いろいろ

 やってきた図書室、その資料用本棚の前で、葉隠は立ち尽くした。セメントスに頼まれて、授業に使う為の辞典を取りに来ていた。来ていたのだが、思っていたより数倍その量が多い。クラスの人数は20人、漢和辞典の数は多くても21冊の筈で、それくらいなら一人でいけるだろうと判断したのだが甘かったらしい。大きい上にかなり分厚い。さすが雄英高校。普通科はともかく、ヒーロー科では学年が進む毎に専門科目が増えていくので、一年生時の授業量はかなり多いのだ。
 途中ですれ違った爆豪に、強引にでも頼むべきだったなあ――後悔しても始まらない。二回に分けてならぎりぎり運べるだろう。中休みは長いし、まさか教室に誰も居ないなんて事はないだろうから、二回目の時は手伝ってもらえば良いのだ。
 ふんすと鼻息を吐き出した時、突然後ろから肩に手を置かれ、葉隠は飛び上がった。
「お手伝いしましょうか?」

 振り返ると、見覚えのあるようなないような、可愛らしい女子生徒が立っていた。体操服に身を包んでいる為判断は付かないが、恐らく1年B組の生徒ではなかっただろうか。先日鉄哲を――もとい名前を探しに行った際、ちらっと見掛けたような気がする。
「ほんと? 良いの?」
「もちろんです。お一人では大変でしょう」
 にこり、と女の子は微笑んだ。慈愛に満ち溢れたその微笑みは、彼女の髪――イバラのような、不思議な髪をしているのだ――と相俟って、神々しささえ感じられる。彼女は塩崎茨と名乗った。
「葉隠さん、私がこちら上半分をお運びしますので、あなたは下の段をお願いしますね」塩崎が言った。
「うん、ありがとう名字くん」
 塩崎はどんぐりのようなその丸い両目をぱちくりと瞬かせ、「あら」と小さく言った。「バレていたのですか?」
「制服でもないのに、バレてしまうなんて……」
 目頭を抑える塩崎。恐らく、彼が鉄哲に変身している時のように、服の差異でばれる事がよくあるのだろう。
「うん、私、その子の顔は知ってるけど名前は知らないし、その子も私の名前知らないと思うよ」
「なるほど……」塩崎はぱっと微笑んで、「上半分と言いましたけど、葉隠さんはこれだけ運んで頂ければいいですよ」と、頭のイバラで本棚から辞典を四冊抜き出した。どうやら彼女の髪は自在に動くらしく、次々と漢和辞典が運搬用の小箱に収まっていく。その細腕で運べるのかと尋ねれば、名前はしゅるりと姿を変化させ、「力自慢で通ってんだ俺ぁ」と鉄哲の顔で笑ってみせた。


 二人で辞典を運びながら、特に何を話すわけでもなくA組への道を進む。名前は友達が多いのか、呼び止められる事もよくあり、その度に名前は軽口を返していた。不思議なのは、名前に声を掛けた彼らは大半が鉄哲でなく名前だと解っているらしいという事だ。
 そりゃ、同じクラスの生徒なら二人共を見慣れていて、どちらがどちらかを見分けられるかもしれないが、名前を呼び止めたのは必ずしもB組の生徒ばかりではなかった。経営科やサポート科、普通科の生徒達も、鉄哲の姿をした名前を、鉄哲ではなく名前だと見抜いている。名前の変身はほぼ完璧の筈なのに、だ。
「ああ」バンダナを付けた男子生徒が、頑張れよと名前に謎の激励をして去っていった後、葉隠は尋ねていた。何故彼らは、名前を見分けられるのかと。「葉隠さんは知らないかもしれないけど、鉄哲って結構うるさいんだよ。良い意味でも悪い意味でもね。だから、やたら口数が少なかったら俺ってわけ」
 葉隠さんも鉄哲を見たらすぐに解ると思うよと、名前は言った。
 そんなものなのだろうか。葉隠は、そっと前を歩く名前の背を見詰める。
 名前は、普段から主に鉄哲の姿を借りているらしい。鉄哲だけが、別に変身していても構わないと言ってくれたからなのだと。もっとも、見分けやすいという理由もあるのかもしれないが。
「入学前はさ、ずっと寧人……従兄弟の格好してようと思ってたんだけど、俺も受かって、あいつも受かったろ? しかも同じクラスになって……そしたらあいつ嫌がってさ。ただでさえ身内と一緒で紛らわしいのに、もっと面倒くさい事になるからって。まあ気持ちが解らないでもないけど」
 自分の顔が解んないって結構不便だよなと名前は笑った。
「名字くん」
「ん?」
 振り返った名前は、葉隠が思いのほか遠くに居ることに驚いたのか、微かに目を細めた。「私、別にこの“個性”のこと、気にしてないよ」

「……そう?」名前は笑った。
 葉隠は歩くのを再開し、彼の隣に並ぶ。名前もゆっくりと歩き出した。葉隠は決して鉄哲の事をよく知らなかったが、こうして自分を気に掛けてくれるのは名前だからなのだろうと、言い知れない確信があった。「確かにお洒落も張り合いないし、実習の時はいつも全裸だけどさ――」
「全裸て」名前は明らかに引いていた。
「――この“個性”じゃなかったら雄英入れなかったと思うし、そもそもヒーローになりたいって思わなかったかもしれないし。自分って何なんだろって思ってばっかの時もあったけど……気にしてないよ」
 だからいつでも相談乗るからね。葉隠がそう言うと、名前は困ったように眉を下げた。もっとも、鉄哲には下げる眉が無かったが。

 何故塩崎の姿をしていたのかと尋ねれば、次のヒーロー基礎学で塩崎とチームを組むので、その予行演習として塩崎の挙動を再確認していたらしい。チームメイト、もしくは相手チームに変身して動揺を誘うのが名前の常套手段なのだとか。合理的だ。
 そういう趣味があるわけではないようで、葉隠は密かに安堵した。

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