人狼

 ぱきっ、と思いの外大きな音がして、ジョージははっと身を竦めた。隣ではフレッドが同じように動きを凍らせている。二人は互いに目配せをし、そっと辺りを見回した。ジョージとフレッドが禁じられた森に忍び込んだのはこれが初めてではなかったが、鬱蒼とした茂みから何かが飛び出してくるかもしれないという恐怖は捨て切れなかった。慎重に辺りに気を配り、何の気配も無いと解ると、二人は揃って安堵の息を漏らした。フレッドがまったく無言で「気を付けろ!」の仕草をし、ジョージも口を閉ざしたまま「ごめん!」と叫んだ。
 今回の森行きを計画したのはフレッドの方だった。禁じられた森の探索はもはや二人のライフワークと化していたが、今日はフレッドの方が森番のハグリッドが不在だということを仕入れてきたのだ。禁じられた森は、その名の通り生徒が森に入ることを禁止されている。許可が下りるのは上級生の授業の時だけだった。
 大木が立ち並んだ薄暗いこの森は、いつもホグワーツのすぐ隣でひっそりと佇んでいた。ジョージ達がこの森に並々ならぬ関心を抱いているのは、ただ侵入が禁じられているからだけではなく、一つの興味深い噂が原因だった。
 禁じられた森に纏わる噂はいくつかあった。人語を解する大きな毒蜘蛛が群れを成しているとか、始まりはあるケンタウルスが植えた一本の木だったとか。中でもジョージ達の関心を引いたのは、狼人間が棲んでいるという噂だった。
 イギリスに野生のアクロマンチュラが存在するとは思えないし、何千年前のことかも解らない話を信用するほど二人は浅はかではなかった。ただ――人狼の噂に関しては具体性があった。
 例えば、フィルチだ。ホグワーツの管理人である彼は、よく罰則の際に(ジョージとフレッドは罰則の常連だった)生徒に脅しをかけるのだが、「森へ行って狼人間に食わせてしまうぞ」というのが決まり文句の一つだった。
 性悪のフィルチは生徒を怖がらせることに生き甲斐を感じているからして、そういった脅しを口にすること自体は珍しくない。昔は体罰も許されていたのだと、そう言いながら事務室にある鎖のことを持ち出すのは彼の十八番だ。フィルチは今でもその鎖をきちんと整備しているらしい。しかしながら、生徒を脅すだけなら、何も「狼人間」でなくても良い筈だ。キメラとか、クィンタペッドとか。
 また、ジョージ達が入学する前の話だが、ある満月の晩、生徒が森へ入り込んだことがあるらしかった。この事はビルから聞いた。その彼だか彼女だかは、何もジョージ達のように人狼を探しにいったのではなく、ただ満月草を採りにいったのだそうだ。多分、薬草学か、さもなくば魔法薬学が好きな生徒だったのだろう。結果的に、その生徒は結局教師に見付かった。そして――大目玉を食らった。ビルの話では、その生徒は三ヶ月もの間、毎日トイレ掃除をしていたそうだ。しかもマグル式で。
 ジョージ達も今まで幾度となく森へ侵入し、何度もハグリッドに捕まっていた。しかし、そこまでひどい罰則は受けていない。森のごく一部しか見ていないというその生徒が――ジョージ達のように本気の悪ふざけでもないのに――たったそれだけで三ヶ月も罰則を貰うのは、あまりにも不自然だった。
 禁じられた森には本当に狼人間が棲んでいるのではないか、それがジョージとフレッドの出した結論だった。噂を確かめに禁じられた森へ入る、それはフィルチに糞爆弾を投げ付けたり、スリザリンの連中をからかったりするより、よほど魅力的な事だった。もちろん、何度も断念させられて意固地になっている部分もある。

 先日手に入れた「忍びの地図」のおかげで、城を抜け出す事自体は簡単だった。この地図はまったく素晴らしい。ホグワーツについて、自分達の足だけで調べ尽くすという夢が潰えたのは無念だが、それだけの価値があった。
 別に、外出が禁止されているわけではなかった。しかし教師や監督生に見付かれば面倒なことになることは解り切っている。特に近頃では、フィルチは二人が何もしていなくても難癖を付けてくるので、殊更注意しなければならなかった。この日は幸運にも、教師にもフィルチにも会わずに校庭へ出ることができた。忍びの地図のおかげだ。二人は無事、禁じられた森の中へ侵入した。


 満月だった。念入りに数えていたのだから間違いない。二人はこの日の為、天文学のシニストラ先生に次の満月がいつなのかを尋ねたし、自分達でも何度も確かめた。今日は満月に違いなかった。昨晩の月は丸に近かったし、失敗は無い筈だ。
 ジョージもフレッドも、今までにないくらい慎重に森の中を歩いていた。できるだけ音を立てないように、細心の注意を払っていた。時折、枝の隙間から黄色い月が顔を覗かせた。
 二人が辿っているのは、ハグリッドが作ったらしき小さな道だった。道の無い藪の中を歩いてみたいという欲求もあるにはあったが、本当に取り返しの付かないことになるかもしれないと思うと、一歩を踏み出せなかった。どちらにせよ、十一歳の少年達にとって、二人きりで杖明かりを頼りに夜の森を歩くなんて事は、それだけで大冒険だったのだ。ここまで上手くハグリッドを撒けたのが初めてだったことも、ジョージ達の足を留まらせたことの一因だろう。そうでなければ、愚直に道なき道を進んでいたかもしれない。
 ――狼人間に気付かれる前に狼人間を見付ける、それが最優先課題だった。
 ジョージもフレッドも、決して馬鹿ではなかった。魔法族の一家に生まれたおかげで、人狼の恐ろしさもよく知っていた。しかし――ちょっと考えれば、狼人間が自分達に気付くより先にそれを見付けるだなんて、できる筈がないと解っただろう。狼人間は素早かったし、人間よりも優れた五感がある。しかも二人はホグワーツを入学したばかりときている。
 ただ、度重なる管理人からの逃亡劇が、二人の目を曇らせていた。前に森へ忍び込んだ時、偶然ユニコーンを目撃したことも、二人の背を後押ししていた。二人なら何でもできる、そう思っていたし、そう信じていた。

 「それ」を見付けたのはジョージだった。ジョージはまず、自分の目を疑った。そして次に、フレッドに声を掛けた。出来得る限り小さな声を出したつもりだったが、不気味なほどに静かな森の中では、あまり意味を成さなかった。「お、おい、あれ」
 ジョージが指で示した先を見て、フレッドも目を見開いた。
 小道の脇の藪、その向こう側に、少しだけ開けた場所があった。月の光に照らされていて、一匹の動物が横たわっている。狼だ。
 まだ若い狼のようだった。体は普通の犬より少し大きいくらいで、想像していたような荒々しさはなかった。眠っているらしく、二人に気付いている様子はない。
「なあフレッド」ジョージが言った。「あれ、本当に狼人間かな?」

 二人はもちろん、事前に狼人間について調べていた。普通の狼との見分け方や、変身した狼人間はどんな魔法生物よりも好んでヒトを襲うことなど。
「どうだろう。もうちょっと近付けば、解るんだけど……」
 フレッドの声には、ジョージが期待した通りの響きが籠っていた。悪戯を企んだ時の、あの声だ。
 変身した人狼と普通の狼を見分けるには、その鼻先を見比べるのが一番だった。狼人間の鼻面は普通の狼より少しだけ短いのだ。二人は顔を見合わせる。もちろん、答えは決まっていた。
 今まで以上に慎重に前へ進んだ時、唐突に狼が起き上がった。爛々と光った黄色い目は、まっすぐ二人の方を見詰めていた。ジョージ達は本能的に、これは狼ではないと悟った。――本物の狼人間だ!


 二人は一目散に逃げ出した。音を立てないようにだとか、見付からないようにだとか、そんな事は一切頭から消えていた。無我夢中だった。
 ――終わりはあっけなく訪れた。どこからともなくハグリッドが現れたのだ。
「お前さん達、また森で悪さしとったんか!」
 森番は怒っていたが、いつもと違う二人の様子を見て考えを変えたらしい。何があったのかと、どこか心配そうな面持ちで尋ねる。狼に会ったと告げると、ハグリッドは血相を変えた。怒りに赤らんでいた顔が、血の気が引いて青くなっている。
「ハグリッド、あれは絶対に狼人間だ! 噂は本当だったんだ!」
 フレッドがそう言うと、暫くの間を置いてからハグリッドは「馬鹿言え」と言った。
「狼人間がホグワーツに居るわけなかろう。お前さん達が見たのも、普通の狼だ」
「でもハグリッド、僕ら見たんだ!」
 ハグリッドは二人の主張を聞き入れる気はないようだった。森を抜ける頃、彼はひどく恐ろしげな顔で二人を睨んだ。それから二度と森に入ってはいけないと言い聞かせるように言う。「ええか、もし本物の狼人間だったら、お前さん達を見逃す筈がなかろう。禁じられた森に狼人間なんぞ棲んでおらんし、普通の狼を見間違えたに決まっちょる」

 あの後、二人はマクゴナガルの元へ連れられ、三ヶ月にも及ぶ罰則が言い渡された。二人は甘んじてそれを受け入れたが、同時にやはり噂は本当だったのだと確信した。
 ジョージとフレッドは、確かに「狼に会った」、「あれは狼人間だった」とは言ったが、「狼人間に追い掛けられなかった」とは言わなかった。二人が出会った人狼は、二人の方を見てはいたものの、後を追ってはこなかったのだ。でなければ、ジョージ達が人狼から逃げられる筈もなかった。二人の本気の走りが狼人間を振り切ったのだと楽観的に見ることもできるが、それよりは狼人間が満腹で追い掛ける気にならなかったのだろうと考える方が、より説得力があった。
 ジョージ達の森への情熱はこの日を境に薄れていったが、狼人間との遭遇が悪戯仕掛人としての自信を確かにしたことは言うまでもない。

[ 692/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -