きらきら

 予想した痛みは襲ってこなかった。代わりに届いたのは、金属と金属が勢いよくぶつかるような、ガィンッという大きな金属音。葉隠透は恐る恐る、きつく瞑っていた目を開く。同時に、自分が何かとても暖かいものに抱き寄せられている事に気が付いた。頭上から、低い声が降ってくる。「っぶねェな……」
 身を挺して葉隠を庇ってくれたその男子生徒は、鉄のように変化させていた右腕をゆるゆると元の腕へ戻していった。恐らく彼の“個性”なのだろう。丈の短い制服から覗く右腕は、鉄のようだったそれから普通の人間のそれへと戻っていった。彼の顔に何となく見覚えはあるので、恐らく同じ学年の生徒だろう。男子生徒は葉隠を放すと、「危ねェだろうが!」と脚立の主に怒鳴り声を上げた。立て掛けてあったそれから目を離し、友達との談笑に勤しんでいた生徒は、漸く葉隠達に気が付いた。
「悪い悪い。お前……鉄哲か? どうせ怪我ねえだろ、なら別に良いじゃんかよ」
「よかねェ! 俺よか先にこっちの女子に謝れや!」
「うわっ、ごめん! 怪我ねえ!?」
 顔の見えない葉隠を見て一瞬ぎょっとしたようだったが、その声には確かに労りの色があった。「ないよ!」と葉隠が口にすれば、その生徒は明らかにほっとしたような顔付きになる。葉隠を庇ってくれた男子生徒は、「ほんとだろうな」と葉隠を睨んだが、葉隠は彼に対しても「ないよ」と言った。――怪我をすれば血が出るし、葉隠の“個性”では体外に放出したものを消すのは不可能だった。それに実際、“鉄哲”と呼ばれた生徒のおかげで、葉隠には傷一つ付いていない。
 確かめる事を諦めたのか、本人が良いと思っているなら良いと判断したのか、それとも葉隠に怪我がある筈ないと解っているからか――鉄哲は一つ頷いただけで、既に葉隠から興味を失ったようだった。葉隠に背を向け、友人と思しき脚立の主に、「ほら行くぞ」と声を掛ける。
「へ? 行くってどこに?」
「職員室。これウチの備品だろ? 壊したのは俺だし、一緒に行く」
「わりぃ……」
 二人は圧し折れてしまった脚立を小脇に抱え、葉隠が何を言う間もなく去っていった。――ただ一つ思い出したのは、鉄哲が隣のクラスの生徒だという事だ。葉隠達を見て、体育祭本番で恥ずかしい事になるぞと彼が怒鳴ったのは、ほんの数日前の話だった。


 その日の放課後、葉隠は1年B組の教室の、その出入り口から中を覗いていた。怪訝な顔をされるのは、葉隠の姿が制服しか見えていないからか、それともそんな女子生徒が教室を覗いているからか、それとも葉隠がA組だからか、そのどれかに違いない。もしくは、その全部かも。
 葉隠が誰かを探していると気付いたのか、オレンジ髪の女の子が「誰かに用事?」と尋ねてくれた。後に知ったことだが、彼女はB組の学級委員長だったらしい。
「えーと、鉄哲くん、居る?」
「鉄哲?」
 女子生徒は教室を見渡し、小さく「あぁ」と言った。「おーい鉄哲、女子が呼んでるぞ!」

 葉隠の前にやってきた鉄哲は、葉隠を見下ろしながらもどこか訝しげだった。昼休みはどうもありがとうございました、そう言って葉隠が頭を下げれば、ますます眉を顰める。
「誰かと勘違いしてねェか」
「えっ? でも、あなた鉄哲くんでしょ?」
「鉄哲だけどよォ……」
 脚立、支えてくれたじゃんか。葉隠がそう言うと、鉄哲は「脚立だァ?」と訝しげに繰り返した。
 ――痴呆だろうか? 若年性の?
 昼間、葉隠を救けてくれたのは、この鉄哲に間違いなかった。鈍色に光る見慣れない質感の髪も、目付きの悪過ぎる四白眼も、見間違える筈がない。身長だってこのくらいだったし――そこまで考えて、葉隠はふと違和感に気が付いた。しかしながら、それが何なのかまでは解らない。
 救けてくれたのはあなたに間違いないと困惑する葉隠と、身に覚えがないと否定する鉄哲。助け舟を出したのは、鉄哲の脇から顔を覗かせた男子生徒だ。「ごめんごめん、それ僕だよ」

