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 塩崎茨は強い自責の念に駆られていた。あんな風に、こっそりとハチマキを奪うだなんて――何て穢らわしい。もちろん塩崎だって、ヒーローになるという事の重大さを解っているつもりだった。頂きを目指すためには、時には誰かを蹴落とさねばならないという事も。しかしながら、それは決してヒーローらしさを失って良いという事にはなり得ない。
 オールマイトのような素晴らしいヒーローを志すならば、やはり正々堂々勝負をしなければ。
 いっそハチマキを返して、正面から戦いを挑むべきだろうかとか。そんな事まで考え始めた塩崎の心境を理解しているのだろう、鉄哲徹鐡は聊か眉根を寄せて、騎馬である塩崎を見下ろした。妙な事考えんじゃねェぞ、と鉄哲は口にした。「折角あの氷の奴が頭数減らしてくれたんだ。このままPキープして勝つぞ」

 氷の奴――一年A組の、轟という名の生徒の事だろう。塩崎の記憶が正しければ、恐らく推薦入試で合格した生徒だった筈だ。一学年四人だけというヒーロー科の推薦枠は、物間や骨抜のような、優れた“個性”や、ヒーローとしての適性を持っている事が常だ。そして、先の障害物競争で、轟焦凍が高い実力を持っている事は明らかだった。彼の“個性”により、拳藤や鱗、そしてあの小柄な生徒が騎手を務めているチームは試合終了を待つだけとなったのだ。
 鉄哲は、あくまで障害物競争一位の緑谷出久や、轟焦凍に勝負を仕掛けず、現在のポイントを保持して予選通過を狙う算段らしい。物間が以前、自身の策に賛同しなかった鉄哲や塩崎を考えなしと称したが、彼はあれでいてかなり考えている。恐らくスティールという使い道を絞られた“個性”が故に、その“個性”を一番発揮できる戦い方を考える癖が付いているのだろう。そして、鉄哲は彼らと勝負しない道を選んだ。
 この騎馬戦においてのポイント制は、非常に上手くできている。1000万を手にし逃げ切りを狙うか、堅実にポイントを稼いで決勝へ進むか。生徒達があちらこちらと動き回っている以上、ポイントがどのチームにどれだけ集まっているのかを把握する事自体も非常に困難だ。その上で、本選へ進まねばヒーロー達から視線を集める事すらままならず、塩崎達に与えられている重圧は凄まじい。

 上位数チームが(例年の本選出場者の人数から鑑みるに、1000万を手にしたチームだけが本選で戦うとは考えられない)勝ち抜くとなると、現在のポイントを保持すれば決勝へ進めるに違いなかった。もちろん、そう上手くはいかないだろうが。
 その時不意に足元を掬われたような錯覚に陥り、塩崎は思わず二の足を踏んだ。その動きが伝わったのだろう、鉄哲が「オイ!」とがなるように言った。
「まさかおめェらまで、正々堂々やり直そうだなんざ思っちゃいねェだろうな!」
 ……おめェら――?
 塩崎は彼の言葉に釣られるように、同じく騎馬を務めている泡瀬と骨抜の方を見遣った。もっとも塩崎が居る位置からは骨抜の後頭部しか見えないし、泡瀬の方は鉄哲の体に遮られている為表情すら窺えないのだが。
 振り返り、鉄哲を見上げているらしい骨抜が言った。「思ってねえよ。でも、何かが俺らを引っ張りやがったんだ!」

 骨抜が言い終えた途端、またしても塩崎達に何らかの力が働いた。念動力で動かされているような、見えない大きな手で騎馬ごと鷲掴みにされているような、そんな心地だった。騎馬全体がずりずりと後退していくようで、その数メートル先には、先ほど1000万のポイントのチームと戦った時に作った泥沼が控えていた。このままではあの底無し沼の中に引きずり込まれ、迎撃する術すら無くなってしまう。骨抜の高いポテンシャルが、ここに来て仇となってしまったのだ。
 何者かの――他のチームの誰かの“個性”が働いている事は明確だった。この土壇場で、ポイントを奪われるわけにはいかない。
「塩崎!」鉄哲が叫んだ。
「はい!」
 鉄哲が言い終わる前に、既に塩崎は行動を開始していた。ありったけのツルを伸ばし、騎馬全体を動かないよう固定する。髪はピンと張り切ったが、それ以上騎馬が動く事はなくなった。もっとも、逆に言えばそれは敵からの逃げ道を塞いでしまった事を意味する。
「鉄哲、左だ!」
 泡瀬が焦ったように言い、塩崎も彼が示した方を向いた――ちょうど塩崎を支点にし、騎馬全体が方向を変えたところだった。此方へ走ってくるチームを目にし、塩崎は思わず目を見開く。あのチームは確かに、先ほど身動きを封じられていた筈だ――。



 穴黒名前は自分の筋肉の繊維が引き千切れていく感覚を覚えていた。名前の“個性”は筋繊維と密接に絡みついているらしく、使い過ぎると筋肉痛に似た症状が出るのだ。おそらく、“個性”を発動させる器官が腕のどこかにあるのだろう。しかしながら検査して解ったわけではない為、実際のところは解らない。微かな鈍痛を感じながら、右手を左へすべらせていく。
「ごめん、これ以上動かない!」
 名前がそう叫べば、「いいのよ」と蛙吹が静かに口にした。「私達はチームなんだから」
 彼女は低い姿勢で鉄哲チームを見据え、隣に座る峰田は自身の頭から生えてくる球体を次々と放り投げる。彼の頭からはうっすら血が滲み始めていて、彼がいかに真剣に競技に臨んでいるかが伺えた。“個性”の球体はもぎり過ぎると血が出るのだと、峰田は言っていた。
「クソが、何で――!」
 相手チームの騎手はそう言ってから、自身の体を金属のような物質へと変化させた。彼の名前から察するに、肉体を鉄へと変える力なのかもしれない。となると、彼の体はかなりの硬度を持っているのだろう。切島の硬化と似通った“個性”だ。
 ――対人戦なら持って来いって感じかな。
 いつぞやの戦闘訓練の時の、切島の言葉が思い返される。騎馬の女の子の髪の毛であるイバラも、見た目に反して丈夫だし、彼女の思うままに動くようだった。先頭の男子生徒の“個性”も広範囲に作用できるもののようだし、遠近両方に対応した、非常に強力なチームだった。

「オイラ達だってなあ、そう簡単に負けらんねぇんだ! A組なめんな!」
 峰田が叫んだと同時に、そのまま相手チームに突っ込んでいきそうだった障子が減速し、その六本の腕を使い瞬時に方向転換した。重戦車のような一撃に構えていた彼らは虚を衝かれたようだったが、残念ながらそのまま騙されてはくれなかった。
 いくつもの峰田の球体に対応するように、女子生徒がツルを伸ばす。どうやら頭部から切り離したイバラも、自在に動かせるらしかった。加算された重力で弾丸のように飛び出していった峰田の球も、その殆どが彼女の“個性”に絡め捕られてしまった――しかし、彼らのその判断が、峰田チームの反撃の兆しとなる。
「ぬおッ!」
 横なりに重力を発生させ、鉄哲チームを滑らせる。先ほど名前達が轟の氷から逃げられたのも、こうして地面と垂直になるよう重力を発生させ、大きく横っ飛びしたおかげだった。もっともそのせいで氷の壁に阻まれ、1000万ポイントに届かなくなってしまったが。流石の障子も、名前達三人を背負ったままあの氷壁を越える事は不可能だ。
 ばつばつとツルが切れていき、鉄哲チームが徐々に左方へ移動していく。先ほどと違い彼らが名前が発生させた重力を堪えられないのは、“此方側に動かされる”事を予想していなかったからだ。
 ――鉄哲も塩崎も骨抜も泡瀬も、“峰田チームの反対側”に引き寄せられるとは思っていなかった。


 騎手である鉄哲は、三人の上から転がり落ちないよう必死で体を前方へと傾ける(いくら溶接してあるとはいえ、四人揃って引っくり返っては敵わない)。まさか、骨抜の作った沼と正反対の方向へ引っ張られるとは思っていなかった。峰田チームが迫ってくるのは見えていたが、落馬してしまえば一発退場となってしまう。しかし、このままでは彼らだって攻撃に転じにくいのではないだろうか? 小大も角取も物間の所持するポイントを狙っていたようだし、彼らの“個性”を逆手に取り、この傾きに身を任せて逃げ切ってしまえば――。
 唐突に騎馬の三人の動きが止まり、鉄哲は自身の体が大きく揺らいだのを感じた。「な、何でだ……!」
「すまない鉄哲、もう後ろへ進めない」泡瀬が焦った声で言った。「“壁”が!」

「そろそろ時間だ! カウント行くぜ、エディバディセイヘイ――!」プレゼント・マイクのカウントダウンを耳にしながら、名前は勝ちを確信していた。空気が凝固して出来た壁を背にした彼らに、もはや名前達の攻撃を防ぐ術はない。蛙吹が舌を伸ばし、三人を背にした障子はそのまま鉄哲チームへ突っ込んでいく。先と違い、蛙吹の舌が地へ向かう事はなく、それどころか新たに発生した重力に従い、勢いよく鉄哲達の方へ伸びていった。
 ――勝てる。少なくとも、名前はそう思った。


 蛙吹の舌が鉄哲の額に巻かれたハチマキへ届く寸前、名前達全員に向けて言葉が発せられた。それは不思議とこの喧騒の中でもよく聞こえ、思わず皆が「あぁ!?」とその声の主を振り返ってしまった。

 名前が事態に気付いたのは全てが終わった後だ。峰田チームと鉄哲チーム、その両方のハチマキを手にしたのは峰田でも、ましてや鉄哲でもなかった。
「ご苦労様」そう言って、心操人使は不敵に笑った。

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