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 ターボヒーロー、インゲニウム。十年ほど前に現れたベテランで、その“個性”を生かして数々の被災者を救い出した他、これまでに何人もの敵を刑務所送りにしてきた実力派のヒーローだ。事務所には何十人もの相棒が所属しており、また彼の属するグループには同じく機動性に優れた“個性”を持っている者が多く存在している。――機動力に勝るもの無し、それがインゲニウムの決め台詞だった。
 緑谷のように特別ヒーローに詳しいわけではない名前が、いったい何故インゲニウムの事を知っているのか。
 名前は厚紙で作られているらしいボードを配りながら、そっと飯田の顔色を伺う。何て事はない、普段通りの、真面目な委員長がそこに座っているだけだった。
 ターボヒーローは名前のクラスメイトの兄だった。そして、その弟は今、名前から受け取ったボードを更に後ろの席の同級生に渡している。例のヒーロー殺しが現れ、ターボヒーローが襲われたというニュースは、雄英体育祭が終わったその日の夜には既に全国で放映されていた。当然このクラスに在籍している者はその事を知っているし、だからこそ、彼とどう接するのがいいのかと迷っていたのだ。

 前を向いた飯田は、名前が何かを言いたげに自分を見ている事に気が付いたのだろう、何だいと僅かに首を傾げてみせた。名前は何でもないと小さく笑い、また前を向く。
 情けない事に、比較的飯田と仲が良い名前でさえも、何と声を掛ければいいのか解らなかったのだ。


 普段通り鐘の共に入ってきた相澤は、体育祭のリザルトによる指名の結果を示してみせ(当然の事ながら、名前の名は黒板に現れなかった)、それから来週には職場体験が始まると告げた。
 ――職場体験。中学校でも行われた行事の一つだが、雄英高校のものはもちろん、過去にやったそれとはまったく別のものだ。生徒一人一人がプロヒーローの元へ行き、生の活動を体験するのが、雄英でいう職場体験だった。当然、本物の敵と対峙する事もあるだろう。
 実際にプロの元で活動するにあたり、生徒はそれぞれコードネームを付けることになった。市民の目に触れる以上、どうしても匿名性は希薄になってしまう。だからこそ、プロと同じようにヒーロー名が必要になる。しかしながら、学生時から当然ヒーローとしての頭角を現すものが居るわけで。この職場体験で付けたコードネームがそのままプロ名になっているヒーローは少なくないらしく、適当な名前ではいけないらしい。
「将来自分がどうなるのか、名を付けることでイメージが固まりそこに近づいてく。それが「名は体を表す」ってことだ」
 オールマイトとかな、と相澤は付け足し、普段とは一味違ったヒーロー情報学が始まった。

 蛙吹のように、子供の頃からヒーローになりたいと思っていたわけではない名前は、このコードネーム決めに四苦八苦する事になった。どんな名を考えてもどこかで聞いた事がある気がするし、いっそ13号を文字って14号とかにしようかとか、そんな事まで考え始めてしまったくらいだ。――どの生徒も、何かしら自分の“個性”と関連あるコードネームを付けているようだった。
「ふふ、グラビティガールね……」名前が言ったそれを「シンプル!」と称賛したミッドナイト(俺はそういうのできんから、と、相澤の代わりに彼女が査定する事になったのだ)は、そう含み笑いをした。「私くらいの歳になると、“ガール”はちょっと厳しいわよ?」
 意味ありげな笑みを浮かべる彼女に、名前はカッと赤くなる。ミッドナイトには悪いが、確かに自分が大人に、ひいてはもっと歳を取った時の事など、少しも考えなかった。先ほど相澤にも言われたばかりだったというのに。将来自分がどうなるのか、それを加味したうえで、ヒーロー名は考えなければならないと。
 名前は微かに顔を赤らめたまま、隣に立つミッドナイトに「あの、か、変えても良いですか?」と小さく尋ねた。しかしながら、ミッドナイトは笑うだけだ。「冗談よ」
「可愛くて良いじゃない。私は好きよ、ガールって響き」
 その名が似合う可愛いおばあちゃんになれば良いのよ、と、そう言ってぱちんとウィンクを寄越したミッドナイトに、名前はますます顔を赤くさせた。次に手を挙げた葉隠もコードネームを発表し、名前は密かにほっとする(彼女は元気よく、「インビジブルガール!」と叫んだのだ)。

 その後コードネーム決めは順調に進んでいき、残るは三人だけとなった。発表したヒーロー名を爆速で却下された爆豪、そして緑谷と飯田だ。
 名前はちらりと後ろを振り返った。真剣な、それでいてどこか苦しげな表情をした飯田が、手元を睨み付けている。そんな彼はふと目線を上げ、自分を見ている名前に気が付いた。視線と視線がばっちりと絡み合う。名前は「決まらないの?」と口パクしたが、飯田は黙って名前を見るだけでやがて首を振り、ボードに何事か書き込んだ後、ぴんと腕を伸ばした。
 ミッドナイトに指名された飯田は教壇に立ち、手にしたボードを名前達に見せた。そこにはただ、天哉とだけ書かれていた。


 緑谷のコードネームも無事決まると――懲りずに物騒なヒーロー名を提出し続けた爆豪は、結局授業時間内に決まらず、明日までに再提出という形になった――頃合いを見計らっていたのだろう相澤が、職場体験について説明した。
 体験期間は一週間であり、その間生徒達は希望のプロヒーローの下へついて、文字通り職場を体験するという事。職場の決め方は、指名のあった生徒はその中から、なかった生徒は学校側が用意した事務所の中から選ぶという事(当然、名前は後者だ)。また、今週末には提出しなければならないという事。
「自由過ぎる……」
「Plus Ultraがどういう意味なのか、最近解らなくなってきたわ」
 名前の呟きに、蛙吹もそう言って苦笑した。
 配られた受け入れ可能な事務所の一覧は、どうやら様々な系統のヒーロー事務所が用意されているようだった。ざっと目を通した限りでも、対敵専門の武闘派ヒーローから、人命救助が主のヒーロー、犯罪予防が専門のヒーロー等、バラエティに富んでいる。また、名前がその名を知っているような著名なヒーローが多いようにも感じられた。噂では、将来有望なヒーローの卵をサイドキックにしたいからと、自分から職場体験の受け入れを希望するヒーローも数多く居るのだとか。事務所の所在地が北は北海道から南は沖縄までと、全国の各地に散っているのも、雄英の凄さを物語っているようだった。

 ヒーローを目指すなら目指すで、兄のような救助を専門としたヒーローになりたいと考えていた名前は、事務所選びでは特別迷う事はなかった。見知った救助系ヒーローの事務所を書き入れ、相澤に提出する。そんな名前がいつもより授業に集中できなかったのは、当然他のところに理由があった。
 やがて午前の授業の終了を知らせる鐘が鳴り響き、教室はいつものような騒がしさを取り戻した。現代文担当のセメントスが教室を後にし、名前の前の席に座っている蛙吹も弁当箱を手に立ち上がった。
「行きましょ、名前ちゃん」
「あ、うん……」名前は小さくそう返事をしたものの、やがて口を開いた。「あの、私ちょっと用事があって」
 振り返った蛙吹は、「そう」と呟いただけで特に気にした風もなく、「先に食べているわ」と言って、芦戸と連れ立って食堂へと去って行った。少しして、名前も歩き出した。目当ての人物が背が高いおかげで見失うことはなく、不意に袖を引かれた飯田は、不思議そうな顔で名前を見下ろした。「穴黒くん?」

 別段おかしな事をしているわけではないのだが、緑谷や、麗日も見ている前でそれを口にするのは、聊か勇気が必要だった。喉が段々と乾いていく。「あの、飯田くん、よかったら……ごはん、一緒に食べよ?」

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