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 いったい、何が起こったのか――気が付いたら競技が終わっていた、そうとしか言いようがなかった。一つ考えられるのは、名前達と鉄哲チームのハチマキを手にしていた心操の事だろう。考えてみれば、名前は彼がどんな“個性”を持っているのか知らない。競技の終盤、名前達に掛けられた声をよく思い出すと、あの声は確かに心操だった。彼の声が聞こえてからの数秒間の記憶が名前にはなく、恐らく蛙吹達も同じに違いない。目を白黒させている鉄哲達も同様だ。その心操はいつの間にか姿を消していて、彼と同じチームだった尾白に急かされるように、名前達は障子の背から降りた。
 次に駒を進めたのは轟チームと爆豪チーム、そして心操チームと、緑谷のチームだった。



 昼食を挟んだ後、全クラス合同のレクリエーションが行われ、その後タイマン形式のトーナメントが始まった。組み合わせは籤引きで決められ(尾白とB組の庄田が棄権した事により、鉄哲と塩崎が繰り上がった)、総勢16名が力の限りを尽くした。心操の“個性”が人を操るものだったり、唯一のサポート科本選出場者、発目明が一試合全てを自作のサポートアイテムの紹介に使ったり、あの八百万が一瞬で負けてしまったり、轟が初めて父親譲りの炎を見せたりと色々あったが、試合は着実に消化されていき、ついに名前達の学年で最もヒーローに近い生徒が決まった。
「雄英体育祭一年優勝は、A組爆豪勝己!」
 やまない歓声の中、ミッドナイトがそう声を張り上げる。閉会式も無事終了し、こうして名前の初めての雄英体育祭は幕を閉じたのだった。


 帰りのホームルームの際、明日明後日は休校となると相澤は告げた。先日ゴールデンウィークが終わったばかりなので、どうも休んでばかりのように感じてしまうが、反面二日も休みがあって良かったと名前は一人ごちた。酷使し続けた両腕は未だぶるぶると震え、シャープペンシルを握る事すらままならないだろう。
 礼が済むと、クラスメイト達はいつものように方々へと散っていった。もちろんどの生徒もどことなく疲れが見えるし、普段より気持ちが高揚しているらしいことは確かだったが。他の生徒と同じように鞄を持ち、いつもと同じように「帰りましょ」と後ろを振り返った蛙吹は、「名前ちゃん?」と小首を傾げた。
「ぼうっとして……どうかしたの、名前ちゃん」
 何となく心配しているような彼女の口振りに、名前も慌てて席を立った。もう一度名を呼ばれ、置き忘れそうになっていた鞄を持つ。
「ごめん、何でもないの。帰ろう梅雨ちゃん」
「名前ちゃん、」
 何か言いたげな蛙吹と、そんな彼女の様子に少しも気が付かなかったらしい芦戸と連れ立ち、名前も教室の外へ出た。決勝トーナメントに進めなくて悔しかったとか、やっぱり常闇は強かったとか、でもその常闇の“個性”の弱点を暴き優勝までした爆豪はもっと凄かったとか、そんな事を話しながら廊下を進むも、三人の歩みはすぐに止まる事になった。見知った宇宙服姿が目に入ったからだ。

「13号先生」蛙吹はそう口にして、それから「こんにちは」とぺこりと頭を下げた。
「はい、こんにちは」
 13号も蛙吹と同じようにちょこんと礼をして(無表情のマスクを身に着けているせいだろう、13号は自身の感情を表す為に逐一体を動かす癖がついているのだ)、「今日は三人とも、よく頑張りましたねえ」と朗らかに言った。
「ありがと先生。でも、先生こっちの棟じゃなくない? サポート科じゃなかった?」
 不思議そうに言う芦戸に、蛙吹が「名前ちゃんを迎えにきたんでしょう」と静かに言う。納得したらしい芦戸はそれだ!と指を弾き、13号は肯定するかのように微かに笑った。
「それにしても、先生、もう怪我は良くなったのかしら?」
「ええ、心配には及びませんよ。リカバリーガール先生がほぼ治してくれましたから」
「“ほぼ”という事は、完治はしてないという事よね」
 蛙吹の言葉に、時代錯誤のコスチュームがぴくりと震えた。「だったら、早くリカバリーしてもらうべきだわ」
「名前ちゃん、私達先に帰るわね」
 蛙吹はそう言った後、ふと付け足した。「名前ちゃんも保健室行ってくると良いわ。今日はお疲れ様」
 またね、と言って蛙吹は芦戸の手を取り、名前が何を言う間もなく歩き出した。芦戸は不可解そうに名前と蛙吹とを見比べていたが、蛙吹に何事かを耳打ちされ、名前に「またね!」と手を振って去っていった。

 二人の友達を見送った名前は、ちらりと自分の兄を見上げた。もちろん表情は読めなかったが、「何というか、君の友達は良い目をしているね……」と呟いたので、彼がどんな事を考えているのか大体理解する事ができた。名前も同感だ。
「それに……いや、これはいいね」
「……うん」
 13号は頭を掻いた。もっとも、頭部のカバーを撫ぜただけだ。
「――さて、そうだね、僕はリカバリーガールの所へ行ってくるよ。体育祭が終わった今なら、生徒達で溢れているという事もないだろうしね。名前も一緒に行くかい?」
 名前が首を振ると、13号は「そう」と口にしただけだった。それから彼は車の鍵を名前に渡し、職員用駐車場の場所を教え、保健室へと去っていった。


 13号のキーホルダー――自身のグッズを愛用しているのもどうかと思うが、二頭身のそれは確かに可愛らしかった――が付いた鍵を差し込むと、車のロックが外れる鈍い音がした。駐車場に人気が無いあたり、13号達教職員は、これから生徒達に来た指名やスカウトを纏めたり、体育祭の事後対応に追われる事になるのだろう。13号だって、元から名前と共に家へ帰るつもりだったのかどうか。
 怪我してる時くらい、大人しくしてればいいのになあ。そんな事を考えながら、後部座席に乗り込む。空いているシートへ鞄を置き、ドアを閉めれば、微かに聞こえていたざわめきも途絶えた。これなら、女子生徒の泣き声が外へ聞こえる事もないだろう。もっとも歯を食いしばっているせいか、さほど音は漏れていないようだったが。
 名前を襲うのは自分に対する不甲斐なさ、ただそれだけだった。名前だって、別に学年の一位になるとか、そんな事を考えていたわけではない。しかしながら、思ってしまったのだ。莫大なパワーを持つ轟を見て、“個性”を使いこなす爆豪を見て、大怪我を負いながらも果敢に立ち向かう、緑谷を見て。
 勝てないと、思ってしまったのだ。

 自分の至らなさを恥と思うならこれから学んで行けば良い。その通りだ。名前だって自分なりに頑張ってきた。努力してきた。緑谷のようになりたいと思ってやってきた。しかし――結果はどうだ。
 膝の上で握った両手に、ぱたぱたと雫が落ちていく。何もできなかった情けなさと、両腕の痛みを胸に、名前は一人涙を流し続けた。

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