啾々

 まず目に入ったのは、わんわんと大声を上げて泣きじゃくっている親友の姿だった。うっかり、ラベンダーは手に持っていた『未来の霧を晴らす』を取り落してしまった。ここが図書室でなくて良かった――現実逃避に、ラベンダーはそんなことを思った。
 一体、何が起こったというのだろう。
 しかしよくよく見てみると、自分の親友は泣いてはいなかった。親友は困ったような、そしてどこか怒ったような、そんな読み取りにくい表情をしてこちらを見ている。
「パドマ……? いったいどうしたの?」
 確かに、ここはラベンダー達の部屋だった。しかし泣いているのはパーバティではなく、彼女の双子の妹、レイブンクローのパドマだった。パドマがパーバティに縋り付き、泣いている。
 彼女がグリフィンドールに居る自分の姉妹を訪ねてくることは初めてではなかった。流石に六年生になった今ではやらなくなったが、以前はいつの間にか入れ替わっていたり、二人でグリフィンドール塔に居たりと、些細な悪戯をしていたくらいだ。
 しかし、こうして泣いているのを見るのは初めてだった。パーバティは決して泣き虫ではなかったし、つまりはパドマも滅多なことでは泣いたりしない。ラベンダーが動揺し、彼女達を見間違えたのも、何があったのかと仰天したからだ。パーバティが大声を上げて泣きじゃくるなんて、よほど重大な事件が起こったに違いなかった。実際に泣いていたのはパドマだったが、それでもだ。
 パーバティの無言の訴えで、ラベンダーは開けっ放しだった寝室の扉を閉めた。それから教科書を拾い上げる。そして、ラベンダーはすぐさま二人の方へと駆け寄った。ロンの事を――十七歳という特別の誕生日に、何をあげれば良いのかと――話そうと思っていたのに、いつの間にか吹き飛んでしまった。
 子供のように泣いているパドマと、そんなパドマの背をさすり続けているパーバティ。パーバティのローブは涙が染み込んでいて、随分と重たそうだった。一体、彼女達はいつからこうしていたのだろう。ラベンダーがすぐ傍に座ってもパドマは泣き止まず、むしろますます大きな声で泣きじゃくった。
 ラベンダーの問い掛けには、パーバティが答えた。彼女はぴっちりと扉が閉まっていることを確認し、ちらりとパドマを見遣った後――ラベンダーは、彼女までが泣きそうな顔をしていることに気が付いてしまった――そっと言った。
「振られたの」

 暫くすると、パドマも落ち着いてきたようだった。塔を打つ風はいつものように五月蠅かったが、彼女の言葉が聞き取れないほどではない。鼻を鳴らしてはいるものの、パドマはぽつりぽつりと話し出した。
「私、あの人の事が好きだったわ。本当に、好きだったの」
 パーバティが気遣わしげに、ゆっくり頷いた。
「でもあの人は、私を見てはくれなかった」パドマが小さく言った。「私が隣に居ることを、許してはくれなかったわ」
 彼女の目が再びうるんできたので、ラベンダーは慌てた。同じ年の女の子が、こうも素直に感情を曝け出し、泣いているのを見たのは初めてだった。戸惑いがちに、パドマの背に手を置く。彼女の背は小さく、温かく、微かに震えていた。
「……告白したの」か細い声だった。
「私は貴方が好きだって。一緒に居て欲しいって。でも――自分は私と居られるような人間じゃないからって」
 再びワッと泣き崩れたパドマを抱き締めながら、ラベンダーは彼のことを考えた。パドマの思い人のことをだ。ラベンダーは、決して名前・名字と親しいわけではなかった。しかしながら、どうして彼がパドマの告白を受け入れなかったのかは解るつもりだった。
「じ、自分が狼人間だから、私とは居られないって」
 パドマの目に再び涙が溢れてきていたが、彼女は話すのをやめなかった。
「私、言ったの。私はき、気にしないって。でも――」
 彼女の両目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。体中の水分がなくなってしまうのではないか。そう錯覚してしまうほど、パドマは泣きに泣いた。幼い子供のように感情を露わにする彼女は、何故だかとても美しかった。


 ラベンダーが親友と共にその妹の片思いの相手を知ったのは、確か二年生の頃だったと思う。そう、継承者騒ぎが活発化していた頃だったから、それで間違いない筈だ。あの日、ラベンダーは双子のパチル姉妹と共に図書室に籠っていた。多分クリスマス休暇の少し前だ。休暇が始まる前に宿題を少しでも減らしておこうと考えるのは、今も昔も変わらない。
 ラベンダーが何かしらの参考書を見ている時だった。何を調べていたかははっきり覚えていない。おそらく授業に関わるものの筈だ。分厚い資料をパーバティと二人でああでもないこうでもないと見比べていた時、パドマがぽつりと独り言を漏らした。
「あまり気にしないと良いけど」
 顔を上げ、彼女の視線の先を見た。ハッフルパフの集団が書棚の奥に消えていくところだった。
 見覚えのある後ろ姿がちらほらあったので、多分同じ二年生だったのだろう。
 実際その見立ては間違いない。しかしながらラベンダーにはその程度しか解らなかったし、パーバティが意味ありげな笑みを浮かべた理由に思い当たる節はなかった。ともかくも、パドマのそんな一言から、パーバティはハッフルパフ生の誰かが妹の片思いの相手だと睨んだ。
 後にパーバティが寝室でこっそりと言った。「双子だもの、当然よ」

 パドマが誰かに恋をしている――図書室の件で解るのはその一点のみだったが、逆に言えばそれさえ解れば後は簡単だった。聡明なパドマは、咄嗟の機転も他の者より優れていた。しかし、年頃の女の子達による質問責めには耐えられなかった。それに相手の内の一人は自分の双子の姉ときている。パドマは段々とぼろを出し、終いにはラベンダー達の前で好きな相手の名前を白状するに至った。
 その相手が例の名前・名字だと知った時、ラベンダー達は「そんなまさか」と思わず口走った。グリフィンドールは薬草学でハッフルパフと合同授業だったから、ハッフルパフの二年生のことも大体頭に入っていた。もちろん、名前がどの生徒かも解っていた。
 黙り屋と呼ばれている彼のどこを好きになったのか、何故好きになったのか――そこまではパドマも打ち明けなかった。流石にパーバティでも解らなかったらしい。
 しかし、ラベンダー達は彼女の恋を応援することにした。名前は「黙り屋」と呼ばれてこそいたものの、それ以外に悪い噂はなかったし、むしろ顔の傷にさえ目を瞑ればなかなか綺麗な顔立ちをしていたから、パドマの相手には申し分ないと判断したのだ。
 今思えば、恐らくパドマを応援する以上に、人の恋路に口を出すのが楽しかったのだろう。実際、大人びたパドマが年相応に慌てふためいている様は、見ていて面白かった。
 それからラベンダー達は名前になるべく丁寧に接してやったし、ダンブルドア軍団の会合の時には自然とパドマと接近するように仕向けたりもした。いつだったか、薬草学の時に直接話をしたこともあったっけ。

 ――確か、彼が人狼とばれるより前だった筈だ。そして、ラベンダーは名前に「ダンスパーティー、誰か誘いたい人居る?」と尋ねたのだ。彼が勘違いをして、ラベンダーが自分とパートナーになりたがっていると思われるのは嫌だったから、慌てて言葉を付け足した。「私はもう決まったんだけど」とか、そんな風に誤魔化した気がする。
「別に、居ないわけじゃない」
 小さく呟いた名前に、ラベンダーは呆気に取られた。てっきり、いつものように首を動かすだけだと思っていたからだ。
 名前が「黙り屋・名字」からただの「名前・名字」になるのはこれよりも少し後のことで、ラベンダーの前でこうしてまともに言葉を発したのはこれが初めてのことだった。ぽかんと口を開けているラベンダーを見て、名前がひどく顔を顰めたのを覚えている。
 ラベンダーはその日の夜、名前が薬草学で何と答えたかをパーバティに話さなかった。本能的に、これは言ってはいけないものだと解っていたのだ。その勘は正しかった。


 泣き疲れたのだろう、パドマは静かな寝息を立てていた。多分、監督生としての雑務やら日々の勉強やらで、色々と疲れも溜まっていたに違いない。何故かラベンダーは心底ほっとして、それからはっと息を呑んだ。
 妹の背を撫で続けるパーバティの目に、言い知れない光が宿っていた。彼女のこんな目を見るのは、昨年トレローニー先生が追い出されそうになっていた時以来だ。何となく、ラベンダーは名前のことが心配になった。

[ 688/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -