亡失

 エイモスはぼんやりと窓を見上げていた。この日の魔法省は雲一つない晴天だった。どの窓を見ても、澄み切った青空が広がっている。ビル管理部の連中に何か良い事があったのか――エイモスは少しだけ考えたが、結局思い至らなかった。
 新しく配属されたケンタウルス担当室は、あまりやる事が無い。ケンタウルスはヒトを頼らないからだ。魔法生物規制管理部としてもそれは重々承知しているし、エイモスも解っている。が、何より体裁というものがある。今やこうして窓を眺めるのが、エイモスの日課になっていた。偶然にも、エイモスのデスクは窓際にあった。
 英国魔法省は、ロンドンの地下深くに存在している。詮索好きなマグルの目から逃れる為だ。従って、本来ならば窓がある筈もなかった。しかし、魔法省のどこへ行っても窓は存在し――まあ、神秘部はどうだか知らないが――エイモス達職員は好きなように外の景色を眺めることができる。
 もちろん仮初の窓だ。窓から見える景色は、全て魔法で管理されている。魔法ビル管理部の連中の機嫌が悪ければ、数日ハリケーンが続く時もある。ホグワーツにも似たような仕掛けがある。ハッフルパフ寮は地下にある。以前、セドリックが話してくれた。ここから見える一面のタンポポ原が好きなのだと。
 エイモスは嘆息した。結局、セドリックに行き着いてしまった。涙はとうに枯れ果てていた。

 例の出来事があってから、既に二ヶ月が過ぎていた。セドリックが帰ってこられなくなってからもう二ヶ月も、経ったのだ。
 あの日のことを忘れたことはなかった。エイモスが最後に会った時、セドリックは緊張を顔に滲ませながらも気丈に微笑み、ベストを尽くすとエイモスに告げた。無論、彼はベストを尽くした。それは間違いない。間違いである筈がない。
 エイモスは息子が誇らしい。
 もちろん――もちろんその気持ちに嘘はない。セドリックはエイモスの誇りだ。しかし、「どうしてセドリックが」という、そんな気持ちを押さえ付けるには、そう強く信じ込むしかなかった。エイモスに残された自由であり、救いだった。エイモスはセドリックを誇りに思っている。勇敢に戦った息子のことを誇りに思っている。最後まで誠実だった彼を誇りに思っている。
 本当なら、エイモスは魔法省を辞するつもりだった。いや、実際退職願を出したのだ。それが九月になっても未だ自分のデスクに座っているのは、魔法生物規制管理部が人手不足だったからに他ならない。人員は切り詰められ、エイモスにも新しい役職が与えられた。ケンタウルス担当室は一人居ればそれで済むのだ。エイモスは暫くの休暇が与えられたものの、その後再び魔法省に勤めることとなった。
 実際、ただ窓を眺めている生活は、ほんの僅かながらエイモスの心を落ち着かせた。誰も帰って来ない家の中に、妻と二人でじっとしているのは辛過ぎた。

 セドリックを連れ帰ってくれたポッターは、セドリックが例のあの人の手に掛かったのだと言った。
 魔法省はポッターを信じないという結論に至った。生き残った男の子は今や、嘘をついた男の子になっていた。もちろん、ファッジがそう言い張る理由も理解できる。エイモスだって、強大な力を持った闇の魔法使いが復活したなどとは信じたくない。しかし――それでは何故セドリックは死んだのだ。
 ――どちらにせよ、ポッターの言葉が本当であれ、嘘であれ、エイモスはあまり関心が持てなかった。名前を言ってはいけないあの人が蘇ろうと、セドリックは帰ってこないのだ。エイモスが上からの指示に淡々と従い、未だ魔法省に籍を置いているのも、もはや抗う気力すらなかったからだった。


 心なしか速度の速い紙飛行機が、ケンタウルス担当室に飛び込んできた。頭の周りをぐるぐる旋回していたそれを、無意識的に捕まえる。字が震えていて読み辛かったが、エイモスは確かに自分に応援を求める手紙だと判断した。よほど急いで書き上げたらしく、紙飛行機というか、紙箒だった。窓際族と言っても、一応の良識は残っている。エイモスは立ち上がり、ケンタウルス担当室を後にした。

「ああ、エイモス!」ダーク・クレスウェルが殆ど泣きそうな顔でエイモスの名を呼んだ。
 ゴブリン連絡室に居る筈の彼が、なぜ動物課に居るのか。エイモスは少しだけ訝しく思った。入省した頃からゴブリディグック語が堪能だったダークは、勤め始めてからずっと小鬼に関わる仕事をしている。ゴブリン関連は、大体が存在課の筈だった。しかし、ここは動物課だ。
 見回すと、ダーク以外の誰もが辺り構わず書類を引っくり返していた。
「いったいどうしたんだ」
 エイモスが言った。この時やっと、ダークの傍らに気まずそうな顔で立っている青年に気が付いた。明らかに職員ではない。マグルの服装をしているし、歳が十五か、せいぜい十六くらいだからだ。
 あの出来事があってから、エイモスはホグワーツ生に会っていなかった。セドリックが居ないのに、まだあの学校に生徒が居るだなんて――何ともおかしな話だ。
「書類が無いんだ」ダークが言った。「狼人間登録簿が無いんだ」
「おお……何?」
「狼人間登録簿!」
 ダーク達が何を探しているのかは解った。しかし、何故探しているのかはいまいち合点が行かない。ダークは早口に言った。「この子は――」ダークが傍らの青年を指した。「――もう何時間もここで自分の順番を待ってるんだ。けど、いつまで経っても登録室の連中が来ないんだ。当たり前だ。連中はここ一週間バカンスに行ってるんだから」
「それで、手の空いてる職員でずっと探し回ってた。登録に関する規則と、その登録簿をね。けど、何故か、どこにも無いんだ」
 そんな事は無い筈なんだけど、とダークが付け足した。話は読めてきた。
「休暇届は随分前に出される筈だが。何故今日来たんだね」
「そりゃ、呼び出されたのが昨日だからさ!」
 青年に聞いた筈だったが、答えたのはダークだった。「この子はもうまる一日以上待ってるんだ!」
 狼人間の登録は、動物課にある狼人間登録室で七年毎に行われる。しかし、当人を呼び出すのがその部署だったかどうかは疑問だった。エイモスは考えながら言った。どうも、単なる嫌がらせではないようだ。あの分厚い登録簿が見付からないとなると、よほど周到に根回しをしたらしい。登録室の人間がまるきり居ないのも不自然過ぎた。狼人間登録室には三人の職員が居る。その三人が偶然同じタイミングで休暇を取ってしまったという可能性は、まあ捨て切れない。「それで私を呼んだんだね。私が前に狼人間登録室に居たことがあったから」
「ああ!」と、ダークは半ば叫ぶように言った。エイモスは時計を見た。十時三十分過ぎ――ホグワーツに向かう列車が出るのは、十一時だった筈だ。
「残念ながら、私も登録の規則を完璧に覚えているわけではない」ダークの顔にはっきり失望が浮かんだのを、エイモスは無視した。「しかし君は」エイモスはダークの傍らに立つ青年を見た。彼が身を震わせたことも、エイモスは無視した。「去年もここへ来た筈だね?」
 青年が頷く。エイモスは、彼の顔に見覚えがあったのだ。
 七年前、彼の手続きをしたのはエイモスだった。それに去年もだ。「すると君は、去年済ませた筈の手続きを再び行う為に呼び出された。偶然不備が見付かり、偶然登録室の人間が居ない日に呼び出された。しかも偶然学校が始まる前の日にだ」
 青年は訝しそうに眉を寄せて頷いたが、ダークははっとした表情になった。職員の内、確かに何人かが顔を逸らしていた。エイモスはそれも無視した。
「もちろん、不備があった可能性もある。しかし、君は三度目の登録だった筈だ。初回で不備があったならともかく、更新で何か問題があったとは思えない」
「登録のことは、私が何とかしておく」エイモスは続けた。「今は君が一刻も早くキングズ・クロスに向かうことが先決だ」

 ダークか、それとも他の誰かが、心配そうにエイモスの名を呼んだ。しかしエイモスは再度無視した。青年の背を押し、部署を出た。そのまま地下八階のアトリウムへ向かう。彼と連れ立ち、来客用出入り口から外へ出た。手続きを踏んでいる暇は無かった。エイモスはそのまま青年を引っ張り、裏路地へ連れ込むと、そのまま杖腕を掲げた。――現れるのは無論、夜の騎士バスだ。
 口上を言おうとした車掌を押し切り、エイモスは青年をバスへ突っ込んだ(無論、車掌は「おい!」と怒ったような声を上げた)。
「キングズ・クロス駅だ! 一番に頼む」
 金貨の袋を押し付けながら言うと、車掌も黙らざるを得なかった。「多い」とか「余る」とか呟いていたが、袋をエイモスに返さなかったし、「アーン! 至急、キングズ・クロスだ!」と運転席へ怒鳴った。青年が振り返り、口を開こうとしたその時、バスは姿をくらました。恐らく、今頃はキングズ・クロスに着いているだろう。
 エイモスはこの日、魔法省を退職した。狼人間の個人記録が纏めてある登録簿は、その後魔法事故惨事部にあるキャビネット棚から見付かった。どうしてこんな所にあったのか見当が付かないと誰もが言い張り、エイモス自身、明確な答えは期待していなかった。自分が受理した書類をいじくるのは簡単だったし、それを直すことは言うまでもない。なお、名前・名字のファイルは二度更新されていたが、どこにも不備は見られなかった。

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