとって「よほどの事」だった。


「それで、俺の部屋で何してたんだ」
 スーパーモデルだろうと何だろうと関係あるか。別れを切り出されようと構いやしない。そんな気持ちで口にしたのに、涙で濡れた顔を赤くさせ、「まってたの」と呟いたカミツレにひどくときめいてしまってやるせない。「帰ってきてくれて、安心した」
 元来、自分はこういう性癖だったのだろうか。そんな事を考えつつも、結局名前は眠気に負け、適当に返事を返した後そのまま意識を手放してしまった。次に起きた時にはエモンガのキーホルダーのついた合鍵はそこらへうっちゃられているのだろうとばかり思っていたのに、目を覚ました名前の、その腕の中で未だスーパーモデルがすやすやと眠っていた。もっとも、彼女の顔を見る限りやはり安眠はできていないようで、あの臆病なパートナーの事を打ち明けるべきだろうかと、暫し頭を悩ませた。

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