驚嘆

 三本の箒へ行って、バタービールでも飲もう――そう提案したのはテリーだったが、アンソニーもマイケルもすぐさま頷いた。凍えてしまいそうなのは三人とも同じだったのだ。雪の降りしきる中、競うようにしてパブへと向かう。皆、歯がガチガチと鳴り出すほど冷え切っていたが、三本の箒の中へ入ると、そんなものはどこかへ消え失せてしまった。体中の血液が踊りだしたようだった。暖かい。人で溢れ返った三本の箒の中、テリーは薄っすらと汗まで滲んできたような気がして、ぐいっとマフラーを剥ぎ取った。
 テリー達と同じホグワーツ生が群れを成してやって来ていたせいで、三本の箒はほとんど満員状態だったが、三人はなんとか空いているテーブルを確保することができた。コートを脱いで椅子の背にかけた時、既にマイケルが右手を突き出していた。少しだけ嫌な予感がした。

 じゃんけんに負けたのはテリーだった。三人分のシックル銀貨を持って、渋々カウンターへと向かう。アンソニーは申し訳なさそうにしていたが、マイケルはにやにやと笑って手を振るだけだった。アンソニー、君は良いやつだ。どこかの誰かと違って。
 テリーは強面の魔法戦士たちの脇をすり抜けながら、小声でぶつくさ言った。主にマイケルに対して。彼は最近、一学年年下のチャーミングな女の子と交流を深めている。そのことをテリーは偶然にも知っていたので、あまり罪悪感は沸かなかった。
 人混みに揉まれながらもカウンターへと辿り着いたテリーは、「バタービール三つ!」と店主に注文した。すぐに了解の返事を寄越すのはマダム・ロスメルタだ。魅力的な彼女を前に、じゃんけんに負けたことは、決して不運ではなかったかもしれないと少し思う。
 マダムからジョッキの乗った盆を受け取り(「大丈夫?」とマダムに声を掛けられた。やはり不運ではなかったかもしれない)、テリーは元居たテーブルへと向かった。何気なく振り返った先では、毛深い魔法使い達に囲まれたマダムが笑顔で注文を受けている。


 ふらふらと大ジョッキを運んでいたテリーだったが、途中人にぶつかられ、危うく落としてしまうところだった。
 「おい!」と、普段のテリーなら怒鳴ったところだろう。物凄い勢いで人を掻き分け、テリーにぶつかっても何の謝罪もしなかった男は、ホグワーツの生徒であり、一方的ではあるが口を利いた事のある相手だったからだ。しかしながら、テリーは名前・名字に声を掛けることができなかった。
 呆気にとられたまま、テリーは名前を見送った。確かに、確かに名字だった。レイブンクローとハッフルパフの合同授業は多く、同級生の顔くらいは知っている。しかしながら、名字はあんな――あんな顔をした男だったっけ? 垣間見えた名前の顔付きは険しく、声など到底かけられる雰囲気ではなかった。
「テリー――テリー! 名前を止めてくれ!」
 後ろからそんな声が聞こえた。ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーだ。周りにはアーニー・マクミランや、その他ハッフルパフ生の姿もある。おそらく名字は彼らと共に居たんだろう。しかし残念ながら、既に名字はテリーの手の届く所には居なかった。
 彼は一体、一人でどこへ向かっているんだろう? テリーは名字の進む先を見た。けばけばしい色のローブが目に入る。それから間もない内に、この場に似つかわしくない怒鳴り声がテリーの耳に届いていた。
「ハグリッドが半巨人だって、それがどうだっていうんだ? ハグリッドは何にも悪くないのに!」

 酒場中に響くような声で喚いていたのは、ハリー・ポッターだった。話したことはなかったが、同じ四年生だし、見た覚えくらいはある。何より生き残った男の子だ。一緒に居るのは、おそらくロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーだろう。しかし、怒鳴っている相手、あのけばけばしいバナナ色のローブを着た魔女は一体誰だろう?
 が、テリーは本能的に解ってしまった。――リータ・スキーターだ。


 中年の魔女に、未成年の魔法使いが喧嘩を吹っかけている。ただそれだけだ。しかしパブの中は気味が悪いほど静まり返っていた。それに応える声が嫌でも聞こえてしまう。
「ハリー、君の知っているハグリッドについてインタビューさせてくれない? 『筋肉隆々に隠された顔』ってのはどうざんす? 君の意外な友情とその裏の事情についてざんすけど。君はハグリッドが父親代わりだと思う?」
 テリーは不意に思い出した。名前・名字はハグリッドの義理の息子だった。

 テリーは別段、森の番人と親しいわけではない。彼の授業は取っていたが、馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。去年はほぼ一年間レタス食い虫をやらされたし、今年は例のスクリュートだ。
 しかしながら、どうやらハリー・ポッターは違うらしい。彼の様子だと、恐らくハグリッドと仲が良かったのだろう。先日、日刊予言者新聞にハグリッドを中傷する記事が載った。ハグリッドは半巨人だという噂は瞬く間にホグワーツ中に広まり、結果として森番は自分の小屋に引き籠るようになった。記事を書いたのはリータ・スキーター。
 ああして義憤に駆られ、後先考えず喧嘩を吹っかけるのはグリフィンドール生の特徴だ。しかしながら、三本の箒が今こうして静まり返っているのは、単に諍いを面白がっているからだけではないかもしれない。ホグワーツ生やホグズミードの住人達が、何かを期待しているのかも。
 テリー自身もそうだった。別にハグリッドと親交はないし、授業も好きにはなれそうもない。それに、彼が純粋な人間ではないことは薄々解っていた。半巨人だと断定された時は、「ああそうか」と納得したし、同時に恐れもした。しかしながら、ルビウス・ハグリッドはホグワーツの仲間だという気持ちの方が大きかった。
 ハリーが言い返す前に、その隣に居た女の子が立ち上がった。グレンジャーだ。
「あなたって、最低の女よ。記事のためなら、何にも気にしないのね。誰がどうなろうと」
 例えルード・バグマンだって、とグレンジャーは続けようとした。バグマンと言えば、三大魔法学校対抗試合の審査員の一人だった筈だ。スキーターは、彼についても何か記事を書こうとしていたのだろうか? 彼女の言葉が途中で途絶えたのは、スキーターがそれを遮ったからだ。
「お座りよ。バカな小娘のくせして」スキーターは易々と言い放った。「解りもしないのに、解ったような口をきくんじゃない」
 グレンジャーがスキーターを睨み付けているのが見て取れる。彼女は言い返すだろうか? テリーは既に、自分が今何をしようとしていたのか忘れていた。盆を器用に抱えたまま、じっと彼らの動向を窺う。ハグリッドが半巨人だろうが何だろうがテリーはどうだって良かった。どうせ、授業くらいしか接点はない。が、あんな中年女に良いようにされているのは癪だった。

「その人にそんな口を利くんじゃねえ」
 突然聞こえてきた声に、テリーはぽかんとした。
 テリーは名前・名字がグレンジャーの前に立ったのも、彼が口を開いたのも、急に目の前に現れた名字を見てスキーターが一瞬怯んだのも、ちゃんと見ていた。しかし解らなかった。今のは一体、誰の声だろう?
 もちろん、名字の声だ。
 名字は「黙り屋」だ。テリーは彼が喋っているのを今の今まで一度も見たことがなかった。彼は何せ、授業中に教師に当てられた時ですら満足に口を利かない。話せないんじゃないかと思ったことすらある。あれは本物の名前・名字だろうか? しかしジャスティン・フィンチ‐フレッチリーと居たようだから、その筈だ。
 あの黙り屋・名字が口を利いている。しかも、こんなに大勢の目の前で。
「――で、あんたはいったい誰ざんす?」スキーターが致し方なくという調子を隠しもせず言った。
「名前・名字」名字がぶっきらぼうに答える。
「名字……?」
 スキーターが訝しげに、小さく呟いたのはかろうじて聞き取ることができた。その後のブツブツは無理だったが。
「何のつもりであんなことをしたんか、俺には解らねえ。あの人は――俺の親父は、人に恨まれるような人間じゃねえ」

 スキーターが、鼻で笑った。「ああ、あんた、ハグリッドの息子ざんすね」
 いやに含みのある声音だった。それが何故なのかは、この時のテリーには解らなかった。明らかになるのはこれから数日後だ。ともかくもテリーには、スキーターが値踏みをするように名字をじろじろ見ることや、あからさまに蔑むような言い方をする理由は解らなかった。
「それで? 父親の仇を討ちにきたってわけ」
 名字は答えなかった。
「あんたが何を書こうが、そりゃああんたの自由だ。勝手にするがええ。ただ俺には、こんなヒトの出来損ないみてえな奴の寄越した原稿をどうして予言者が使うんか、それが不思議でならねえ」名字は辛辣に言った。
 名字の身長は特に高いというわけではなかった。スキーターとそれほど変わらない。同年代の中では体格が良い方かもしれなかったが、それでも彼は未成年の魔法使いなのだ。しかしながら、彼から滲み出ている威圧感は半端なものではなかった。ギラギラとスキーターを睨み付けている名字は、本来の何倍にも大きく見えた。
 テリーが感じた圧力を、スキーターが同じように感じていたかは解らない。彼女は暫く何も言わなかった。むしろパブの中に居た人間の誰もが口を開かず、ほんの少しの間、漏れ鍋は時間が止まったかのようだった。


 結局あの後、スキーターは名字とグレンジャーに向けて捨て台詞を吐いた。彼女は今、カメラマンであろうカメラを持った男と一緒に、鼻を突き合わせて何事かを論議している。名字とグレンジャーの二人は揃って店を出て行った。ハリー・ポッター達も一緒にだ。名字に置いて行かれたジャスティン達が、ばたばたと慌てて立ち上がるのを目撃した。そしてテリーは、やっとアンソニーとマイケルの元へ向かった。バタービールはすっかり冷めてしまっている。
 店の中はすっかり元通りになっていた。蜂蜜酒を溢れさせていたマダム・ロスメルタは急いでそれらを消失させたし、じっと動向を窺っていた魔法戦士達は雑談を再開させていた。彼らの間で、先程の諍いが彼らの酒の肴になっていることは間違いない。スキーターをよく思っていない人間がホグズミードには殊更多いらしく、皆、時折スキーターの方に目を走らせては、低く笑い声を立てている。いつもの三本の箒だった。
 アンソニーとマイケルも、自分達が目にしていた光景が本物だったのか疑っていた。恥をかかされたスキーターがこれからどうするのかも気になるが、何よりも名前・名字が口を利いた事の方がよりテリー達の関心を引いた。テリーは勿論、アンソニー達も、今まで名字が喋っているのを見たことがなかったのだ。どう話し掛けたところで、彼はせいぜい首を振るぐらいだったのに。テリーは彼がハグリッドと同じスコットランド訛りで話すことや、存外低い声をしていることなど、全く知らなかった。

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