覊絆

 姉がイギリス人と婚約すると知った時、ガブリエルは驚きこそしたものの、両親のように異を唱えたりはしなかった。彼らにとってしてみれば、美しく愛すべきフラーを、よりによってイギリス人――しかもどこの馬の骨とも知れぬ輩だ――にくれてやるなど、考えられなかったのだろう。しかし結局、両親が折れた。彼らはフラーが決して自分の考えを曲げないことを痛いほど承知していたのだ。親子の縁を切っても構わないとまで言われては、父も母も彼女の幸せを祈るしかなかった。

 数ヶ月ぶりにフランスの実家への帰ってきたフラーは、記憶の中の彼女よりいっそう美しくなっていた。恋の成せる業、なのかもしれなかった。妹である自分から見ても美しかったフラーは、その美しさに見合った傲慢さを持っていた。愛されることが当たり前、妖精さんのように可愛いフラー。
 ガブリエルとフラーは二人きりの姉妹だったが、十ほど年が離れていた。ガブリエルはずっと、今まで姉と比べられて生きてきた。親戚の中でも一番可愛がられているのはフラーだったし、お花の妖精さんのよう、と言われるのもいつもフラーだった。ガブリエルだって、花の名前が欲しかった。
 また、物心付いた時には、彼女は既にボーバトンの優秀生徒として名を連ねていた。その美貌もさることながら、学校で一番という呼び声を欲しいままにしていた。彼女はそれを厭わなかったし、当然のものとして受け入れていた。いつでも「フラーの妹」だったガブリエルは、今年ボーバトンに入学するものの、そういった面ではあまり楽しみではなかった。
 妹としての贔屓目は――そして嫉妬も――あると思うが、確かにフラーは美しいし、頭も良かった。成績はトップクラスだったし、学校の代表にも選ばれた。それでも、少しくらい謙遜したって罰は当たらない。祖母の血を色濃く受け継いだ彼女が美しい笑みを零すたび、ガブリエルの心にもやもやとしたものが広がっていく。
 ――しかしながら、久方ぶりに会った彼女からは、そんな傲慢さは感じられなかった。

「驚いた」今の彼と結婚を考えているのと打ち明けられた時、ガブリエルは目を瞬かせながらそう言った。「フラーが本気なんて」
 わざわざ口に出さなくても、ガブリエルにはフラーが今の恋人を本気で愛していることが解っていた。
 確かに、これまで姉から恋人の話を聞いたことは何度かあった。その度にフラーは得意げにしていたのだが、次に話を聞く時には別れているか、さもなくば別の名前に変わっていた。こんな風に真剣みを帯びた声で打ち明けられるのは初めてだったし、そうでなければ彼女がこれほど美しくなる筈がなかった。彼を追ってイギリスでの就職を決めたのだと聞いた日には、本当に驚いた。フラーはいつも追われる側だった。ガブリエルだって、誰だって、皆がフラーの背に手を伸ばした。
 フラーは――はっきりと答えはしなかった。ただ静かに微笑むだけだ。
 ガブリエルは姉の恋人がどんな人物なのかは知らなかった。一応、見たことはある筈なのだが、記憶には残っていない。彼女に言われ、やっとぼんやりと赤い髪を思い出せる程度だ。――ビル・ウィーズリーとは、三大魔法学校対抗試合に参加していた時出会ったらしい。
 幸せそうに微笑む男と女。手渡された写真を黙って見詰めていると、出し抜けにフラーが言った。
「解ってるわよ」
 ガブリエルが姉へ目を向けた時、彼女はいたずらに微笑んでいた。
 彼女の口から発せられたのは思ってもみない人物の名前で、ガブリエルは真っ赤になって俯くしかなかった。


 フラーが英国の恋人のことを真っ先にガブリエルに打ち明けたのは、何も姉妹の仲が睦まじいからだけではない。彼女はガブリエルに協力して欲しかったのだ。いくらフラーと言えど、家族皆に反対されては打つ手がない。しかしガブリエルが彼女の味方であったなら、父と母の説得も容易になるだろう。まあ、ウィーズリー家との結婚は、結局は彼らにとっても良い結果になったのではないだろうか。親同士、気も合うようだった。
 純白の花嫁衣装に身を包むフラーは、この世のものとは思えないほどに美しかった。彼女を愛さない者がこの世界に存在するだろうかと、そう思えるくらいだった。以前に渡された写真で見た時より、随分と雰囲気が変わっていたビル・ウィーズリーも(はっきり言うと、随分と醜くなっていた。顔中傷だらけだった。しかし姉は「私がその何倍も美しいのだから良いじゃない」と言い放っており、どうやら少しも気にしていないらしい。また、父も傷だらけのビルを見て「男の勲章だな」と言い、より気に入ったようだ)、この時ばかりは世界一幸せな男に見えた。

 ガブリエルは今までに二度、イギリスに来たことがあった。しかしだからと言って、イギリスという国や、そこに住む人が好きなわけではなかった。好きで足を運んだわけじゃない。むしろ、姉がイギリス人と結婚を考えていると聞いた時も、本音を言えばやめておけば良いのにと思ったのだ。良い思い出はなかったし、イギリス人は皮肉を口にすることを趣味としている。
 それでもガブリエルが姉に楯突かず、両親の説得に協力したのは、相応の見返りがあったからだ。

 イギリス式で行われた結婚式も、フランスのそれとさほど違いはなかった。二人の男女が立会いの下、永遠の愛を誓い合う。それからは飲んだり歌ったりのパーティーの始まりだった。暫くの間、ガブリエルは姉の側に居たのだが、やがてその場を離れた。
 姉は、「花婿の弟の友人として呼んである」と言っていた。ビルには沢山の弟と妹が居るのだが、どうやらその内の末弟が彼と同い年らしかった。また実際に付き合いもあったようで、この結婚式の客人として招待するのは簡単だったそうだ。確かに、彼は今日だけでなく、昨日もここに来ていた。生憎すぐに居なくなってしまったので、話す機会はなかったが。
 ガブリエルは自分の幸運に感謝した。一度会ったきり、もう二度と会えないことだって人生には多々ある。
 そして――ガブリエルは彼を見付けた。

 彼は赤い髪の青年(見間違いでなければ、ビルの花婿付添い人を務めていた男だった。確か、ウィーズリー家の次男だ)と、大柄な男、それから中折れ帽を被った男と共にテーブルに着いていて、何やら熱心に議論していた。聞き取れた限りでは、「ドラゴン」とか、「炎」とか、割と物騒だった。しかしながら、ガブリエルは気にしなかった。
 彼は記憶にあったものより更に凛々しく、より逞しく成長していた。何か事故にでも巻き込まれたのか、顔に走る傷跡が増えていた。しかし、これは、そう――男の勲章だ。ガブリエルにはそれらの古傷は彼が勇ましい証拠に見えたし、むしろ、よりセクシーだった。姉がビル・ウィーズリーに惚れ込んでいる理由も解る気がした。ガブリエルはその横顔に少しの間見惚れていたが、やがて四人の元へ向かった。
 普段であれば、大の男が四人も寄り集まっている所になど、ガブリエルは近付かなかったかもしれない。何と言っても、ガブリエルは十一歳の女の子なのだ。しかし、もしかすると彼に会えるのはこれっきりかもしれない、そんな思いがガブリエルを突き動かしていた。
「わたーしと、踊ってくれませーんか?」
 ガブリエルがそう話し掛けても、彼は暫くの間反応しなかった。どうやら、話し掛けられたのが自分だという事も解らなかったらしい。彼は周りの三人の意味ありげな視線を受け、漸くガブリエルが誰を見詰めているのかに気付いた。
 呆気に取られた彼の表情には、どうして自分に声を掛けたのだろう、そんな疑問がありありと浮かんでいた。しかし赤毛の青年がにやにやして「行って来いよ!」と彼の背を押したので、彼は初めて頷いてくれたのだった。あの時と寸分違わぬエメラルド色の瞳に射抜かれると、ガブリエルの心臓もどきどきと脈打ち始めた。
 ガブリエルがにこりと微笑むと、初恋の相手、名前・名字もまた、僅かに赤面した。


 ガブリエルが名前に出会ったのは、三年前の三大魔法学校対抗試合の時だった。その時から、ガブリエルはずっと彼のことを想い続けてきた。もっとも、再び会えるとは思っていなかった。フラーの結婚は、ガブリエルにとっても幸せをもたらしてくれたのだ。
 予想していた通り、彼はガブリエルのことを覚えていなかった。しかしながら言葉を交わす内、思い出してくれたようだ。「あの時のか」と彼は呟いた。
「わたーし、フラーがえいーご教えてくれてるの」
 スローテンポの曲に合わせて踊りながら、ガブリエルはそう言った。「あなーたのため」
 名前が再び僅かに頬を紅潮させたので、ガブリエルはとびきりの笑顔を浮かべた。彼の前でだけ、ガブリエルは自分がフラー・デラクールの妹ではなく、ただのガブリエル・デラクールなのだと思うことができた。

[ 686/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -