心驕

「――電話ボックスはガラス製だし、決して丈夫なわけじゃない。いくら接着呪文で扉を閉ざしていても、彼が入り込んでくるのは時間の問題だった。そこで、私はバサッと半身を翻し、狼男と向かい合った! もちろん、彼を傷付けるような真似はできなかった。彼が苦しんでいることが解っていたからです。強力な攻撃魔法で一気に吹き飛ばしてしまうことは簡単でしたが、私はより難しい道を択ぶことにした」
 そこで一息入れ、ロックハートはさりげなく教室を見回した。少なくとも――生徒の約半数は、ロックハートの話に真剣に聞き入っていた。固唾を飲み、ロックハートの次の動きを待っている。どれも浮かない顔だが、まあまずまずの結果と言えるだろう。例の襲撃事件でこのクラスの生徒が一人石になったせいだろう、他に比べるとファンが多い。

 襲撃事件。スリザリンの何たらかんたらが、つい先日までロックハートの悩みの種だった。もちろん、襲われるかどうかとか、そういう問題ではない。悪ふざけの犯人もまさか教師を襲ったりはしないだろうし、ロックハートはそもそも混血だ。マグル生まれではない。
 この事件が解決しなかった時、自分にお鉢が回ってくるのではないか――それが心配だった。ロックハートは闇の魔術に対する防衛術の教師としてホグワーツに雇われている。古代ルーン文字学や薬草学ならまだ良かったのに、防衛術ではそうは行かない。今以上の厄介事が起きた時、その対処が求められるのは明らかに防衛術の教師になるだろう。
 ロックハートは決して無能ではなかったが、さりとて防衛術に秀でているわけではない。自分が人より容姿が優れていることはかろうじて自覚しているが、ロックハートが自信を持って扱えるのは忘却術くらいのものだった。闇の力に対する防衛術連盟名誉会員は、ここには居ないのだ。
 スリザリンの怪物と対峙した時、果たして忘却術が頼りになるのか? 答えはノーだ。
 大体、こんな襲撃事件が起こるなんて、予想していなかった。事前に解っていれば、教授職など引き受けなかっただろう。余談だが、ロックハートが闇の魔術に対する防衛術の教師になることを承知したのは、ハリー・ポッターを教えられるからだった。そのハリーは、どうもロックハートのことをあまり好いていないらしい。恐らく、自分よりずっと有名なロックハートに対し、嫉妬しているのだろう。
 そりゃ、ホグワーツは毎年何かしらが起こるものだが、闇の魔術で石にされているとなると話はまったく違う。こんな闇の魔法を、しかも明確な悪意を持って使っているだなんて、どう考えても異常だ。
 もしスリザリンの継承者に対し、何かしらの策を施すよう言われたら――ロックハートだって、ホグワーツの全員に忘却術を掛けることが不可能だという事くらいは理解している。ロックハートは打つ手がないだろうし、当然それは身の破滅を意味する。ロックハートには、継承者騒ぎがこれ以上大きくならないよう祈るしか手はなかった。

 まったく、秘密の部屋だなんて――レイブンクローの髪飾り以上に馬鹿馬鹿しい。実際に何人もの被害が出ているのだから、何かが起こっていることだけは間違いないわけだが、「秘密の部屋」なんてただの伝説だ。少なくともロックハートはそう信じていた。
 しかし、魔法省はハグリッドを捕まえた。このタイミングでの連行だ――彼がスリザリンの継承者で、秘密の部屋は実在したというわけだ。レイブンクローの諸兄はさぞ驚きに身をやつしたことだろう。ロックハートも然り。
 彼のことは森番としか知らなかったが、どうにも胡散臭い奴だと思っていた。美的感覚はゼロだし、何よりあの目付きが怪しい。動物の世話は上手かったのかもしれないが、結局自分の欲望には勝てなかったわけだ。マグル生まれを追放するという欲望には。ハグリッドはスリザリンっぽくないようにも思うが、別に純血主義を持つ者がスリザリンでなければならないわけでもない。考えてみれば彼は無類の怪物好きだし、スリザリンの怪物を手懐けていたとしても不思議じゃない。
 ハグリッドがアズカバンへ連行された以上、もう間違いは起きないだろう。ロックハートは安堵していた。残念だったのは、気付いた時にはもう全てが終わっていたことだ。いつの間にかハグリッドは捕まり、いつの間にか監獄へぶち込まれていた。功績の立役者が誰なのかもいまいち解らないし――まあ、おそらく、ダンブルドアだろう。彼は理事会に辞任を迫られ、ハグリッドが連行されたのと殆ど同じタイミングでホグワーツを去った。でなければ朝食の時にでも事件の全貌を説明しただろう――忘却術の出番は無かったわけだ。
 残念だ。ホグワーツの教師が学校で起こる難事件を、若い防衛術教師が解決したとあれば、箔も着いただろうに。


 ロックハートがいかにして狼男を退けたのか、『狼男との大いなる山歩き』の十一章を語り終えた時、講義終了のベルが鳴った。宿題を言い渡すと(ロックハートが人狼に使った呪文についての考察)生徒達の半数は顔を顰めたが、結局何も言わなかった。ハッフルパフは、他の三寮と比べると大人しい生徒が多い。ロックハートは満足げに頷きながら、杖を持って立ち上がった。彼らを次の授業が行われる教室へ引率しなければならなかった。彼らの次の時間は魔法史だ。比較的近い。ロックハートは密かに溜息をついた。
 この引率作業がロックハートの新しい悩みだった。臨時で校長職に就任したマクゴナガルは、未だ警戒措置が必要だと考えているらしい。今頃ハグリッドは、アズカバンの牢獄で一人膝を抱えているだろうに。マクゴナガルが犯人はハグリッドでないと考えているのか、それともスリザリンの怪物が独りでに出歩いてマグル生まれを石化させると考えているのかは解らないが、ともかくも彼女は警戒を解くにはまだ早いと考えているらしい。夜間の見回りも、こうした引率も、未だ続けられている。おかげでロックハートはいつでも寝不足だ。それとなく、もう必要ないのではないかと進言してみたりもしたが、彼女は聞く耳を持たなかった。
 最後にきっちりと髪をセットしたのはいつだっただろう、ロックハートはそんな事を考えた。
 多分、生徒達が暗い顔をしているのも、同じような理由からなのだろう。残念ながら、彼らは私と違ってハグリッドが居なくなったことと、襲撃事件とを結び付けられなかったのだ。森番は善良だと信じ込み、何故居なくなったのかと不安がっているのだろう。ロックハートは手近に居た男子生徒に話し掛けた。やはりどこか憂鬱そうな表情を浮かべている。
「大丈夫、もう襲撃は起こりませんよ」ロックハートはにっこりした。「もう危険は去ったのです!」
「えっ?」
 男子生徒は虚を衝かれたように、ぽかんと口を開けてロックハートを見上げた。彼らの周りでざわざわと囁き声が広がっていく。注目されるというのは、やはり良い気分だ。ハッフルパフ生達が自分を称賛しているのが自然と解るようだった。
「先生、じゃ、つまり」三つ編みを背中へ垂らした女の子が言った。「ハグリッドが犯人だったと仰りたいんですか?」
「それはミス・ボーンズ、私の口からはっきりと申し上げることはできません。しかし、何故この時期に魔法省から用事があるのか? 考えれば答えは一つしかありません」
 ハッフルパフ生は再びざわざわした。六年生の集団が前を横切っていく時、ロックハートはちらっと後ろを振り返った。恐々と友達と顔を見合わせる者あり、称賛の眼差しを向ける者あり――ロックハートは自分が創り出した場の雰囲気にうっとりした。最後尾に居る男子生徒の集団が、組んず解れつの取っ組み合いをしている事になど、少しも気が付かなかった。

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