22

 プレゼント・マイクは自身の顔がにやけるのを止められなかった。もっとも止める気もないが。ヒーローとして活動する手前、プレゼント・マイクは常に笑顔を心掛けている。しかし今浮かんでいる笑みは、作為的なものでは決してなかった。自分が担当しているクラスは残念ながら全員が予選で敗退してしまったわけだが、このワクワク感はいくつになっても変わらない――ヒーローの有精卵達が、しのぎを削る大勝負。「まだ二分も経ってねぇが、早くも混戦混戦!」


 耳に届いた峰田の声に、名前は何故だか笑いそうになってしまった。確かに、騎手である峰田がこうして障子の背に居る以上、負ける事はあり得ないように感じられる。しかし油断は禁物だ。他のクラスの生徒がどんな“個性”を持っているのか解らないし、ヒーロー科ではないのに本選に勝ち進んできた心操や、あのサポート科の女の子だって明らかに強敵な筈だ。今にして思えば、障害物競走の時に他の生徒の“個性”を少しでも観察しておくべきだったのかもしれない。
 もっとも、悔やんでも始まらない。失敗は次に生かせば良いのだ。体育祭の様子は後でビデオを見返すことができるし、今はただ、目の前の事に集中するのが先決だ。名前はじいと「その時」を待っていた。「――穴黒、左前方5メートル先、緑谷だ!」
「うん!」
 心なしか、蛙吹と峰田に緊張が走ったのが伝わってくる。1000万ポイントという明らかなバランスブレイカーは、勝負にメリハリを持たせる為のものだろう。一組へ攻撃が集中するのはやはり見ていて心が躍るだろうし、生徒達に力も入る。もはや国民の行事と化した雄英高校体育祭は、外へ向けた視点を有した上で行わなければならない。しかしながら、1000万というプレッシャーは、同じフィールドに立たなければ解らないものかもしれなかった。
 名前は両腕を前へ突き出した。直接触れているものならともかく、離れたところ、しかも見えないものへ負荷を掛けようとなると、かなり難しかった。上手くいくのかすら怪しいところだ。明日は筋肉痛だろうなと考えながら、腕に力を込める――相手を押さえ付けるのではなく、あくまで動きを制限するだけ。いいぞ、と、障子の声が小さく聞こえた。

 相手チームとの距離が近くなってきたのだろう、名前の耳にも外の喧騒が聞こえ始めた。「一旦距離を取れ! とにかく複数相手に立ち止まってはいかん!」
 耳に届いた常闇の声を受けて、名前は「複数……」と呟いた。ちらりと蛙吹が後ろを振り返る。「緑谷ちゃんのチームの他に、B組のチームも居るの」
「名前ちゃん」
「わかってる!」
 声が聞こえてくる方へ向けて“個性”を発動し、周辺の重力を強くする。「穴黒さんも居るのか! ほんとに凄いな障子くん!」という緑谷の言葉に、名前は少し笑った。

 峰田と名前の“個性”で足止め、それから蛙吹がハチマキを掠め取る――1000万ポイントを前に、勝利は目前の筈だった。
 あ、と、誰かが声を発した。それは蛙吹だったかもしれないし、峰田か、障子か、それとも他の誰かだったかもしれない。

 一瞬だけ辺りが静かになった。どことなく不穏なそれに、名前は恐る恐る「ね、ねえどうしたの?」と尋ねる。この暗がりでは、何が起こっているのか把握する事もできない。
 蛙吹が静かに言った。「届かなかったの」
「え?」
「名前ちゃんの“個性”が私達にも有効なんだって事、計算に入れてなかったわ。私の舌が届かなかったの」
「……えっ!」
 驚いた拍子に重力が軽くなってしまったようで、どうやら緑谷チームに逃げられてしまったらしかった(「たまらず緑谷チーム離れる!」)。確かに、名前の“個性”重力は、物体が持つ引力を強める力だ。しかしそれは直接触れているものに限るわけで――離れた物に“個性”を使おうとするなら、地球の重力を強める事になる。当然相手チームにかなりの負荷が掛けられるし、自分達の攻撃が通る事もなくなる。見えている対象にならまだしも、口頭で指示された部分だけに重力を加算しようとするなら、相当のコントロールが必要になる筈だ。自分の“個性”を把握したばかりの名前には到底無理な芸当だったし、仮に出来たとしても、かなりシビアな連携が必要になるだろう。
 明らかな選択ミス――四人の脳裏に、そんな言葉が過る。

「あ、穴黒気にすんなよな! 次だ、次!」
「ありがとう、峰田――」励まそうとしてくれているらしい峰田の言葉に、思わず涙腺が緩む。名前は顔を上げ、それからハッとなった。「――くん頭! ハチマキ無くなってる!」
「はっ!?」
 峰田が頭に手をやり、その顔が青褪めたのを名前は見た。「いつハチマキ失ったの」と蛙吹が呆れたように呟いたが、本当に、いつの間に無くなったのだろう。指定した対象を瞬間移動させる“個性”の持ち主でも居るのだろうか。
 わあわあ言い合っている二人を見据えながら、名前は「障子くん」と呟いた。
「何だ」
 顔のすぐ横から返事が返ってきたが、さほど驚きはしなかった。
「腕、閉じてると走りづらいよね」
 虫が良すぎてごめんだけど、と付け足す名前に、障子は微かに笑ったようだった。「気にするな。お前を誘ったのは俺だ」

 急激に視界が開け、そのあまりの眩さに名前は目を細めた。歓声と、声援と、そして周りの熱気とがダイレクトに伝わってくる。電光掲示板には現在のポイントの変動が示され、峰田チームを含めた半数が0Pと表示されているのが解る。同時に、どのチームが名前達のハチマキを取ったのかも。チームメイトの力強い声を前に名前は頷き、二人を抱えるようにして障子の背に掴まった。自分の“個性”が攻撃の邪魔にしかならないと知れた以上、名前に残された道は、蛙吹達が攻めに集中できるよう手助けする事だけだ。「あの二組のP、全力で掠め取るぞ!」

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