 おう名前と、鉄哲が言った。名前と呼ばれたその生徒は、随分と整った顔立ちをしていた。イケメンと呼ぶに相応しい風貌だ。それ付け加え金髪の碧眼で、“個性”が溢れ返る今の時代でなかったら、絵本の中から飛び出してきたとある国の王子だと言われても納得したかもしれない。
「んだよ、やっぱりおめェか」
「ごめんごめん」名前は笑った。
「ええと……確か、A組の子だっけ――」名前がそう首を傾げると、鉄哲が「A組かよ」と吐き捨てるように言った。「――わざわざ礼言いに来たんだ? あんなの別に気にしなくて良いのに」
 放置してた方が悪いんだし、お互い怪我無いんだからいいじゃない。そう言って笑う名前に、葉隠は戸惑った。何故かは解らないが、彼は葉隠を救けたのは自分だと思い込んでいるらしい。しかしながら、葉隠を脚立から救けてくれたのは鉄哲であって、彼ではない筈だ。
「えーと……」
 葉隠が言い淀むと、名前は「ああ」と笑った。そして、葉隠は暫くぶりに心の底から驚愕した。普段自分は驚かせる側であり、こうして驚くのは珍しい――口を閉ざした名前の、その姿が一瞬で変化していた。
「初めまして、名字名前です。“個性”は変身」
 どことなく面白がっているような様子の鉄哲と、付き合いきれないとばかりに溜息をついたもう一人の鉄哲。瓜二つの二人だったが、よく見比べてみると、たった一つ違うところがある。恐らく名前と名乗った生徒が姿を変えられるのは自身の体だけで、服装を変えることはできないのだ。
 吃驚したか、と尋ねる鉄哲のその制服は、ちょっとばかり丈が短かった。


 触ったことのある相手に変身するのが俺の“個性”だと、名前は言った。チート過ぎやしないかと口にすれば、自由自在に姿を変えられるわけではないのだという。いつでも変身できるようにするには、反復練習が必要なのだと。
「例えば俺、保育園の時にエンデヴァーに救けてもらった事があるらしいんだけど、エンデヴァーには変身できないんだよね。何て言うんだろうな、成り方を忘れちゃったんだよ」
 短期記憶なんだろうなと笑う名前は、鉄哲の姿のままだった。
 二人でベンチに腰掛け、缶ジュースを飲む。お礼だけでもさせてくれと言い張った葉隠に苦笑した名前が、じゃあジュースを奢ってと言ったからだ。葉隠はキャラメルミルクティー、名前はりんごジュースだ。「次会ったら忘れないようにするよ」
 また、普段からよく変身している人間と、そうでない人間に変身するのとでは掛かる時間が大分違うのだと名前は付け足した。試しにと名前は葉隠に姿を変えてみせ、再び鉄哲へと変身した。確かに鉄哲になる時はそれこそ瞬く間だったが、葉隠に変身する時のスピードはかなり緩やかだった。鉄哲のいかめしい顔付きが段々と透けていく様は、こう言ってはアレだが、見ていて少々気味が悪かった。
「さっきの金髪が名字くんの本当の顔なの?」
「金髪?」名前は不思議そうに言い、それからしゅるりと姿を変えてみせた。先ほど見た、金髪の男子生徒が現れる。「こいつの事?」
「違うよ。こいつは寧人って言って、僕の従兄弟。あ、寧人の“個性”は変身じゃないよ」
 プライバシーの侵害になるから言わないけどね。そう言って、名前は再び鉄哲へと姿を変えた。

 ややこしくないのかと尋ねようと思っていた葉隠だったが、名前が先に口を開いた為に言う必要がなくなってしまった。恐らく、聞かれ慣れているに違いない。彼のような“個性”は珍しかったし、いくら変身には練習が必要だと言っても、四六時中他人に変身している必要はない。
「俺、自分の本当の顔を忘れちゃったんだ。発現して以降ね」
 立ち上がった名前はスチール缶を握り潰し、御馳走様と言った。鉄哲の事は許してやってくれよ、悪い奴じゃないからさと笑う名前。彼はA組を誤解しているようだが、自分はA組に幼馴染が居るし、彼の言うような性悪ばかりではない事は重々承知していると。
「幼馴染って?」
「耳郎響香」

 響香ちゃんによろしく。そう言って、そのまま背を向けようとした名前に、葉隠は思わず声を掛けた。「名字くんの“個性”、私のと似てるね」
 鉄哲の姿をした名前はぱちくりと目を瞬かせ、一瞬の間の後微かに笑ったようだった。先ほどまでの当たり障りのないそれと違い、どこか照れたような笑い方だ。背を向け、ひらひらと手を振ってみせた名前は、そのまま人混みに紛れて消えていった。

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